琺瑯看板探検隊が行く

琺瑯看板考現学

わた看板

琺瑯看板の代名詞・わた看板

家具や電化製品についで粗大ゴミとして捨てられるモノが、布団であるという。
使い捨て、消費社会の今日ではおおよそ想像がつくが、モノを大切にした時代、昭和30年代から40年代は布団を捨てることなどありえず、当たり前のように打ち直しをやった。
今では“打ち直し”という言葉さえ死語になってしまったが、当時は子供でも知っている言葉だった。
業者に頼むとお金がかかるので、マスクをつけ手に手に棒を持った近所の主婦が集まって、近くにあった農家の物置小屋を借り、それぞれが持ち寄ってきた布団を打ち直したのだ。
幼い私はその作業をこそっと見ていた記憶があるが、母は私の器官に綿の細かい粒子が入るのを恐れてか、決して打ち直しの現場に近寄らせなかった。
琺瑯看板を探す旅を始めてすぐに気づいたのは、わたの看板が無数にあることだった。それを目にするたび、遠い昔、物陰から覗き見した打ち直しの風景が甦ってくるのだった。
わたの看板はその種類もさることながら、地方によっては琺瑯看板の代名詞になるくらい多く残っている。
九州では琺瑯看板から連想するものとして、「金鳥」や「オロナミンC」ではなく、多くの人々が「カクイわた」のねんねこ看板を思い浮かべるのではないかと思う。それぐらいよく目に付く看板だ。
わたは明治以後、政策により綿布の生産が強化されたこともあり、1930年代には輸出量が世界一となった。第二次大戦中は輸出は停止したが、戦後復活し、再び世界一になった。
ただしその後は安価なアジア産の綿布に押され、生産量は減少しているという。
全国各地で多くのわたメーカーが競って看板を掲げた時代・昭和30年代は、戦後の高度経済成長の時期であり、わたの輸出が世界一だったという背景に一致している。
現在でも多くのわた看板が残っていることを考えると、当時の業界自体の活気も凄かったのではないかと想像がつく。
手書きで看板を描いても追いつかなかったほど貼られた時代、今となっては遠い昔の話である。

わた看板の勢力図

国内で木綿の栽培が一般的になるのは16世紀以降とされる。
戦国時代後期からは全国的に綿布の使用が普及し、三河などで綿花の栽培も始まった。
財団法人日本綿業振興会によると、現在のわた栽培地は北海道、栃木、茨城、千葉、東京、長野、岐阜、愛知、滋賀、大阪、兵庫、奈良、香川、愛媛となっており、栽培地と製綿メーカーがあるエリアとは必ずしも結びつかない。
国内生産だけでなく、コストが安い輸入綿の使用が多かったようだ。
前項でも書いたが、わた看板は種類も多く、それこそ星の数ほどありそうだが、看板が集中して貼られたエリアは限られている。
「オヤコわた」「美人わた」を中心にした北海道、「カクイわた」「だるまわた」「高砂わた」「ほていわた」などメーカーも多く一大集中地になっている九州が最大エリアである。
本州で比較的広域に貼られているのは、「ニコホンわた」「コドモわた」といったところで、それ以外は地域限定型の狭いエリアで貼られている。
全国的な規模で貼られているメーカーとして、福岡県に本社があるハニーファイバー㈱の「おたふくわた」は、九州だけでなく、四国、北陸地方にまで貼られており、青森県にも貼られていたという情報がある。
また、この項をまとめるにあたり、わた看板の追跡調査を行っているが、メーカー名すら分からない看板も多いことに驚いている。
すでに廃業したメーカーも多くあるようだ。情報をお寄せいただければありがたい。


