琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート402 雨に祟られた18キップ春の旅 後編

2024.3.25-27
福岡家久留米市~筑後市~大川市~柳川市~大牟田市~八女市~岡山県岡山市~赤磐市~大阪府大阪市~京都府京都市


探検レポート402

▼3月25日
切れ目なく窓を叩く風と雨の音で目覚める。喉が痛く鼻水も止まらない。
小倉のカプセルで伝ったのだろうか、それとも花粉症なのか分からないが、あと三日旅を残した状況下での体調悪化はぜひとも避けたい。
丸めたティシュペーパーを片方の鼻の穴にねじ込んで、マスクをして出発。
今日は今回の旅のメインともいえる、レンタカーを使ってのホーロー探検だ。 それだけにぜひとも晴れてほしかったが、雨は一向に止むことなく、アスファルトには水たまりを作り、無情にも降り続けている。
西鉄久留米駅前でレンタカーに乗り継ぎ、ここからは久留米市を中心として東西南北にハンドルを握る。 まず向かったのが、昨日の日田行きの車窓から見つけた『大楠公学生服』が貼られた屋敷。
慣れないナビの操作に戸惑いながら、何度も迷って屋敷の前に立つことができた。 そこからは久留米市内→大川→柳川→大牟田→八女と町名看板の撮影を中心に進めていくが、すでに消失した物件もあり、雨の中で一喜一憂しながらスマホに収めた。

探検レポート402

走行距離は120㎞ほどになったが、町名看板以外にはたくさんの肥料看板を貼った商店の他、ほとんど見かけることなく走ることとなった。
これまで九州は何度も訪れているが、『カクイわた』や『金鳥』はドライブ途中でふつうに見ることができただけに、ロードサイドでの看板との遭遇も期待していた。
しかし、一枚も見かけないということは、看板の生存状況はずいぶん深刻なものになっていると感じた。
天気は小雨になったり雷を伴って土砂降りになったり、目まぐるしく変わった。 国道3号線は断続的に渋滞しており、時間に余裕があるなら八女から星野村へ抜けるつもりだったが、結局は八女の角打ちの酒屋を最後にこの日の探検が終了となった。
忌々しい天気を恨んでも仕方ないが、されど天気である。

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▼3月26日
計画では18キップを使って久留米から岡山までの10時間をかけた移動日としていたが、岡山地方は午後から天気が回復するという予報を確認し、急遽、新幹線を使っての移動に変更した。
JR久留米から新幹線『さくら』で博多まで移動し、博多から『のぞみ』に乗り換えて徳山で下車。そこからはJR山陽本線の普通電車を使って金光駅で下りた。
投稿者のとらのしっぽさんに教えていただいた味噌醤油の醸造元は、金光駅から徒歩で4.5㎞の場所にあった。
路線バスはないし、タクシーは勿体ないので歩くしかない。雨具上下と折りたたみ傘を差したスタイルで歩くが、雨と風が強く、クルマにも飛沫を浴びせられ、駅からいくらも歩いていないうちに濡れネズミになった。
こういうのは戦意を喪失するし、何よりもめげる。 途中でよほど止めようかと思ったが、先々後悔することを考えると行くしかない。
ようやくたどり着いて、目的の醸造元で看板に対面したときには、うれしさが込み上げてきた。
帰路は玉島から3時間に1本しかない新倉敷行きのバスに乗車すべく急ぐ。しかし、目測を誤ったのか、バス停に着いたときはすでにバスは行ってしまっていた。
さすがに3時間後まで待つ気にはなれず、5㎞の道をトボトボと新倉敷に向かって足を出すことになった。
玉島の旧街道はこれまでもクルマで探検しているので目新しいくはなかったが、『ニッサン石鹸』や『ひなづる味噌』『タテソース』など、まだ現役で残っていたことが嬉しかった。

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一歩を踏むたびに水が滲みだすウォーキングシューズが気持ち悪い。
この四日間は靴が乾くことなく濡れた状態で歩いている。 靴下を脱ぐと足の指もふやけてしまっていた。
それにしても、よくぞこれだけ雨が続いてくれたと思う。
新倉敷からは相生行きの山陽本線普通電車に乗り換え、熊山で下車。ようやく雨も上がり、予報通り一気に快晴となった。
ここからは徒歩で万富、瀬戸と看板屋敷や商店を探しながら撮影をしていく。 距離にして10㎞以上あるが、雨の中の行軍を考えれば何のことはなかった。
山陽本線の車窓から見える看板では『真珠漬』や『ナショナル電球』などの新たな看板を発見したが、立ち寄ることができなかった。
しかし、本日最後の看板屋敷を撮影したときには、事前にチェックしていた看板のほとんどをスマホに収めることができたことの安心感で肩の荷が下りた気がした。

