琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート204 2009年真夏の長期ロード5 熊本~福岡編

2009.8.5
熊本県玉名市~玉東町~熊本市~山鹿市~南関町~福岡県朝倉市~嘉麻市~飯塚市~中間市~宗像市


探検レポート204

海が近いのか、どこからか潮の香りが流れてくる。
長洲町の宿を出て、昨日辿ってきた道を再び山鹿市へ向かう。雷雨に阻まれて一歩も近づけなかった酒蔵を見たいがためだ。
田園風景を抜けて、最初に田原坂を訪ねた。ホーロー探検とはまったく関係ないが、司馬遼太郎著『翔が如く』で描かれた景色を一度見たかった。
JRの田原坂駅は田畑と夏草に埋もれそうな斜面に建っていた。ジリジリ上がった気温に夏草の匂いがむせるように鼻をつく。急な階段を登って無人駅のホームに立つと、なだらかな丘陵と田原坂の森が見えた。
明治の初めに、西郷隆盛率いる西南戦争の激戦地になったのが、この地である。 田原坂を耕すと、今でも錆びた鉄砲の弾が出てくるという。
駅から戦場跡地に移動し全体を見渡すと、自然に還った風景が展開するばかりで、耳を澄ましても、兵士の息遣いや銃鉄の音など聞こえるはずもなかった。
山鹿市に入り、真っ先に向かったのが「清酒 千代の園」を造る千代の園酒造。
酒蔵が並んだ一角に立つと、明治時代にタイムスリップしたような錯覚を感じた。蔵には、今は軒から外された清酒の看板や、ホーロー看板が取り付けられた脱穀機が展示してあった。

探検レポート204

山鹿の町は、古い町並みがいたるところに残っていたが、ついぞお宝の姿を見ることがなかった。
しかし、山鹿市の郊外で、うれしい発見があった。 廃業した商店で「中将湯」の看板を見つけたのだ。しかもこいつは中将姫(カワイイ!)がデザインされたレアモノである。
貴重な看板の消失が加速している今、良くぞ残っていたと言いたい。この旅最高の発見といえようか。
「中将湯」で気をよくして、南関町から九州自動車道に乗り、福岡県の秋月の町に立ち寄った。お宝は期待してなかったが、江戸時代に城下町として栄えた町並みを見たかったからだ。
緩やかな坂に続く街道には、軒の低い家屋が連なっていた。山鹿と同様、お宝の匂いがプンプンする町だったが、ローカル看板と農協の看板を見つけたぐらいで、この町も空振りだった。
どうやら、九州の状況も厳しいようだ。かつてのホーロー王国も今となっては、風前の灯、栄枯盛衰のありようか…。
福岡県の探検は3回目だが、今日のコースはこれまでに回ったコースをなぞるように辿っている。
というのも、多くの見落としと、投稿者の皆さんからの新たな情報を加えての再訪だからだ。
飯塚市の瑞穂菊酒造は2006年の探検では蔵の外に貼ってある看板を撮影しただけで、蔵の中を覗くことをしなかった。ある情報で蔵の中にも看板があることを知り、再訪することになった。

探検レポート204

また、宗像市の看板屋敷は、同じく2006年の探検でどうしても見つけることが出来なかった因縁の物件だ。
屋敷に貼られている「アース」の看板は、これまで一枚も発見できていないタイプである。
夕暮れが近づいた頃、ヤブ蚊に刺されながら撮影した「アース」看板を見て、ようやく積年の宿題が終わったような安堵感にぐっとくるものがあった。
すっかり暗くなった頃、北九州市のホテルに着いた。
振り返ってみれば、まる二日で駆け抜けてきた九州だったが、多少の成果もあったし、田原坂や、五木寛之の『青春の門』の舞台となった筑豊に立ち寄ることもできた。
放浪の旅人、否、“琺瑯の旅人”としては、思った以上に上出来の旅に仕上がったようだ。(つづく)
(2009.11.23記)
※画像上/熊本県山鹿市の千代の園酒造。酒蔵を中心に古い町並みが続く。まるで明治時代にタイムスリップしたようだ。明治29年(1896年)創業。
※画像中/熊本県田原坂の風景。かつて凄惨な戦いが行われたことがあったとは思えないほど、のどかである。
※画像下/宗像市の伊豆本店。享保2年(1717年)創業。「夏子の酒」のモデルになった酒米「亀の尾」で仕込んでいる。 
※宿泊/「北九州八幡亀の井ホテル」 1泊朝食無料3800円。部屋は清潔で快適。サービスの朝食バイキングの内容はいまひとつ。☆☆☆☆★



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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