琺瑯看板探検隊が行く

酒蔵と看板

酒蔵岐阜

東濃の酒蔵(13)

㈱三千盛

■多治見市笠原町2919  
■代表銘柄/三千盛
1771年(安政年間)創業。知る人ぞ知る岐阜県の有名蔵。戦後の甘口全盛時代にも辛口の酒を造り続け、「三千盛」は辛口の代名詞的な存在。作家の永井龍雄が愛飲したことでも知られている。
毎年11月末に酒蔵フェステバルを開催、クラッシックやジャズのコンサートを開放した蔵で行い、大勢の人たちで賑わう。 私の自宅から至近ということもあり、毎年フェステバルに参加し、酒蔵見学をしている。
数年前までは越後杜氏による酒造りを行っていたが、現在ではすべて機械管理されている。毎年購入する新酒「しぼりたて純米大吟醸」はフルーティな辛口の味わいで、私が大好きな酒。蔵の関係者の話では、
ホーロー看板については作成しなかったという。酒蔵には「酒は現金で名古屋国税局」の看板が貼られている。木製看板については地元の酒屋で見ることができる。(2008.11.23撮影/訪問多数) 

千古乃岩酒造㈱

■土岐市駄知町2177-1   
■代表銘柄/千古乃岩
1909年(明治42年)創業。蔵がある土岐市駄知町は美濃焼の産地として有名で、特にどんぶりを中心とした陶器の生産量は日本一を誇っている。蔵は静かな町並みの目抜き通りに構えている。
酒名の「千古乃岩」は駄知町にある「稚児岩」という巨岩から取られている。 私にとっては地元の蔵ということもあり、看板を探しているのだが、未発見である。(2009.2.22訪問)

沢田酒造㈱

■土岐市泉町久尻1-6   
■代表銘柄/幾久泉・玉寶貴
1890年(明治23年)創業。土岐市の中心部にある蔵。JR中央線土岐市駅から至近。リカーショップも併設されている。地元民なのにいまだ飲んでいないお酒。看板の有無は不明。(2009.2.22訪問) 

中島醸造㈱

■瑞浪市土岐町7181-1   
■代表銘柄/始禄・小左衛門
1702年(元禄15年)創業。軒を連ねる若葉㈱と並んで東濃地方でも最も歴史がある蔵。当代中島小左衛門用信が年貢米を活かし酒造りを始めたのが最初とされる。
代表銘柄の「始禄」は蔵の脇を流れる土岐川の伏流水で造る。蔵の外観は老舗の蔵らしく存在感がある。 看板の有無は不明。(2007.2.3訪問/2009.2.22再訪) 

若葉㈱

■瑞浪市土岐町7270-1   
■代表銘柄/若葉・美濃路・土岐川・美濃源氏
1688年(元禄15年)創業。江戸時代、瑞浪市は市内北部を中仙道が通り、大萩・細久手の二つの宿場があり、蔵がある益見地区には下街道が通って、かなりの賑わいをみせていたようだ。
美濃源氏を輩出した土地である土岐川沿いには、領地ごとに多くの蔵があったというが、今では「始禄」を造る中島醸造と、若葉の二つになってしまった。
2009年には小室等を迎えての酔いどれコンサートも開かれており、地元の人々にも人気の蔵である。 看板の有無については不明。次回訪問時に確認したい。(2007.2.3訪問/2009.2.22再訪)

いとう鶴酒造㈱

■平成18年廃業
■恵那市武並町竹折1760   
■代表銘柄/いとう鶴・鷹の花・灘娘・心・恵那峡・天佑稲荷・中仙道鬼ころし・中仙道大井宿・俺の酒
■看板/①酒はいとう鶴(赤) ②酒はいとう鶴(黄)
1823年(文政6年)創業。創業者伊藤源兵衛の名をとり酒名とした。東濃地方でも販路を拡大した銘柄だったが、平成18年に廃業。蔵の門は閉ざされ、静寂のときを迎えている。
看板は地元の瑞浪市、恵那市で2種類を確認。瑞浪市ではブリキ製の看板も確認した。(2009.2.22訪問)

岩村醸造㈱

■恵那市岩村町342   
■代表銘柄/ゑなのほまれ・幻の城・女城主・魯山
■看板/酒はゑなのほまれ(吊り)
1787年(天明7年)創業。元は岩村藩御用達の運送業を本業とし、酒造業は副業だった。
明治になり岩村藩が消滅したことで酒造りが本業となり、その後大正10年に株式会社を設立、同時に味噌、しょうゆ、みりん、焼酎なども造るようになった。日本酒専業となったのは戦後から。
岩村といえば“女城主”で有名な岩村城がある(写真)。女城主の由来は、織田信長が岐阜城を手に入れた後、遠山氏と同盟を結び、この遠山景任に自分の叔母である「おつやの方」を嫁がせ、この絶世の美女「おつやの方」が岩村城を治めたことが伝承となっている。
看板は2019年に蔵元で発見。(2005.2.26訪問/2009.5.6/2019.3.15再訪)

