琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート197 滋賀県、風薫る初夏のワンディ探検

2009.5.23
滋賀県東近江市~近江八幡市~彦根市


探検レポート197

このところのテーマである酒蔵の撮影を目的に、滋賀県に向かった。
高速道路1000円の恩恵はうれしいが、相変わらずの週末渋滞を招いているのはいただけない。
この日も名神一宮付近で渋滞に捉まってしまった。とはいえ、首都圏や阪神圏と比べれば比較にならないが、料金を払っているという貧乏根性が、イライラとさせる。
八日市インターで下り、まずは八日市市内の探検を開始。これまで何度も訪ねている町だが、今回は酒蔵である。
まずは「清酒喜楽長」を造る喜多酒造。文政3年(1820年)創業の老舗だが、日曜とあってあいにく門が閉ざされ、中に入ることが出来なかった。
投稿者のぼーだいさんに教えていただいた「清酒フクタイ」と「清酒喜楽長」の看板をカメラに収めていただけに、蔵元に貼られている可能性を大いに期待していたが、ちょっと残念だった。
日本酒離れが進んでいるとはいえ、JRや近鉄が企画している日曜ウォーキングでは、酒蔵巡りは相変わらず人気があるという。
最近では蔵元の直売店が併設されているところも多いので、日曜営業も増えてはきているのだが、これまで回ってきた近江の蔵はほとんどが休業のようだった。
八日市では「清酒キリヨウヨシ」の看板を下げた畑酒造や奥野酒造、「志賀盛」を造る近江酒造を回ったが、看板があったのは畑酒造のみだった。

探検レポート197

古い商店が残る市内中心部では撮り逃していた金物屋の看板…「トンボ印シャベル」や「トンボ印フォーク」を撮影した。
店のおばさんが話好きな人で、撮影許可を貰ってからが大変、しっかり捉まってしまった。
これまでの経験で、店主にモノを尋ねるとき、「この店はどれぐらい前からやってるんですか?」という質問が禁句であると分かっていたにも関わらず、つい口が滑ってしまった(笑)。
案の定、おばさんのご主人が戦争から復員して、店をやり直す話を延々と聞かされることになった。
さて、酒蔵探険隊(?)は、近江八幡に向かう。
碁盤の目に仕切られた町は一方通行が多く、クルマでも比較的探検しやすいが、酒蔵はすでに撮影済みなので、今回はこのところ凝っている牛乳箱の採集に絞る。
なんでまた牛乳箱なのか?と問われると答えに窮するのだが、強いて言えば、横溝健志著『思い出牛乳箱』という写真集を見たことが始まりである。
横溝氏は武蔵野美術大学の建築学の先生で、牛乳箱とはまったく結びつかないのだが、やはり何かの機会に牛乳箱に魅せられ、以来、全国規模でデジタル収集をされてきた人だ。
その探究心と好奇心は、私がやっているホーロー探検に通じるものがあり、この本を読んで以来、自分でも見つけたくなったわけだ。

探検レポート197

小さな町の近江八幡には、なんでこんなにたくさんの種類があるの?と驚くくらい牛乳箱が残っていた。
「荒川牛乳」「西牧場」「毎日牛乳」「本間牧場」など、都心ではめったに見られなくなった木製の箱が、まだまだ生活の中に根付いていた。
牛乳箱を探しているとあっという間に時間が過ぎた。
箱だけではなく、「づつうはいた新鋭ノーハチン」という薬のホーロー看板も民家の板壁と塀の間に挟まれて残っていたし、麦藁帽子に甚平姿のおじさんが、夏を先取りした恰好で自転車をのんびり漕いでいる姿に遭遇したり、楽しい数時間を過ごすことができた。
この日は更に彦根、米原と酒蔵と牛乳箱を採集しながらのんびりとハンドルを握った。
何度も訪ねている滋賀県だが、見る角度を変えると、町歩きの楽しみはまだまだ継続できるようだ。
ホーロー看板にしかり、酒蔵、牛乳箱にしかり、古い町並みやそこに住まう人たちとのふれあいにしかり…。
初夏の爽やかな陽光を全身に浴びたことに満足しつつ、これからの私の探検を占いながら、渋滞が待っている帰途についた。
(2009.8.30記)
※画像上/中山道が通る滋賀県鳥居本の風景。
※画像中/彦根市京町界隈。賑わう商店街から一歩離れると、古い町並みが軒を連ねる静かな景色が現れる。
※画像下/奥野酒造。明治38年創業。代表銘柄は「稲玉」。八日市市



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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