琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート124 忍者の里へ ♪私が訪ねた上野まち

2007.4.7
三重県伊賀市~名張市


探検レポート124

♪私が訪ねた~上野まち~、忍者屋敷の~上野まち~
西岡たかしの「上野市(うえのまち)」(1975年)という曲をご存知だろうか。
五つの赤い風船を経てソロになった彼が、最初に飛ばしたヒット曲だ。今でいうご当地ソングの走りの曲だったが、軽快なメロディに、若者が持つ軽薄さと旅の哀愁が漂って、なんともいえない世界があった。
この曲を聴いてからずっと三重県の伊賀上野が気になっていたが、1983年にサイクリング(京都~四日市)で訪れるまで、まったく縁がなかった。
22年が経過して、琺瑯看板を探すようになって、幾度となく伊賀上野を訪れることになった。
上野(現・伊賀市)の街に入ると、ジュークボックスにスイッチが入ったごとく、私の耳には「上野市」の軽快なメロディが流れる。知らないうちに口ずさみながらハンドルを握るのだ(笑)。
前置きが長くなったが、どんよりと曇った土曜日、そんな上野まちと、隣接する名張市を訪ねた。どちらの町も市の中心部の探検をこれまでパスしてきたので、期待は大きい。
それこそ忍者のようにひっそりと潜入し、すり足のごとくじっくりと探す…こんなスタイルを思い浮かべながら家を出た。
まずは伊賀上野の町だが、さすがに城下町だけあって、古い町並みが多く残っている。地酒の醸造元や、仏壇屋、大きな商家や武家屋敷など、江戸時代から現代までの雰囲気が息づいているのは、見事というほかない。

探検レポート124

しかし、どこから沸いてきたのか、観光客も多く、中には親子で忍者姿のペアルックを着ている人もいれば、妙齢のお嬢さんが、背中に刀を差した「くの一」の姿で買い物袋を提げている。
驚くのは足元まで固めていることだ。足袋にワラジの完璧さ。なにかのイベントでもやっているのか、それとも単なる趣味なのか、こんな人たちをよく見かけた。
さて、肝心のお宝であるが、結果はさっぱりだった。チンチン電車が走る線路沿いや、本町通りや農人町などめったやたらと走ってみたが、ついぞホーローの女神は微笑んでくれない。
最も、多少の焦りを感じながらも、「♪チンチン電車の~上野まち~」なんて、鼻歌なんぞが出てくるから、気楽なものだ。
午後になると弱い雨が降りだした。こうして一雨ごとに春は深まるのだろうか。細くやさしい雨に打たれるまま、何度もクルマから下りて、集落の路地に看板の姿を追う。
しかし、そんなローラー作戦もあまり効果がなく、時間はどんどん過ぎていく。そろそろ伊賀上野に見切りをつける頃合だ。しばらの思案のあと、コンビニで簡単な昼食を済ませ、名張市に向かうことにした。
行動の切り替えはすぐに効を奏した。古い町並みが残る新田から、名張市中心部に入るが、県道沿いで「金紋ミズホ酢」や「清酒伊賀越」など5枚の看板が貼られた屋敷を見つけた。
看板屋敷としてのパワーはないが、リストアップをしておこう。
名張市内は意外に穴場だった。小さな町だが、新町、本町、上八町など古い町並みが残る旧伊勢街道沿いには、期待していたお宝たちの、ひっそりと息づく姿があった。

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酒や醤油の醸造元、農機具屋、廃業した銭湯、オロナミンCが貼られた商店など、雨の中での探検だったが、満足いく収穫があった。
雨は一向に止む気配がなく、とうとう本降りになった。 名張から再び上野市に戻り、関西本線のJR伊賀上野駅を訪ねた。駅前の広場はアスファルト舗装され、平屋の駅舎も立派になっていた。
1983年に初めてサイクリングで訪れた際、副隊長のあんもんと、空腹と疲労でフラフラになって深夜の駅にたどり着いたことが思い浮かぶ。
駅前の小さなスペースで仮眠をとろうと寝袋を広げたとき、親切な駅員さんが待合室で寝ることを勧めてくれた。
今ではそんな経験もできないが、20数年前のあの時、若かったときのことだ。梅は散ったが、桜には間があるという…まだ冬の名残りが淡く残っているようでもあり、それでいて、いつのまにか日足がのび、ペダルをこぐ足も、風を切る腕もほんの少し温かく感じた日だった。
駅の待合室で、何を思って眠りについたのだろうか。獏としたやるせなさに、将来のことでも考えていたのだろうか、それとも「上野まち」のメロディを浮かべながら、大盛のカツ丼や、まだ見ぬ将来の伴侶のことでも思っていたのだろうか。
満天の星空に早啼きのカエルの合唱が響いた、青春時代の粋な夜、だった。
琺瑯探検は、砕け散った思い出のカケラを拾う旅でもある。でも、どれだけ探しても、思い出が実態になることはない。
若かった日々と現実とのギャップに、今更ながら、しおれるばかりだ。あ~あぁ(笑)。
(2007.4.28記)
※画像上/三重県伊賀上野の町並み。石坂浩二主演の1979年5月に公開された「病院坂の首縊りの家」(横溝正史原作)のロケ地にもなった。
※画像中/三重県名張市の古い商家にあった看板。
※画像下/初瀬街道沿いにある名張市の「錦湯」。かなり以前に廃業しているようで、そのまま廃墟として残っていた。



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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