はざま酒造㈱

■中津川市本町4-1-51   
■代表銘柄/恵那山・五味饗宴・巴雛鶴
■看板/①清酒 雛鶴 トモエヒナツル 間吟醸   ②銘酒 三益巴 ミマストモエ 間酒造
1893年(明治26年)創業。中山道の四六番目の宿場町、中津川宿にある蔵。代表銘柄は「恵那山」と「五味饗宴」。
恵那山は深田久弥の「日本百名山」として有名で、地元の人々から親しまれている恵那山(2191㍍)より命名。
看板については蔵の入口に2枚の小型短冊看板が貼られていたが、現在は撤去されている。(2005.3.7訪問/2009.5.6他再訪多数)

丸田屋酒造㈱

■中津川市坂下3256   
■代表銘柄/太公望・芭蕉・鮎
■看板/酒王 太公望(黒板タイプ)
1877年(明治10年)創業。JR中央線坂下駅南の集落にある蔵。HPを見ると主要銘柄は「太公望」のようだ。歴史を感じるレンガ煙突や建物は雰囲気があり、絵になる蔵である。訪ねたのが正月4日とあって、門が閉ざされていた。
看板は蔵の外壁に貼られた黒板一体型の「太公望」を確認。黒板タイプは、これまでに肥料看板で何度か遭遇しているが、地酒では初見である。(2010.1.4訪問)

山内酒造場

■中津川市上野134-1   
■代表銘柄/弥榮さっさホイさっさ・小野櫻・裏木曽山麓・さくらさくら・春一番地
創業年不明。自称”日本一小さい造り酒屋”。HPによると、先祖は鎌倉からの落ち武者がこの山奥に入って、刀を捨てて百姓になったと言い伝えられている…とある。
坂下町から付知に至る県道3号線沿いの山間にある。訪ねたときは、降ったばかりの新雪にすっぽりと覆われていた。看板の所在は不明。(2010.1.4訪問)

三千桜酒造㈱

■中津川市田瀬25   
■代表銘柄/三千桜
1887年(明治20年)創業。付知街道と呼ばれる国道256号から脇道に逸れた田瀬集落にある。小さな蔵だが、米も極力農薬をつかわず育てた自家栽培のものと地元の米を使い、仕込水も自社の山から湧き出る清水を使用している。
看板は蔵の入口にブリキ製の手書き看板が貼られている。(2007.2.3訪問/2010.1.4再訪)

(有)大橋酒造

■中津川市蛭川1119-1-1-2   
■代表銘柄/笠置鶴・二八酒
1908年(明治41年)創業。山間に建つこじんまりした蔵。代表銘柄の「笠置鶴」は地元の笠置山(1128㍍)から付けられた。
笠置山はその名の通り笠をかぶせたようなピラミッド型の山である。近年、フリークライミングのエリアとして脚光を浴びている。
また、『男はつらいよ』の44作目「寅次郎の告白」の最後のシーンでこの酒蔵が出てくる。 看板の有無は不明。(2007.2.3訪問/2010.1.4再訪) 

恵那醸造㈱

■中津川市蛭川1119-1-1-2   
■代表銘柄/鯨波 ■看板/①皇國銘酒 殿侍 長瀬本家吟醸  ②皇國銘酒 鯨波 二ッ森 長瀬吟醸
1818年(文政元年)創業。花王石鹸(現・花王㈱)の創始者である長瀬富郎の生家として知られている。昔は長瀬醸造と名乗っていたようだ。
実はこの蔵の存在を知ったのはまったくの偶然だった。東京にある花王㈱の花王ミュージアムで見たビデオに、この蔵の映像とそこにある2枚のホーロー看板が写っていたのだ。
「モロに私のテリトリーじゃないか」…愕然としつつも、食い入るように映像を目に焼き付けた。
国道から細い県道に入り、二つ森山方面に向かう。クルマが急な坂をぐんぐん登っていくと、ビデオで見た酒蔵がそこにあった。「鯨波」と藍色ののれんに染め抜かれたすぐ横に、2枚の真っ赤なホーロー看板が貼られていた。
毎日丁寧に磨いているのだろうか、「磯侍」と「鯨波・二つ森」の看板は光沢を放ってピカピカに光っていた。 あたりの景色ものんびりとしてすがすがしい。山里こそホーロー看板が似合うと、改めて思う。
社内研修の折に、茨城県にある研修所で飲んだ日本酒が「鯨波純米吟醸」だった。日本酒はあまり強くない身だが、きりっとした飲み口に、気がついたら四合瓶を空けてしまった。(2007.2.3訪問) 

中濃の酒蔵(16)

伊藤酒造㈱

■可児市兼山759-2  
■代表銘柄/烏峯泉・蘭丸 ■看板/①淸酒 烏峯泉 ②天下の銘酒 烏峯泉 ウホウセン
1909年(明治42年)創業。古い町並みが残る兼山町の旧街道に建つ酒蔵。戦前の最盛期には兼山町には25軒の蔵元があったとされているが、今残っているのは伊藤酒造の1軒だけとなった。
名鉄兼山駅も廃止され、兼山の町は静寂の風景に変わっている。「烏峯泉」のホーロー看板は兼山町と多治見市で2アイテムを確認。(2005.6.11訪問/2009.1.3再訪) 