【わた看板図鑑】 

オヤコわた

▼白崎繊維工業株式会社 札幌市白石区平和通3丁目南1番4号
創業1941年(昭和16年)。同社サイトの「オヤコわたのはじまり」によると、札幌市白石区平和通三南に店とれんが造りの製綿工場を構える白崎繊維工業は、親子で「オヤコわた」をつくることから始まったという。
会長の白崎繁仁氏は毛皮用タヌキを飼育する家に生まれ、獣医師になったものの、戦争の混乱によって家が繊維業に転じ、やがてオヤコわたの商標で寝具づくりを始めた。
オヤコわたの商標は、会長が自ら考案。自社綿の暖かさをPRしようという意味で、仲むつまじい母子の姿をはめ込んでいるが、この母子は会長の妻と幼いころの社長をモデルにしている。
製品はふとん以外に、快眠できる体に合ったオーダーメイドの枕を提供している。
オヤコわたの看板は道央では最もポピュラーな看板の一つだと思う。下の画像のような一枚一枚が分離した単体タイプと一体型の鉄道系のタイプがある。
札幌市の本社(写真下右)には一体型のタイプが貼られている(2枚あり)。

美人わた

▼ネットで検索して情報を集めてみたが、歴史の中に埋もれてしまったように、何も出てこない状態。
「れとろ看板写真館」のさとうさんの情報によれば、札幌の「木下綿業」の製品だったらしい。 ネットから拾った唯一の情報では、1955年(昭和31年)の道北日報には綿の広告が出ており、商品名は「美人綿」「横綱綿」「ベンケイ印」「大黒印綿」などが掲載されたという。
また、投稿者のTOTさんの情報では、「マルは」(◯の中に「は」という文字)という商標がつけられているものも確認されている。
これまでに見つけた「美人わた」の看板は、黒地に黄色字で書かれた目立つデザインと、赤地に白字の組神庭。宮城県での発見例では、文字通り美人の顔のイラストが入った短冊タイプの看板もあるようだ。

コドモわた

コドモわた株式会社 東京都世田谷区桜新町1-37-6
創業は明治34年函館で創業。綿ふとん、羽毛ふとんを製造するメーカー。支店は北海道札幌、函館、茨城県古河にある。 看板のアイテムは4種類が見つかっている。北海道では幼児の顔がデザインされた登録商標の看板も見つけている。
これまで、茨城県、宮城県、岩手県、青森県、北海道で発見しているが、岩手県内では比較的多く残っていることから、支店や営業所のような出先機関があったかもしれない。

ベンケイわた

▼ベンケイ株式会社。(廃業) 函館市昭和で布団の製造から寝装品の卸販売する優良企業だったが、2007年に廃業。
看板は北海道、岩手県で確認している。他サイトでは秋田県での報告例がある。

横綱印わた

▼横綱わたのコマノは1911年 札幌で創業。 1998年2月 倒産。道内ではわずかに残っている看板。

ぼたん綿

▼新潟市の横山商店(後のヨコヤマ株式会社)。
同社は昭和初期から精綿と販売をしていたがすでに廃業。新潟県内では菊印綿のブランドで、東北と東京ではぼたん綿のブランドで販売をしていた。(創業者様からの情報提供2012.9月)
広島県の奥田綿業㈱の製品は「牡丹綿」で漢字書きになるが、関連性はない。「ぼたん綿」は、短冊、横型、組看板を発見。青森県の他、福島県、東京で見つけている。

谷風わた

▼谷風わた株式会社 宮城県仙台市泉区将監1丁目3-10
社名は宮城県出身の第三代横綱“谷風”にちなんで付けられたものと推測できる。宮城県を中心としたごく狭い範囲に集中的に貼られたようだ。
他サイトでは秋田県での報告例もある。

菊印わた

▼「ぼたん綿」の別名ブランドで、メーカーは新潟市の横山商店(後のヨコヤマ株式会社)。
新潟県内を中心に販売していたと思われる。看板は5種類。いずれも新潟県内でのみ発見している。

