琺瑯看板探検隊が行く

琺瑯看板考現学

花王看板


花王の歴史は琺瑯看板の歴史!?

花王といえば月のマーク、月のマークといえば花王というくらい誰もが知っている花王だが、私にとっての花王への思い入れは半端ではない。
その辺りの事情は副隊長のあんもんや一部の投稿者の皆さんが知っているので、ここでは書かない(笑)。
琺瑯探検を始めて数年で、運がいいことに花王の看板を何枚か見つけることができた。いずれも古い書体で書かれたものである。ただ「古い」ということはなんとなく分かるのだが、おおよその年代も分からない。そこで、あつかましくも花王(株)社史編纂室に問い合わせ、画像の鑑定をしていただいた。
また貴重な資料をご提供いただいたことで、ほんの少しではあるが月のマークが背負ってきた長い歴史がおぼろげながらに見えてきた。
花王看板を語るには花王の広告事業に関わる長い歴史を順を追って見て行くことで、より確かなものになるといえそうだ。ここでは、その歴史を簡単に紹介しつつ、発見したアイテムにウンチクを加えていきたい。

花王石鹸の歴史と広告事業

1889年(明治22)5月に、東京馬喰町表通りに店舗を移した初代長瀬商店社長・長瀬富郎は、翌年1890年(明治23年)7月末にブランド化粧石鹸「花王石鹸」を創製し、10月に発売する。
以後、「花王石鹸」は、月のマークとともに125年を経た今日まで生命を保っているまれな工業製品のひとつである。 「花王石鹸」の広告は新聞が中心であったが、それ以外の宣伝活動として、鉄道沿線の「野立看板」による広告を積極的に試みた。
1896年(明治29年)1月に、東海道沿線各地に設けられた大型の「花王石鹸」の看板広告は、鉄道沿線の本格的な商品広告の最初のものともいわれた(写真)。
これら新聞、野立看板のほか、長瀬富郎は都市生活の諸側面に広告媒体を見いだし、さまざまな創意をこらして、きめ細かな配慮を重ねている。 劇場の引幕の広告(大阪、東京)、広告塔の設置(東京・四谷見附)、電柱への広告、川蒸汽船の屋根への広告(東京・隅田川)、浴場の広告額と浮温度計の配布などがそれである。
これら「花王石鹸」発売後2、3年間に実施された斬新なアイデアや趣向による広告は、それにまつわる数々のエピソードとともに興味が尽きない。
琺瑯看板の出現はさだかではないが、これから察するには明治の終わりごろかと推測される。

花王石鹸

花王洗濯石鹸/花王シャンプー

Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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SINCE 2005.3.17