林酒造㈱

■可児市羽崎1418  
■代表銘柄/富輿・光秀・志野の里・美濃天狗・かくれ里
■看板/①淸酒 富輿 トミコシ  ②焼酎は金時
1877年(明治10年)創業。代表銘柄「美濃天狗」の酒名は蔵元近くの神社「こびの天狗山」よりとられた。
新酒の蔵開きで再訪したときは、ご主人の好意で酒蔵見学をさせていただいた。「美濃天狗しぼりたて生原酒」を購入。精米歩合50%の原酒はすっきりした味わいだった。
ホーロー看板は「清酒 富輿」を確認。地元の可児市では見つけていないが、金山町のJR高山本線沿いの小さな集落で発見した。
また、「焼酎は金時」も林酒造の看板である。掲載した看板は現在は消失している。(2009.2.22訪問/2009.3.29再訪) 

㈱平井酒造場

■可児郡御嵩町中切1341  
■代表銘柄/東美・宮太鼓・神代の味
1869年(明治2年)創業。国道沿いに建つこじんまりとした酒蔵。蔵に直売所が併設されている。ホームページ等で情報が公開されておらず、機会があればお酒を購入して味わってみたい。看板の所在は不明。 

(合)山田商店

■加茂郡八百津町八百津3888の2   
■代表銘柄/玉柏・初恵比寿・春楽・吉宝・むかしのまんま・恋度(LEND)・灘姫・金花水
■看板/①酒ハ金花水 山田醸  ②酒は春楽 山田醸  ③酒ハ金花水/酒は春楽  ④酒は玉柏/金花水  ⑤うまい焼酎 初恵比寿 山田醸     
1868年(明治元年)創業。良質な水に恵まれ昔から酒造りが盛んだった八百津町の蔵。町の中心地でも一段と目を引く建物である。蔵と向かい合わせにある店舗には「うまい焼酎初恵比寿」の看板が目を引く。以前は日本酒ばかりでなく焼酎も造っていたという。
「玉柏ささ濁り」を購入。すっきりした味わいのうまい酒。
ホーロー看板は東濃地方を中心に下呂市あたりまで貼られている。「酒は春楽」や「金花水」は岐阜県下でも現在最も多く残っている看板である。(2005.2.26訪問/2009.2.22再訪)  

花盛酒造㈱

■加茂郡八百津町八百津4091   
■代表銘柄/菊花盛・花盛・花盛寒しぼり ■看板/①酒は花盛  ②優等清酒 花盛     
1886年(明治19年)創業。山田商店と競い合うよりに建っている蔵。重厚な黒塗りの蔵が素晴らしい。「花盛大吟醸」は山田錦を37%まで磨いた逸品。創業当時は「はなもり」ではなく「はなざかり」と呼ばれていた。
看板は蔵元の他、八百津町内と白川町で見つけている。2012年3月に新酒開きで蔵の中に足を踏み入れたとき、小型の短冊看板を発見した。あまりのうれしさに大吟醸花盛をお土産に購入。
下の写真は私が注文したお酒を、巨大なホーロータンクからその場で壜に詰めている様子。(2005.2.26訪問/2009.2.22再訪/2012.3.3再訪) 

古田酒造(合)

■2012年廃業
■加茂郡八百津町八百津3285-1   
■代表銘柄/蘇水峽・梅の貴婦人・イルバチオ・天秀・雪中寒梅・昇運竜・日本まん真ん中・天宥花・開運花子
■看板/①酒は天秀  ②吟醸酒蘇水峡/銘酒天秀 八百津古田醸     
1877年(明治10年)創業。八百津の中心から少し離れた場所に建っている。蔵の入口の硝子引き戸には「天秀」の文字が書かれている。現在の代表銘柄「雪中寒梅」よりも、地元では「蘇水峽」や「天秀」のほうが馴染み深いようだ。
蔵元には看板はないが、「天秀」を中津川市で、「吟醸酒蘇水峡/銘酒天秀」が対になっているものを瑞浪市で発見した。(2005.2.26訪問/2009.2.22再訪)

平和錦酒造㈱

■加茂郡川辺町下麻生2121  
■代表銘柄/ひさご金泉・古原酒・飛騨路の寒椿
■看板/①酒王 金泉 キンセン 平和錦酒造醸 ②酵良清酒 金泉 キンイズミ 美濃下麻生 前島酒造場 ③優等清酒 麻の露 アサノツユ 美濃下麻生 前島酒造場 ④登録商標 銘酒 平和錦 ヘイワニシキ 美濃下麻生 前島酒造場
1850年(嘉永3年)創業。岩壁がそそり立つ遠見山の直下に建つ蔵。切妻の両端にうだつが上がる創業者の前島家本宅の前には旧飛騨街道が通っている。土蔵倉は160年以上前に建てられた蔵で、今も現役である。マスコミ取材も多く、地元のテレビ局の旅番組でも紹介されている。
蔵にある試飲ギャラリーで「飛騨路の寒椿 本醸造」二合瓶を購入。すっきりした飲み口だった。 看板については蔵の中に4枚が残っている。「金泉」「麻の露」「平和錦」の短冊は、店主の話ではいずれの看板も戦前のもので、「前島酒造」は旧の社名だという。
また、「カブトビール」は戦前から蔵の中に転がっていたという。どういういきさつで「カブトビール」の看板があったのか、今となっては分からないという返答。(2009.2.22訪問) 