さくら印わた

▼わた看板にはメーカー不明のものが多い。この看板はJR大糸線のある駅前にある雑貨屋で見つけたもの。
ご存知の方がいらっしゃったらぜひ情報をいただきたい。

にわづるわた

▼長野県、群馬県ではよく見かけるわた看板である。これもメーカー名が不明。それにしてもわた看板の情報が少ないのに驚きます。

子守り綿

▼詳細不明。ねんねこスタイルで子守りをしているイラストがどこか「カクイわた」を連想させます。

大黒綿

▼詳細不明。富山県高岡市の「大黒わた」と同名だが、関連はなさそう。綿看板のネーミングは縁起を担いだ七福神から取られたものが多いようです。

綿は白牡丹

▼長野県内のごく狭いエリアにあるようだ。戦前のタイプと思われる看板に「綿はマルトの白牡丹」という短冊タイプがある。マルト?というメーカーが現在存在しているかとどうかは不明。

大黒わた

▼大黒わた株式会社 富山県高岡市木津南星1457
ふとん丸洗い・綿の製造及び袋詰めを手がけているメーカー。本社の工場に数枚の琺瑯看板が貼られている以外は他にはないようだ。

御姫わた

▼富山県内のメーカーだと思われるが不明。石川県でも発見している。また2017年には北海道幕別町でも見つけている。北陸の看板が北海道に渡ったのかは謎である。
看板は字体が微妙に違う2つのタイプがある。また、入善町では吊り看板も発見した。
富山県内の製綿業者に問い合わせてみたが、分からずじまい。高岡市の会社という未確認情報もある。

あさひ綿

▼「綿」の字体が前記「御姫綿」と酷似しているところをみると、同一メーカーの姉妹品だろうか。

綿の王様白光綿

▼富山県内のみで確認している。大阪市平野区に本社がある白光㈱(旧・白光綿業株式会社)との関連は不明。
投稿者のTOTさん情報によると、所有する別バージョンの看板画像には、「増山製綿株式会社」と記載されている。

一番ヨイ千歳わた

岐阜県製綿工業株式会社 岐阜県羽島郡笠松町西町51
JR笠松駅近くにあるメーカー。インテリア用綿・クッション用綿・自動車室内用綿・手芸品綿・ベビー用綿・樹脂綿・固綿・果物、植物梱包用綿・寝具等製造卸並販売を行っている。 看板は岐阜県美濃地方にわずかに残っている。

ことぶき綿・ことぶきわた

▼メーカー名不明。これまでの発見地は岐阜県美濃地方、愛知県西部の比較的狭い範囲。地場のメーカーかと思われるが、情報をお寄せいただきたい。

富士えびす綿

▼メーカー名不明。愛知県内で一枚のみ発見。ネーミングは富士山浅間神社の富士えびす講と関連があるのか。

福壽わた

▼これもメーカー名不明。名古屋市内でのみ3枚発見している。おそらく名古屋のメーカーかと思われるが、情報をお寄せいただきたい。

日本一カクタ綿

▼カクタはおそらく「角太」だろうか。文字だけの看板もあるようだが、これもメーカー名が分からない。2012年に名古屋市内でも発見。

オリオン綿わた・おふとんにはオリオン綿

▼豊川市のJR沿いで見つけた看板。おそらくここにしかないかと思われるが、メーカー名は不明。

綿久わた

ワタキューセイモア株式会社 京都府綴喜郡井手町多賀茶臼塚12-2
創業明治5年、会社設立は昭和37年。全国に販売網を持つメーカーである。
現在は医療・福祉関連分野でリネンサプライを本業で行っている。それ以前は綿久は製綿業を本業としており、明治5年より続く村田製綿所から昭和25年に綿久製綿株式会社を設立している。
昭和25年の朝鮮戦争による特需で財を成し、この利益によって勢いを得た綿久は「綿久わた」を全国に展開。当時まだ始まったばかりのテレビCMやホーロー看板等の広告をした。
大きく「綿久わた」というサインをつけた三輪トラックが全国を走り始めたという。しかし昭和24年の鍋底景気で大幅なリストラを断行し、これを契機に起死回生を図るべく新規事業に踏み込んでいった。
全国で展開したという背景の割りに、現在残っている看板は愛知県を中心としたエリアに限られている。

