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ホーローの旅

レポート105 九州ホーローの旅⑤ 大分・福岡編

2006.8.12
大分県別府市~杵築市~山香町~豊後高田市~宇佐市~中津市~福岡県豊前市~行橋市


探検レポート105

しつこく降り続いた雨もようやく上がり、蝉しぐれとともに夏空が戻ってきた。
最終日の今日は行程も短く、道草をしながら小倉までの道を、のんびりと行くことに決めた。
鶴崎から大分を経て別府に向かう国道10号線は、三車線にぎっしりとクルマが詰まり、それでもけっこうなスピードで流れていく。お盆ラッシュがそろそろ始まったのだろうか、他県ナンバーもよく見かけた。
別府市内を抜け亀川駅近くにある自転車屋を訪ねた。何枚も看板が貼られた目的の店は、そこだけが昭和30年代にタイムスリップしてしまったような、妙に懐かしい雰囲気が漂っていた。
どうやら開店準備の真っ最中らしく、腰の曲がった爺さんが意外にすばやい動作で、修理用の自転車を次々に表に出していく。
勝手にカメラを向けるわけにも行かず、「あのぅ、看板の写真撮ってもいいですか」と、その背中に声をかけた。
「…」 ひと呼吸おいて、爺さんはコクリとうなずいてくれた。
私はすばやく写真を撮って、年季が入った店をあらためて見上げた。働き者の爺さんは、今度はタイヤのチューブを何本も腕に下げて店の入口を行き来している。
トランジスタラジオの割れた音が、どこからか聴こえてくる。 …30年も前に死んだ私の爺さんとだぶったわけでもないのに、思わず目頭が熱くなった。
こうしてずっと店を守ってきたのだろうか。古き良き昭和のいにしえは残ってくれるだろうか。爺さんの小さな背中を目で追いながら、「いつまでも、お元気で」と祈らずにはいられなかった。
夫婦二人三脚の探検隊は、国東半島を掠めながら北上していく。古い町並みが整然と残る杵築市では、看板探しそっちのけで白壁が眩しいく武家屋敷の連なりに見入り、「昭和の町」で売り出し中の豊後高田市の商店街では、たっぷりと時間をとって、懐かしい雰囲気に浸った。

探検レポート105

乾物屋のれんの向こうから、ランドセルを背負った学校帰りの僕に、「のりちゃん、食べりゃぁ」(註1)と言いながら、新聞紙に包んだ“ういろう”(註2)をくれた金歯のおばちゃん。
「おめ、大きなったら、ぎょうさん稼がなあかんで」と、いつも決まったセリフを言って頭をなでてくれた、漬物屋のオヤジ…40年も昔の風景が走馬灯のようによみがえってくる。
山里育ちのカミさんには分からないだろうが、都会っ子の私にとって、高田の商店街は心をじんわりとさせる要素がてんこもりだった。
亡くなった母に手を引かれながら買い物に行った商店街のひとコマを、哀愁とともにはっきりと思い起こしてくれた、そんな懐かしい商店街だった。
さて、九州ホーローの旅もいよいよ終わりである。中津市から豊前市へ看板屋敷を求めて彷徨ったが、“時すでに遅し”。
そして最後にたどり着いた行橋市の屋敷。それは旅のフィナーレを飾るにふさわしい存在感だった。
壁一面にびっしりと貼られた「サクラみそ」や「ウララ」「カクイわた」が、5日間の労をねぎらい「ゴールですよ!」と拍手をしてくれたような、そんな気がした。
(2006.9.28記)
註1“のりちゃん”とは、私のことである・笑
註2名古屋名物の餅菓子。「青柳ういろう」が有名。ぼよよ~んとした食感が気色悪い。私はあまり好きではない。
※画像上/昭和時代にタイムスリップしたような豊後高田の商店街。
※画像下/宇佐市に向かう山の中の県道沿いにあったカクイわたが貼られた看板屋敷。夏草に埋もれるように建っていた。



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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