白扇酒造㈱

■加茂郡川辺町中川辺28  
■代表銘柄/花美蔵
■看板/銘酒 白扇 (裏面は福来 本直し)
1899年(明治32年)より酒造開始。実際の創業は江戸時代後期で、元々はみりん屋からスタートしている。明治時代は加藤醸造店として親しまれ、焼酎やみりんの製造を行っている。現在も主流は本みりんで、人気商品である。
平成4年に、清酒の品質にも力をいれるため清酒銘柄名を「黒松白扇」から「花美蔵」に変えている。 看板については、関市内の酒屋で今はなき銘柄「白扇」を発見している。(2009.2.22訪問)  

(有)松井屋酒造場

■加茂郡富加町加治田688-2  
■代表銘柄/睦鳥・松蔭・半布里戸籍・加治田城・黒米酒・赤米酒
1884年(明治17年)創業。店舗が開かれたのは寛政7年(1795年)。それ以前から酒造りがされていたとうが詳細は不明。町屋の代表的家屋を今に残している。帳場も江戸時代の落ち着いたたたずまいを見せている。
蔵の中は資料館となっており、江戸時代からの酒造道具や生活用具、文書類が展示されている。また、春の時期には雛人形が展示される。 ホーロー看板については作られていない。(2009.2.22訪問)

御代桜醸造㈱

■美濃加茂市太田本町3-2-9  
■代表銘柄/御代櫻
■看板/①酒は御代櫻(黄色) ②酒ハ御代櫻(赤字) ③酒は御代櫻(短冊) ④清酒・焼酎 甘味ブドー酒 御代櫻 ミヨサクラ 御代櫻吟醸(吊り) ⑤銘酒 栄櫻 サカエサクラ 御代櫻吟醸(吊り) ⑥酒ハ栄櫻 ⑤銘酒、焼酎 御代櫻 新清酒 栄櫻 美濃太田 御代櫻醸造(短冊) 
1893年(明治26年)創業。中山道太田宿にある蔵。銘柄の「御代櫻」は、古来から日本人が愛してきた桜の花の五弁花を日本酒の『甘・辛・酸・苦・渋』の五味五感の調和の象徴として、また八重咲きの桜である十弁花を酒の十徳を表すものとして、酒造に携わる幸せを桜に託し、日本民族の未来永劫の弥栄を祈念して命名された(同社HP引用)。
製品は清酒の他に焼酎や梅酒、漬物も造っている。五代目・渡辺直由蔵元は現、美濃加茂市長。
現在発見した看板は2ブランド9種類。「栄櫻」はについては過去の銘柄だが、現在も酒店や民家に残っている。看板は店舗以外にも地元の中濃地方をはじめ、多治見市など東濃地方でも見つけており、鉄道沿いにも貼られている。
ホーロー看板を使った広告戦略に力を入れていたことが伺える。(2005.3.5訪問/2009.2.22他訪問多数) 

㈱小坂酒造場

■美濃市相生町2267番地  
■代表銘柄/百春
■看板/高級清酒 ヒカリ百春 小坂酒造 
1772年(安永元年)創業。うだつがあがる町並みの中に構えている蔵。工場は少し離れた場所にある。蔵元の建物は国の重要文化財に指定されている。 看板は工場のフェンスに2枚貼られている。(2008.12.6訪問)

村井酒造㈱

■廃業年不明
■美濃市泉町1569番地 
■代表銘柄/美の泉・酒中仙
1874年(明治5年)創業。近年廃業したようだが、年月日は不明。蔵の近くには蔵の経営(?)と思われる小料理屋があった。業態変換したのだろうか。
美濃市内を中心に看板を探したが、いまだに見つけていない。他サイトの情報では、盃型の「美の泉」の看板が報告されている。(2008.12.6訪問) 

(合)太糸屋酒造場

■廃業年不明
■美濃市曽代1034 
■代表銘柄/菊華名門
■看板/優等清酒 名門 メイモン 太糸屋酒造場
1736年(元文3年)創業。美濃市中心部から長良川に沿った郡上街道沿いにある蔵。屋根にはうだつが上がり、建物も重厚な造りである。馬つなぎの石も置かれている。
2005年4月に訪ねたときは看板も掛かっていたが、2009年2月に再訪したときには看板も外され、すでに廃業していた。 看板は蔵元に掛かっていたもののみ発見している。(2005.4.23訪問/2009.2.22再訪)

(合)平野本店 

■郡上市八幡町本町865-1 
■代表銘柄/積翠・春駒・宗祇
■看板/優等清酒 積翠 セキスイ 白雲 シラクモ 郡上八幡 平野本店吟醸
1933年(昭和8年)創業。郡上八幡の中心地にある蔵。観光客も多く、一際目立っている。酒名の「積翠」は八幡城の別名積翠城から取っている。
看板は蔵の中に以外に白鳥町でも発見している。(2005.4.23訪問/2005.5.21/2009.6.14再訪)

平野醸造(合)