永禄ゴールド綿

株式会社沢田商店 滋賀県長浜市元浜町13-27
永禄製綿は1890年に創業。製綿とふとんわたの販売のを生業としていたが、寝具の小売販売を1962年に開始、その際に小売部門として沢田商店を設立。
滋賀県長浜市にある永禄製綿有限会社は兄妹会社である。「永禄ゴールド綿」は永禄製綿のふとん綿の商標であり、綿の組成によってダイヤ印、ルビー印、パール印という名前をつけていという。
他サイトには縦型の短冊タイプが報告されているが、現存する琺瑯看板はごくわずかだと思われる。

安眠わた

西川株式会社 大阪市中央区本町1丁目3番15号
大阪西川の起源は永禄年間まで遡る。西川の歴史は滋賀県近江八幡の楽市楽座から始まるという。現在でも近江八幡市内には西川本家の建物が残っている。西川家がふとんの製造販売に着手したのは1887年(明治20年)。
第二次大戦後、合成繊維が開発され、西川では昭和33年(1958年)に「合繊わた」を使用した洋ふとんの商品化に成功し、これが戦後のライフスタイルの洋風化の動きと相まって一大ブームとなった。「合繊安眠デラックスわた」と称されたふとんである。
現在残されている看板は、昭和33年以後数年間に貼られたものと思われる。
販路を広げて積極的な販売を行ったメーカーであるが、現在まで残った琺瑯看板はわずかである。滋賀県と大阪府、兵庫県で見つけたにすぎない。

クラブわた

▼山陽綿業株式会社  広島県広島市東区曙1-2-7
創業1947年(昭和22年)。脱脂綿・ふとん綿の製造、販売を行っているメーカー。脱脂綿の製造メーカーとしては広島県でここだけのようだ。
琺瑯看板は広島県の他に山口県でも見つけている。広島県下ではJR山陽本線沿いに多く残っており、最もポピュラーな琺瑯看板の一つといえる。

ゆみわた

ゆみわた株式会社 広島県広島市南区的場町2丁目6-5
明治42年創業、綿ふとん・座布団の打ちなおしをしている。中国地方で以前はよく見かけるホーロー看板です。

ニコホン綿

▼大三株式会社 高知県香南市赤岡町2258-3
大正9 年(1920年)創業。大三製綿所として綿製造を行う会社として出発。明治から大正にかけての内閣総理大臣であった桂太郎の「ニコポン主義」にあやかり、昭和4年(1929)に同社製造の綿を「ニコホン綿」として商標を登録。
戦後は脱脂綿を軸に綿棒、ガーセ、マスクなどのトイレタリー製品を製造販売している。
平成12年(2000年)に白元へ株式譲渡したのを機に白元グループ傘下企業になった。 グループ会社に株式会社広島ニコホン(創業昭和46年)がある。
現在残されている看板は、地元高知県よりも中国地方に多く残っている。アイテム数もニコポンの登録商標が入ったものから無いもの、色付き(黄・赤)まで数えると、おそらく7~8種類がありそうだ。
また、わた看板の中でも比較的広域に分布しているといえるが、現在、探険隊が確認できている都道府県は、高知県、愛媛県、広島県、岡山県、山口県、兵庫県、滋賀県、福井県である。

金鶴わた

▼メーカー名不明。下の画像は広島県で発見しているが、他サイトでは岡山県の報告がある。

しろくま綿/原フトン店

▼メーカー名不明。スポンサーの原ふとん店は今でも倉敷市内に店を構えている。

女神綿

帝国綿業株式会社  岡山市富田町1丁目10番21号
1942年創業の脱脂綿製造メーカーで『TEIMEN』というブランドを作っている。看板は岡山県のごく狭いエリアに集中して貼られているが、ホーロー製ではなくブリキに手書きで書かれているようだ。

