琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート81 春爛漫の瀬戸内の旅 広島遠征【前編】

2006.3.25
広島県福山市~尾道市~三原市~竹原市~呉市


探検レポート81

テントが入ったでかいザックを背負った副隊長のあんもんと、待ち合わせ場所に急ぐ。
新幹線の福山駅からほど近いレンタカー店に着くと、作務衣を着た朴訥そうな青年が「ようこそ!」と手を差し伸べた。これから2日間をご一緒する“のぶ太郎”さんだ。
何を隠そう彼は、琺瑯看板のサイトでは老舗中の老舗である「壁からのメッセージ」を主宰している。広島県を中心とした看板屋敷の圧倒的な存在感に驚かずにはいられないサイトである。
広島探検をするにあたり情報交換をしていく過程で、「それならご案内しましょう」ということになってしまった。我々、探検隊にとって願ったりかなったりだ。
どうしてもこの眼で見たい「カクイわた」のねんねこ看板や、まだ見ぬお宝たちとの遭遇にワクワクしながら、出発の日を指折り数えて待っていた。
貧乏探検隊にとって、新幹線+レンタカーでの探検は痛い出費であるが、“全国制覇”を狙う過程では、今後こうしたスタイルがあたりまえのものになりそうだ。
のぶ太郎さんの運転で、福山駅から最初の目的地である鞆の浦に向かう。今回の探検では、鞆の浦と大崎下島、倉橋島の三箇所はどうしても行きたい場所だ。特に瀬戸内海に浮かぶ二つの島の探検は、旅情溢れる思い出になりそうだ。
鞆の浦は江戸時代から海運で栄えたという。入り組んだ狭い道に板壁の家屋が並び、何とも安らぎを感じさせる町である。多くのサイトで取り上げられているくすり屋はすぐに見つかった。全部で8枚のくすり系の看板がまるで息づくように貼られていた。この店にとって、錆びた看板たちもまだまだ現役で頑張っている広告塔なのだ。

探検レポート81

車は海岸線を走り、尾道、三原、竹原と看板を“訪ね歩く”。“探し歩く”ではないところが、今回のスタイルである。のぶ太郎さんの運転で、看板のありかを教えてもらいながら写真を撮っていくスタイルであるが、こんなに楽をしていいのだろうか?
最も、ここまでのところ土地鑑がない僕らがいきなりチャレンジしても、半分も見つけられなかったと思う。
それほど看板の姿は薄く、北陸や東北地方のように沿道沿いにベタベタ貼られている風景とはまったく違う。脇道から更に路地に入った板壁の死角に、さりげなく貼られているお宝を探すのは、私たちにとっては到底無理のように思われた。
また、看板屋敷もしかり。何度もJRの車窓から確認しなければ、分からないような場所にあるのだ。
午後を回り、柔らかな陽射しを浴びながら竹原港から高速船に乗った。第二の目的地である大崎下島の看板商店を探すためだ
。下船し、みかんとレモン畑が続くゆるい坂道をしばらく歩くと、集落の路地の奥に黄金バットが目に飛び込んできた。
崑ちゃんのオロCやナショナル電球が吊り下がっている。薄暗い路地に足を踏み入れると小さなたばこ屋があった。なんと現役で営業していたから驚いてしまった。
黄金バットは琺瑯探検を始めて4度目の遭遇であるが、輝くオーラは相変わらず健在であった。夕日が沈む瀬戸内の海をのんびりと見ながら竹原港に戻った。
明日のコースと今夜のねぐらをどうすのかしばらく検討するうちに、のぶ太郎さんのご好意で、彼の自宅に泊めていただくことになった。
竹原から北上する薄暗くなった国道沿いを、車のライトに照らされて時折浮かぶブリキの酒看板をぼんやりと見ながら、満ち足りた気分で初日が暮れていくのを眺めた。(つづく)
(2006.4.8記)
※画像上/広島県竹原市の町並み。石畳が敷かれた閑静な一角
※画像下/大崎下島に渡る連絡船乗り場。船で看板探しをするのは、これが初めて



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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