■郡上市大和町徳永164 
■代表銘柄/母情・八竹・一豊の妻・郡上一揆
■看板/優等清酒 甘露 カンロ 純良焼酎 瓢六 ヒョウロク 郡上徳永 平野醸造醸
1873年(明治6年)創業。酒名は創業者平野吉兵衛の妻じゅうの精神を生かして「母情」と名付けられた。大和町の名水である「長刀清水」を醸造所内に引き込んで、酒造を行っていることでも有名である。
「母情」の看板ブリキ製を八幡町や大和町で見つけているが、ホーロー製は未発見。白鳥町では別銘柄の「甘露」を発見している。(2009.6.14訪問) 

布屋原酒造場

■郡上市白鳥町白鳥991 
■代表銘柄/元文・大日泉
1740年(元文5年)創業。蔵は白鳥町の中心に近く、正面の主屋は大正11年の白鳥大火後に建替えられたが、袖壁を従えた大柄な町家建築で、間口も広く見応えがする。 
奥にあった蔵は消失を免れ、現在でも創業時に建てられた蔵を利用し仕込みを行っている。 創業者の原左近衛門正繁は「近江惣市」でのめでたき『白布』にちなみ、屋号を布屋と命名したと伝えられている。酒名の「元文」は創業時の年号から取られている。
看板の有無は不明。(2009.6.14訪問)

岐阜地区の酒蔵(8)

菊川㈱

■各務原市鵜沼西町1-543 
■代表銘柄/菊川・篝火
■看板/①酒は菊川 ②灘の生一本 菊川 ③酒はき久川 ④銘酒 菊川 武藤醸(短冊) ⑤焼酎 菊川 ⑥キクカワポートワイン 武藤醸
1871年(明治4年)創業。昭和38年に現在の社名になるまでは武藤醸造株式会社と名乗っていた。本拠地は東海道の鵜沼宿で、創業者の武藤家は代々自民党の代議士を務めた家柄である。製造品目は清酒、焼酎、みりん、リキュール等を造っている。
かつては灘五郷の神戸市灘区に工場があり、岐阜県から進出した灘の酒造会社であった。
それを証明するものとして、岐阜市内で「灘の生一本 菊川」の看板を見つけている。 さすがに岐阜県でも有数の酒造会社であるだけに、ホーロー看板を使った広告戦略を積極的に行っていたようで、これまでに6種類の清酒、焼酎、ワインの看板を見つけている。
発見場所も地元岐阜県ばかりでなく、南は豊橋市、西は滋賀県米原市で見つけており、JR東海道本線に沿った家屋に貼られたようだ。「銘酒 菊川」と「キクカワポートワイン」の看板には“武藤醸”のロゴが入っており、昭和30年代のものと思われる。(2009.3.21訪問)  

㈱林本店

■各務原市那加新加納町2239 
■代表銘柄/楽自慢・征空・楽天・征空鬼ころし・榮一
■看板/①銘酒 征空 林本家醸 ②銘酒 楽自慢 林本家醸
1920年(大正9年)創業。中山道の新加納宿で90年以上続く蔵。建物は近代的な外観。代表銘柄の「榮一」は世襲制の蔵元の名前から取っている。
各務原市内の廃業した酒屋で2枚の看板を発見した。(2009.3.1訪問) 

(合)白木恒助商店 

■岐阜市門屋5-1  
■代表銘柄/ダルマ正宗・寿天喜・淡墨桜
■看板/①銘酒 だるま正宗 白木醸 ②銘酒 ダルマ正宗 山県 白木醸
1835年(天保6年)創業。岐阜市北部の田園地帯にある蔵。蔵の外には大釜が展示してある。早くから古酒づくりを手がけており、種類も多い。
「純米酒薄墨桜」を購入。カンカンに冷やして飲んだが、きりりとした中に米の旨みのまろやかさを感じる味わいだった。 看板については蔵の入口と展示してある大釜の柱に2枚が貼られている。(2009.3.21訪問)

足立酒造(合)

■岐阜市琴塚3-21-10  
■代表銘柄/日の出鶴・酔郷・金華山・稲葉城
1861年(文久元年)創業。一見すると鉄筋のアパートのような建物。代表銘柄の「日の出鶴」の由来は、めでたい「日の出」と「鶴」の造語。地元では冠婚祭の祝い酒として人気がある。
看板の有無は不明。(2009.3.21訪問)

日本泉酒造㈱

■岐阜市加納清水町3-8-2  
■代表銘柄/日本泉・織田信長
1902年(明治32年)創業。江戸時代末期に現在の茶屋新田にて酒造りを始めたのが最初とされる。明治初頭に加納清水町に移転。JR岐阜駅前に壮観なビルを構える蔵である。酒蔵は地下一階にあり、見学もできる。
訪ねた日は雪降りということもあり、あいにく営業をしておらず、入口にある酒樽を撮影しただけになってしまった。 看板の有無は不明。(2010.1.15訪問)

柴田酒造

■2001年(平成13)廃業
■本巣郡北方町北方1512  
■代表銘柄/老松・夢桜・根尾泉
1717年(享保2年)創業。北方の古い町並みの中心的な存在であり、250年以上も続く岐阜県の老舗蔵だったが、2001年6月岐阜地裁から破産宣告を受け事業を停止した。(岐阜新聞より) 帝国データーバンクによると負債総額2億6千万円。蔵の跡地は現在、一戸建ての集合団地となっている(写真下)。
看板については、2019年に県内で『老松』を発見。(2010.1.10訪問)