牡丹綿

▼奥田綿業㈱ 広島県広島市中区吉島西3-14-17
高松市を中心としたエリアに貼られているようだ。全体が見えるロケーションで見つけていないのが残念である。広島県の奥田綿業㈱の製品だと思われる。

クミアイわた

▼香川県・徳島県を中心に残っているようだ。
農協のPB(プライベート・ブランド)はクスリや蚊取り線香、酢など多岐にわたっているが、この綿看板は、デザイン、形状が「日本一のおたふくわた」に酷似している。ハニーファイバー㈱で作成された可能性もある。

カネチわた

筑前屋株式会社 香川県高松市扇町2丁目11-1
創業1723年(享保8年)。創業280年を超える老舗のふとん製造会社。
琺瑯看板はヨコ型のバージョンもある。岡山県下ではJR宇野線、山陽本線沿いに多く貼られたようだ。

不二わた・不二のわた

▼製造元は広島県にあった藤野綿業だったが、すでに廃業している。
ちなみに天使綿は同社の姉妹品である。看板の貼られた範囲は広島県以西、九州までの広範囲にわたっている。

天使綿

▼「不二わた」と同じく広島県の藤野綿業の製品。登録商標のエンゼルマークは森永製菓に商標を譲渡。
綿業界では“わた”は一般的に布団や座布団等に入れる綿を指し、“綿”は脱脂綿(生理用品)等の衛生用品を指す。天使綿は脱脂綿のブランドだったといわれている。
看板が貼られた範囲も広く、地元の山陰、山陽、九州、奈良県等に残っているが、エンゼルマークのデザインに人気があり、ホーロー狩りの標的となり消失してる例も多い。

はごろもわた

▼福岡県北九州市門司に本社があったがすでに廃業している。ダルマックス㈱さんのサイトによると、大里製綿、門司綿業と社名が変遷したようだ。
看板は福岡県と山口県に残っているようだが、数は少ない。天女のイラストが描かれた看板もあるが、ホーロー加工されていないので、褪色劣化が激しい。白地に青字のバージョンもあるようだ。

ふくろくわた

▼ふくろくわた㈱ 佐賀県小城市芦刈町道免63
“名実共に天下一”のふくろ寿がプリントされた看板は佐賀県福富町を中心に残っている。ダルマックス㈱さんのサイトによると、赤地の白抜きの文字、青地に白抜きの文字だけのバージョンも報告されている。
九州には「おたふくわた」や「ほていわた」のように縁起物のイラストが描かれたわた看板があるが、「ふくろくわた」もマニア受けする看板であると思う。

志ろいしわた・しろいしわた

▼ふくろくわた㈱ 佐賀県小城市芦刈町道免63
ふくろくわたのサブランド。佐賀県の狭いエリアに貼られたようだ。

不二よ志わた

▼「不二わた」と「志ろいしわた」をくっつけたようなネーミング。
㈱ダルマックスさんのサイトによると、八女市にある小売店ですが、今は製綿はされていないとのことです。写真はブリキ製だが、縦型の琺瑯看板も報告されている。

おたふくわた・日本一のおたふくわた

ハニーファイバー㈱  福岡県福岡市博多区博多駅東2-2-2
1840年(天保11年)創業。1929年(昭和4年)、おたふくわた㈱となり、現在の社名になったのは1974年(昭和49年)からである。
野立て看板については戦前から展開されていたようだが、現在残っているホーロー看板が貼られたのは昭和30~40年代である。
おおまぐろさんの「琺瑯の旅」では、下の画像の他にも短冊タイプを始めとした複数のアイテムが報告されている。
メーカー広報部に確認したところ、「おたふくわた」の看板の分布は数あるわた看板のなかでも最も広範囲に貼られた可能性がある。地元九州はもとより、四国、関西、北陸、関東、東北に貼られ、北限では今のところ富山県の高岡市で確認している。
北海道には地元の製綿メーカーとの紳士協定で貼られなかった。 また、鹿児島の「カクイわた」との看板貼りの攻防もあったようで、先に貼っていた看板が青なら赤の看板を貼るという逆の色を使っていた(下の画像参照)。
メーカーお互いが常に同色を避けていたという広告戦略があった。更に、おたふくわたが「日本一」と貼ると、カクイわたが「東洋一」と貼るなど、ちょっとした風物詩だったようだ。