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▼3月27日
早朝から快晴となった。九州と岡山での撮影はほぼ計画通りに終了したので、最終日の今日は岡山から山陽本線を乗り継ぎ、大阪市内と京都市内で仁丹の町名看板を撮影することにした。
大阪市内の仁丹看板はこれまで20枚を見つけているが、近年になり2枚が新たに発見されている。
事前のストビュー検索でも場所を特定することができず、うまく行けば発見できるかも?などという軽い調子でのチャレンジとなった。
まずは【大淀区本庄東通一丁目】であるが、これは戦後の区割りにより大淀区から北区に変更されており、更に本庄東通という町名も現存しない。 旧町名の名称をたよりにJR天満駅から目星をつけていたエリアに向かった。
あとは住宅が密集する入り組んだ道を縦横斜めに歩くだけだ。
狭い路地も含めて大方歩きつくし、半ばあきらめかけていた時に頭上に輝く仁丹の看板を見つけることができた。 一つ目をクリア!!これに気をよくして次の物件に向かう。

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【福島区十六町】は昭和27年に消滅した旧町名である。現在の十六町はどこなのか?これは事前の調査で古地図を確認しておおよその場所が分かった。
しかし現地に行ってみるとエリアは存外広く、住宅地の中を道は無数に走っていた。
行ったり来たり、できるだけ効率よく同じ道を通らないように一筆書きのように歩く。
最後の角を曲がったところに目的の看板が光っていた。 これには思わずガッツポーズ!
大阪での収穫に気をよくして、次に最近新たに発見された2枚の仁丹看板に会いに京都に向かった。
途中下車が何度もできて小回りが利くのは18キップのメリットであるが、京都駅のように人でごった返す改札を通過するときには時間がかかってしまう。
おりしも春休み、インバウンド景気で沸く京都である。 バスも地下鉄も電車も人の波。 平日と言えどもこの混雑ぶりにはほとほと嫌になってくるが、そこに住まう人々のことを思うと気の毒になる。
インバウンドや旅行者から観光税をしっかり取ってもいいんじゃないだろうかと思ったりする。
仁丹看板の【上京区廬山寺通千本東入二筋目西入西廬山寺町】は長くお蔵入りにされていた看板だが、最近になって商店の入口に掲げられたいわゆる“復活看板”である。
しかし、あろうことか看板の縁取りが本来の濃い青い色から水色にペイントされ、字体の墨書きも含め全体的に修復されてしまっていた。
錆びていてもできればそのままの状態で見たかったが、久しぶりにリスト追加できる看板だけに無理も言えず、ありがたく撮影させてもらった。

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さて、残り一枚は昨年12月に発行された『京都を歩けば仁丹にあたる』(京都仁丹楽會編)に紹介されていた物件。
【上京区新町西洞院間四条下ル新釜座町】は、上京区西洞院近くの喫茶店で大切に保管されていたものである。
これもいわゆる埋蔵仁丹だが、仁丹看板を追いかけるマニアからすればぜひ撮影しておきたい一枚である。
しかし、混雑する路線バスを乗り継いでようやくたどり着いた目的の店の前に立つと、そこには無情にも“かってながら午後休業します”の札が。
これには開いた口が塞がらない。連日の雨にもめげず看板を追っかけてきたというのに、最後の最後にこの仕打ち。
何とも後味の悪い、一週間の旅の幕切れとなった。(おわり)
(2024.4.3記)
※画像上/JR山陽本線沿いにある看板屋敷。ホーロー探検を始めて19年経ってようやく対面できた。岡山県赤磐市。3月26日
※画像中/北原白秋の成果前にある醤油醸造元。福岡県柳川市。3月25日
※画像中/雨が落ちる八女の町並みを歩く。白い土蔵が情緒を誘う。福岡県八女市市。3月25日
※画像中/久留米ラーメンを食す。『久留米ラーメン丸久』(並650円、替玉150円)福岡県久留米市。3月25日
※画像中/野田の町並みを歩く。戦災に遭わなかったこともあり古い民家も多く残る。大阪府福島区。3月27日
※画像中/野田駅前のアーケード商店街。午前中とあって人影はまばら。大阪府福島区。3月27日
※画像下/京都上京区西洞院近くの路地。残念ながら仁丹看板には出会えなかった。京都府京都市。3月27日
※宿泊/3月24日「ホテルイルファーロ久留米」朝食付3870円。快適に連泊できた。☆☆☆☆☆/3月26日『ホテルキャビンスタイル岡山』素泊り3600円。狭いがカプセルよりは快適。☆☆☆★★



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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