杉山酒造㈱

■2004年(平成17)頃廃業
■本巣市上高尾817  
■代表銘柄/美の自慢
■看板/酒は 美の自慢 杉山酒造吟醸
明治中期創業。旧・糸貫町の田園地帯にある蔵。平成17年頃に廃業したが、蔵はそのままの景観で残っている。今は不要となった孤高の煙突が聳え立ち、少し離れた田んぼのあぜ道からファインダーを覗くと、酒蔵特有の存在感を感じた。絵になる蔵である。
看板は本巣市の旧・根尾村の酒屋で発見。また、レトロ感溢れる木製看板については、大野町の酒屋で見つけた。(2009.3.21訪問/2010.1.10再訪)  

西濃の酒蔵(11)

吉田(合)

■2008年12月廃業
■安八郡輪之内町大籔623
■代表銘柄/大輪・鵜舟・みぞれ酒・文菊・万歳菊・富士駒・全勝だるま
1914年(大正3年)創業。輪之内町は養老山脈の東に広がるのどかな田園風景が展開する町。長良川の伏流水と伊吹山からの冷たい北西の風が吹き付ける気候が酒造りに適した土地という。
2015年に銘柄『大輪』を岐阜県大垣市伝馬町の武内合資会社が復活販売した。
店舗を兼ねた蔵の正面にはたばこや酒の看板が掛かっているが、地酒看板の有無は不明。(2009.3.21訪問) 

千代菊㈱ 

■羽島市竹鼻町2733  
■代表銘柄/千代菊・出世酒藤吉郎・光琳・酒温泉・玉の肌・蔵人気質・田翁
1738年(元文3年)創業。250年以上にわたる歴史を持つ岐阜県最大の蔵。千代菊㈱がある羽島市は濃尾平野の穀倉地帯で、長良川の伏流水がある酒造好適地といわれている。
竹鼻町には古い町並みも残り、中でも千代菊の蔵は一段と目立っている。 看板の有無は不明。(2009.3.21訪問)

林彰一郎

■廃業年不明
■羽島市上中町沖1493  
■代表銘柄/泉松竹・光琳 1912年(明治45年)創業。すぐ隣接した場所には牛乳工場がある立地。すでに廃業しているようだが、蔵の入口の門が閉ざされ、遠くから望見。
情報が少ないので、今後も取材を継続したい。(2009.3.21訪問・2019.10.30再訪)
とらのしっぽさんよりの情報で、2018年に看板発見。

㈱三輪酒造

■大垣市船町4-48  
■代表銘柄/吟雪花・白川郷にごり酒・大天狗・道三
1837年(天保8年)創業。“水の都”大垣市には5軒の蔵があるが、中でも三輪酒造は老舗蔵のひとつ。
代表銘柄の「純米にごり酒白川郷」は、白川村元和田村長が三輪酒造前社長三輪春雄に、どぶろく祭り用に売れるどぶろくを造ってもらえないかという提案により、実現した人気ブランド。 看板の有無については不明。(2009.3.21訪問) 

竹内(合)

■大垣市伝馬町1  
■代表銘柄/御幸鶴・兄花・美濃紅梅・大垣城・平成菊
■看板/酒は兄花 コノハナ
1744年(延享元年)創業。代表銘柄の「美濃紅梅」は岐阜県の梅の名所、梅林公園にちなんで付けられた。
看板は「兄花」を大垣市と瑞穂市で発見。「兄花」の由来は梅の花の意味で、百花に先駆けて咲くことからその名がある。
かつてJR東海道本線沿いには「兄花」の看板が多数貼られていたようだが、現在では車窓から見えるのは1枚のみとなってしまった。(2009.3.21訪問) 

渡辺本家

■大垣市林町8-1126  
■代表銘柄/美濃錦・紅葉山
■看板/酒は美濃錦
1902年(明治35年)創業。蔵がある大垣市は鉄分の少ない良質な地下水に恵まれており、その水を使って越後の杜氏が仕込む酒である。
看板は岐阜県西部の春日村(現・揖斐川町)の山中にある小さな集落で発見。しめ縄がデザインされた目立つ看板である。(2009.7.30訪問/2009.3.21再訪)  

宮脇酒造(合)

■大垣市東町1-468  
■代表銘柄/初霜・磯波・菊一番
1868年(明治元年)創業。大垣市郊外の住宅地にある蔵。蔵の敷地内には楠の巨木がある。
岐阜の友人から代表銘柄の「磯波」は安くて旨いという評判を聞いていたので、飲んでみたくなり大垣市内で酒屋を何件か回ったが、残念ながら置いてなかった。
看板の有無は不明である。(2009.3.21訪問) 

杉原酒造㈱

■揖斐郡大野町大字下磯1  
■代表銘柄/千代乃花・濃陽・火祭り・夜又姫・昔の酒・揖斐川・花菱
■看板/①清酒 千代乃花 ②酒は千代乃花 杉原醸
1895年(明治25年)創業。養蚕業を営んでいた初代が、現在地で創業したのが始まり。揖斐川と根尾川に挟まれた穀倉地帯で、自然の利を酒造りに活かす。
「杉原酒造」の灯明に導かれて、まっすぐに蔵に向かうと、優秀な番犬にさんざん吠えられてしまった。 看板は鉄道系の大型タイプで、蔵元の他は揖斐川町根尾、谷汲で発見している。
※2019年10月に再訪すると、蔵の入り口前にはカフェが建ち、『千代乃花』の短冊看板がずらりと並んでいた。(2009.3.21訪問・2019.10.30再訪)