かめおわた

▼株式会社かめお 福岡県浮羽郡田主丸町大字上原71番地の5
1865年(慶応元年)創業。1958年(昭和33年)かめおわた株式会社を設立。1973年(昭和48年)、現在の社名に変更。
福岡県県内を中心に貼られているが、登録商標の亀の絵が描かれた看板はホーロー製ではないので、劣化が激しい。

ちからわた

▼福岡県久留米市に会社があるというが、詳細は不明。現存している看板は福岡県内に数枚程度しかないものと思われる。

だるまわた

株式会社ダルマックス 福岡県大牟田市明治町1丁目5番地13
慶応元年創業。初代は弓打ちによる製綿を開始したことから始まる。会社設立1954年(昭和29年)、だるまわた㈱となる。現在の社名は1989年(平成2年)から。
寝具の総合メーカーとして高いシェアをもっている。 看板については同社のサイトに詳しいが、だるまさんの絵が描かれた看板は、職人が一枚一枚手書きで描いたものである。
ホーロー加工がされていないことから現存している看板は褪色、劣化が激しい。
看板は昭和28年から貼られたようだ。戦前にもあったようだが、現在残っているのは昭和30年代にかけて製作されたものである。
だるまさん看板のサイズは大きい順に1号~4号まであり、九州一円、山口県に貼られているが、看板が貼られた建物の老朽化や建て替え等により急速に姿を消している。

ほていわた

▼ほていわた㈱ 福岡県福岡市東区馬出6-15-15
会社情報を公開していないので詳細は不明だが、看板が貼られた分布を見ると、熊本以北の九州、中国は広島あたりまであり、テリトリーは比較的広い。
看板には大きな布袋さんの絵看板と文字看板がある。文字看板は青地の他に赤地もあるようだ。

髙砂わた・一番良いわた髙砂わた

高砂わた(名) 熊本県熊本市島崎1-8-21
明治19年創業。看板は大分県にも貼られているようだが、熊本県を中心に残っている。他サイトによると看板のアイテムも多いようだ。

カクイわた

カクイ株式会社 鹿児島県鹿児島市唐湊4-16-1
明治14年、元綿問屋山形屋綿店として鹿児島市で創業。昭和23年、山形屋産業合名会社として社名変更。昭和40年、カクイわた㈱、昭和46年、現在の社名に変更。
創業時からガーゼや脱脂綿などの衛生材料を製造しており、現在の主要製品は化粧パフ・脱脂綿・油吸着材・カクイオイルキャッチャーとなっている。
大量の看板を貼り出したのは、九州一円に営業所を拡大した昭和30年代初めと思われる。有名なのは“ねんねこ看板”と呼ばれる赤ん坊を背負った絵柄である。
畳2枚分もあるような大型タイプもあり、山口県や佐賀県に貼られたようだ。これは数あるホーロー看板の中でも最も巨大なタイプとなる。
また、ホーロー加工されていない大型看板も多く残っている。 看板の分布は九州一円と愛媛県、山口県、広島県となるが、広島県以東には貼られていないようだ。
現存するものはほとんどないようだが、戦前の看板は“東洋一”と入っていた。カクイの屋号は戦前から一貫して、看板に使われていたものと思われる。

Profile

つちのこ プロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


琺瑯看板探検隊が行く
SINCE 2005.3.17