琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート89 四国一周琺瑯の旅③ いよかん街道編

2006.5.5
愛媛県今治市~松山市~大洲市~八幡浜市~宇和島市~愛南町~高知県宿毛市~高知市


探検レポート89

早朝、カビの匂いがするホテルを後した。ドライヤーやかみそり、湯沸しポットもない部屋、しかもシングルに毛が生えたようなベットで9500円はひどい。
いくらGWといえども、これではあんまりだ。いっそのことオートキャンプ場にでも泊まればよかった。
私たち夫婦の憤慨をよそに、天気は今日も快晴。海岸線沿いに愛媛県をぐるりと回るべく車を走らせた。国道196号はJR予讃線に沿って通っているため、看板屋敷の発見が大いに期待できる。 「清酒 金陵」の看板はよく目につくが、どれも単体のため撮影をパスし、菊間町に入った。
3月の広島遠征をご一緒した「壁からのメッセージ」ののぶ太郎さんに教えていただいた看板屋敷は、汐風に耐えてよくぞ残っていた、という感じであった。定番の看板ばかりだが、充分に存在感がある屋敷だった。
そして、松山市(旧北条市)では、愛媛を代表する看板屋敷に遭遇したが、酒、殺虫剤、家電など12枚の看板が貼られているも、残念ながら庭木が邪魔して全体が写せなかった。往時は人の目をさぞ引いたことだろう。
ここまで気をよくして走っていたが、看板屋敷の撮影に夢中になりすぎてしまい、道後温泉をパスするという失敗をやった。
讃岐うどんについで、四国に来た目的のひとつだったので、愕然。カミさんの顔が曇り始めている。 私にとっては松山は憧れの地で、司馬遼太郎著『坂の上の雲』の正岡子規や秋山好古、真之兄弟の足跡を巡ることもしたかったが、道後温泉を忘れるぐらいなのでまったく時間の余裕がなく、高知までの行程を考えると先を急ぐしかなかった。
気分を変えて、内子と大洲では江戸時代から残された町並みをのんびりと歩いた。内子では「酢卵」というなんだか得体の知れない飲み物を売っていたが、手が伸びつつもパス。
大洲は山田洋次監督『男はつらいよ 寅次郎と殿様』(第19作・1977年)の舞台になったところだ。よく覚えているシーンとしては、寅さんが大洲城の石垣の上から500円札を落として、下を歩いている殿様(嵐寛寿郎)の眼前にヒラヒラと舞い落ちる…。
落ち着いた威厳がある大洲の町は、幕末から明治にかけての町並みや路地がそのまま残っており、映画のセットが現代に生きているような透明感がある町だった。

探検レポート89

午後になり、大洲から再び海岸線に沿って南下した。愛媛のみかんを象徴するように、国道脇にはみかんをたくさん山積みした店舗が並ぶ。季節外れを承知で伊予柑(いよかん)はあるか、などと冷やかしながら通過。
宇和島から内海村(現・愛南町)、一本松町を通って、ようやく愛媛県に別れを告げた。
高知県は何故か分からないが、静岡県と並んで琺瑯看板が極端に少ない県と言われている。宿毛市から四万十市にかけては、地酒の看板がぽつりぽつりと目についたが、それ以後はさっばり。それどころか、四万十町を過ぎた辺りで、2時間を超える強烈な渋滞にはまってしまい、期待していた佐川町が日没後の通過となったのも痛かった。
はりまや橋を渡って、土佐22万石の城下町である高知市に入ったのは20時を回っていた。予約したホテルの駐車場はすでにいっぱいで、カミさんと荷物をフロントに残し、600メートルも離れた有料駐車場に車を置いてホテルに戻ってくるのも、あごが出るほど疲れていた。(つづく)
(2006.5.21記)
※画像上/大洲の町並み。裏通りの路地に入ると、静かな民家が軒を連ねていた。



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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