大塚酒造㈱

■揖斐郡池田町池野422  
■代表銘柄/清松正宗・ききょう太鼓
1885年(明治18年)創業。濃尾平野の最北端に位置する池田町は町の東に揖斐川が流れ、西には池田山がそびえる自然豊かなところ。昔から良質の米を産するところで、県内有数のお茶の産地としても知られてる。
訪ねた蔵は一見すると古びたマンションのようだった。蔵がある池野付近には古い町並みも残っており、肥料や調味料のホーロー看板も見つけている。 看板の有無は不明。(2009.3.21訪問) 

池田屋酒造㈱

■揖斐郡揖斐川町三輪612-1  
■代表銘柄/富久若松・かめぐち
■看板/清酒 若松 ワカマツ
1689年(元禄2年)創業。揖斐川町三輪の町並みでひときわ目に付く建物である。裏側に回ると黒く聳え立つ煙突が見えた。代表銘柄の「富久若松」は末久しく栄えるようにとの願いを込めて名づけられたという。
2019年10月に揖斐川町の山奥の集落で看板を発見(KANKANさん情報にて撮影) (2005.11.13訪問/2009.3.21再訪/2019.10.30再々訪) 

所酒造(合)

■揖斐郡揖斐川町三輪537-1   
■代表銘柄/房島屋・桜千代乃春・揖斐の蔵・おやじ酒
1818年(文政元年)創業。揖斐川町三輪の町並みから、揖斐川町役場方面に行った少し離れた位置にある蔵。代表銘柄の「桜千代乃春」の酒名は明治初期から使っている。また、新ブランドの「房島屋」は所酒造の屋号からとったもの。看板の有無は不明。(2009.3.21訪問)

飛騨地区の酒蔵(12)

奥飛騨酒造㈱

■下呂市金山町金山1984   
■代表銘柄/孝池水・中山七里初緑・合掌造り・奥飛騨
■看板/清酒 中山七里 初緑 高木酒造
旧・高木酒造。1720年(享保5年)創業。下呂市金山は飛騨街道の要所として栄えた町。緩くカーブした道に、どこか懐かしさを感じる古い町並みが残る(下画像)。
中でも高木酒造はいちだんと目を引く建物である。銘柄の「中山七里初緑」は天保年間から続く銘柄。酒名の中山七里は飛騨川の景勝地から取っている。
看板は蔵に1枚残っている。以前は蔵の入口に立てかけてあったが、現在は蔵の中に保存されている。また、「初緑」のブリキ製の看板は、国道41号線沿いの家屋に貼られているのが見られる。(2009.6.14訪問)  

天領酒造㈱

■下呂市萩原町萩原1289-1   
■代表銘柄/天領・飛切り・とっとき
■看板/①清酒 米焼酎 天領 天領酒造株式会社 ②天領 上野田醸 ③米焼酎 天領 テンリョウ
1688年(元禄元年)創業。初代は滋賀県日野の出身。明治になって酒造業として家業を行うことになり、昭和31年に現在の社名となった。飛騨地方ではよく飲まれているお酒で、もちろん私にとっても好きな酒のひとつ。日本酒の他には焼酎も造っている。
看板は蔵にはないが、高山市久々野町、下呂市、中津川市で3種類4枚見つけている。下中の“上野田醸”のロゴは創業者の苗字である。また、ブリキ製の看板も国道41号線沿いの家屋に貼られている。(2009.7.5訪問) 

(有)原田酒造場 

■高山市上三之町10   
■代表銘柄/山車
■看板/優等清酒 登録商標 山車 サンシャ 高山市 原田吟醸
1855年(安政2年)創業。初代が庄屋から転業し、酒造りを始めたと伝えられている。高山の旧城下町「三之町」は徳川幕府直轄地で、酒造業が盛んな場所。ざっと数えても8軒ほどの蔵が軒を連ねている。
「山車」の由来は高山祭りの山車(だし)から取っている。 看板は蔵の中に1枚と、蔵の裏口に1枚が貼られている。他には見つけていないので、大事に保存されてきたものだろう。
最も、撮影の際に、従業員に裏口にも看板があったことを伝えると、「それは知りませんでした」との返答だった。撮影のお礼に「山車 吟醸 超辛口」を購入。早速飲んでみたが、フルーティな吟醸の味わいに慣れた舌にはいまひとつだった。(2008.12.6訪問) 

