琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート371 京都年の暮れ仁丹看板探検【追加編】

2019.12.28-29
京都府京都市~大阪府泉南市


探検レポート371

暮れも押し迫った京都で、仁丹看板を探す三年ぶりの旅に出た。
これまで撮影してきた看板は734枚を数え、これで打ち止めと…自分なりに決着をつけたつもりだった。
しかし、その後の情報で新たな発見や探しきれなかった計11枚の看板の所在が判明したこともあり、今回の探検は最終決着と位置付けてのチャレンジとなった。
いつものように京都駅前で自転車をレンタルし、底冷えがする街をスタートする。最初に目指すのは『今熊野南日吉町』。
これまで何度かチャレンジしているが、いずれも阻まれている曰くつきの一枚だ。 今回は同好の方からの情報もあり、正確な場所が分からずともアタリをつけての再チャレンジである。
鴨川を渡り、三十三間堂の脇をすり抜けて日吉に入ると、緩い坂道が続く登りとなった。電動自転車にしなかったことを後悔しながらひたすらペダルをこぎ続けると、アタリをつけた小さな集落に出た。
目的の看板は袋小路のようなどん詰まりにある民家の入口にあった。 長年の悩みが吹っ飛んだような、気持ちの良い瞬間とはこのことをいうのだろうか。
はたから見れば“変なおっさん”に映ることは間違いなさそうだが、うれしさを隠しきれずに、にやつきながら何度もシャッターを切った。

探検レポート371

日吉町からは緩い下り坂になるので、老骨にムチ打たずとも我が相棒のタイヤは優しく回転していく。 ほどなく京都国立博物館前の喫茶店に貼られた仁丹看板の前に出た。
この看板は最近になって埋蔵から復活し、日の目を見た看板である。
初見の看板二枚を難なくゲットできたので、今にも落ちてきそうな曇天と比べて、気分は晴れやかである。
平成版の中でも最近になって貼られたものと思うが、続いて『ぎをんちやうみなみがは』という平仮名で書かれた仁丹看板を撮影し、東大路通から白川通を経由して銀閣寺に急いだ。
天気予報は晴れだったはずだが、雲行きが刻一刻と怪しくなってきた。 銀閣寺では撮り残していた平成版を撮影するが、この看板は文字が消えかかっており判読が難しい状態になっていた。
文字の退色は平成版の多くに共通しているので、使われた塗料に問題があるのだろうか。 それに比べると約100年前に貼られた仁丹看板たちはいまだに色褪せてない筆書に驚く。当時の技術のほうが現代より勝っているのは疑う余地もない。
今日は40キロを走る予定だ。時間がもったいないので、コンビニで買った肉まんを頬張りながら小雨が降りだした道を銀閣寺から修学院へ向かう。
これまで何度もチャレンジしてきた『修学院川尻町』は今回も見つからなかった。消失したと判断するしかないようだ。

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そして今回の目的の一枚である『上高野畑ヶ田町』は、いただいた情報をヒントにようやくゲットすることができた。意外に分かりやすい場所にあったことに驚いたが、思い返してみると、これまでまったく見当違いな場所を探していたようだ。 ともあれ、日吉町の看板に続いて積年の宿題をクリアすることができた。
畑ヶ田町で踵を返して、叡山電鉄に沿って南下するが、雨は止む気配がなくダウンジャケットをびしょ濡れにしながらペダルをこいだ。
空気が一段と冷たくなってきたこともあり、マフラーを巻いて出町柳から京都御所に向かい、銃砲店のショーウインドに飾られている『稲葉町』の看板の前に立った。
ちょうどこの日が正月休みに入る前の最終営業日で、滑り込みセーフで撮影することができた。
稲葉町からは初見の平成版を二枚撮影し、二条城を横目で見ながら壬生高樋町に到着。ここには同じ町名の看板が二枚あることが知られているが、一枚はすでに撮影済で、残りの一枚を撮ることができないままになっていた。
今回、道を歩いている人に尋ねてようやく撮影することができたが、確かに分かりにくいロケーションにあった。なるほど、グーグルストリートビューでも分からないわけだ。看板には枯れたツタが絡んでいた。
さて、ここからがいよいよ最終ラウンドである。 一向に止まない雨に濡れながら最後の力を振り絞って、太秦に向かう。二枚あるうちの一枚を撮り残している『秋街道区域』の看板、その一枚だけを撮るためにひたすらペダルをこぐ。

探検レポート371

我ながら(よくやるなぁ…)と、その執念深さに半ばあきれながらも、61才の体力を信じてペダルをこぎ続けた。
しつこかった雨もようやく上がり、最後の一枚をカメラに収めたときには、得も言われぬ達成感と脱力感が身を包んでいることに気づいた。
京都の仁丹看板を撮りきった…という達成感。 もう一つは、もうこれ以上撮らなくてもいいんだ…という脱力感。
なんとも贅沢な、表裏一体の気持ちを味わうことができ、夕暮れが迫る中、満ち足りた気分で宿がある京都駅に向かった。

翌日は京都から大阪経由で泉南市に足を延ばし、南海本線沿いにある看板屋敷をカメラに収めた。
早朝ということもあって逆光のロケーションで残念だったが、以前から訪れてみたい屋敷だけに、欠落もなく看板が残っていて嬉しかった。
その後は大阪市内の撮り残しの仁丹看板を訪ねたが、残念ながら消失していた。
看板が貼られていた町工場は閉鎖され、板壁には剥がされた痕が白く残っていた。どうやらタッチの差だったようだ。
まさに、“看板の命短し”を地で行くような光景である。
2019年のホーロー探検のフィニッシュは、大阪の下町を肩を落としながらとぼとぼと歩いた年の暮れとなった。
(2020.3.18記)
※画像上/年が押し迫った京都市内は、賑やかな通りから道をそれると、歩く人の姿もない静かな風景があった。
※画像中/八坂の塔にカメラを向けていたら偶然にも人力車が目の前を通り過ぎた。思わぬノスタルジーなショットが撮れた。
※画像中/仁丹が貼られた路地から見ると、屋根の修理の真っ最中だった。
※画像下/太秦広隆寺を横目に観ながらひたすらペダルをこいだ。
※宿泊/宿泊/『Smart Stay SHIZUKU京都駅前』素泊まり39800円。オープンしたばかりのカプセルホテル。京都駅近くにあって清潔で利便性が高い。☆☆☆☆★



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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