(有)舩坂酒造店

■高山市上三之町105   
■代表銘柄/深山菊・飛騨の甚五郎・飛騨仙郷
■看板/清酒 深山菊 舩坂吟醸
1935年(昭和10年)創業。原田酒造場と向かい合わせに建つ蔵。「深山菊」は飛騨地方の人々に最も親しまれている酒だ。私の妻の実家がある高山市では、酒といえば「深山菊」だった。
20年ほど前まで、実家の壁には「深山菊」の正方形の大型ホーロー看板が2枚貼られていた。その後、亡くなった義理の祖父がほうれん草の作業小屋の屋根に貼ってしまった(笑)。
それ以来、ずっと気になっており、「深山菊」の看板を探しているが、いまだに見つけていない。 写真の看板は、高山市久々野町の酒屋で見つけたもの。蔵元には残っていないので、今となっては貴重な看板である。(2008.12.6訪問) 

(有)老田酒造店

■高山市清見町牧ヶ洞字梨洞口1928   
■代表銘柄/飛騨自慢 飛騨自慢鬼ころし
■看板/銘酒 老杉 老田酒造
1716年(享保元年)創業。以前は高山市上一之町62に蔵があったが、現在は有料駐車場になっている。平成3年より本社を清見町に移転し酒造りをおこなっている。
小売店舗は高山市上三之町にある。(未撮影) 看板は高山市久々野町の酒屋で見つけたもの。(2008.12.6訪問) 

㈱平田酒造場

■高山市上二之町43   
■代表銘柄/酔翁・山の光・飛騨の華
1895年(明治28年)創業。平田家は「打保屋」の屋号で、明和6年(1769年)に、びんつけ油、ろうそくの製造販売を創めた。明治になって酒造業に転業している。
この蔵のお酒はまだ試していないので、次回訪ねたときにはぜひ購入したい。 看板の有無は不明。(2008.12.6訪問) 

㈱田邊酒造

■平成23年2月廃業
■高山市下三之町19   
■代表銘柄/豊年・にごり酒岳の雪
1884年(明治17年)創業。飛騨のお酒は端麗濃酵と形容されることが多いが、銘柄の「豊年」はその代表格。飛騨の風土が酒造りのためあらゆる条件に恵まれた環境の中で、「飛騨みのり」や「飛騨ほまれ」等、厳選された地元の好適米をふんだんに使って昔ながらの手造りの作業によって造られている。
2005年に杜氏が病気になったことにより醸造ができなくなり、在庫を販売していた。2010年からは経営者の長男が8種類あった銘柄を3種類に減らし、杜氏を務め醸造を再開した。
看板の有無は不明。(2008.12.6訪問)
※2011年2月12日付の中日新聞岐阜県版に経営難から廃業の記事が掲載された。これによって8軒あった高山市内の蔵は7軒となる。高山市内には最盛期の江戸中期に60軒以上の蔵があったといわれている。   

二木酒造㈱

■高山市上二之町40番地   
■代表銘柄/玉乃井・氷室
1695年(元禄8年)創業。高山の酒蔵の中でも老舗蔵。初代が石川出身であることから屋号は「加賀屋」と呼ばれている。店ののれんにも加賀屋の染め抜きが入っている。
銘柄の「玉の井」の由来は、蔵の敷地内にある井戸から取られている。 ホーロー看板は見つけていないが、ブリキ製の看板は国道41号線の民家で見ることができる。(2008.12.6訪問)  

川尻酒造場 

■高山市上二之町68番地   
■代表銘柄/ひだ正宗・天恩・山ひだ・地恵・ひだ山水
1839年(天保10年)創業。生産量300石の小さな蔵。甘口や辛口にこだわるのではなく、口に含んだ瞬間に旨いと思う酒造りを目指している。
HPによるとこの蔵のお酒を飲むことができる店を紹介しているので、次回、高山を訪ねる際の参考にしたい。 看板の有無は不明。(2008.12.6訪問)

(有)平瀬酒造店

■高山市上一之町81   
■代表銘柄/久寿玉正宗
1688年(元禄元年)創業。元禄年間の高山では56軒もの酒蔵があったと伝えられている。その中の1軒が平瀬酒造だ。高山でも最も歴史がある蔵である。高山の蔵は天保年間に26軒、現在は8軒となっている。
下の写真は城下町を望む天神山を背景にした平瀬酒造店。(レンガ煙突) 「久寿玉」の由来は、薬玉“くすだま”に求め、百薬の長“薬玉”を「久寿玉」に読み替えたという。
看板は見つけてないが、下呂市から高山市に至る国道41号線沿いには、いくつもの大型の立て看板が設置されている。(2009.7.4訪問)

(有)蒲酒造場

■飛騨市古川町壱之町6-6   
■代表銘柄/白真弓・飛騨のやんちゃ酒
1704年(宝永元年)創業。高山の町並みを小さくしたような古川町の中心部にある蔵。すでに創業300年以上のときを刻んでいる。酒銘「白真弓」は、“ひだ”にかかる枕詞「しらまゆみ」に由来している。
ホーロー看板の有無は不明だが、立て看板などの大型看板は高山市から飛騨市の国道沿いでよく見かける。(2009.7.4訪問)

(有)渡辺酒造店

■飛騨市古川町壱之町7-7   
■代表銘柄/蓬莱正宗・小町櫻・飛騨の匠・飛騨守五郎八・飛騨の白川祭
1870年(明治3年)創業。初代久右衛門が「荒城屋」と称して業を起こし、2代目久右衛門は両替業を営むとともに生糸の生産で財を成した。
酒造りを始めたのが明治3年で、それ以来一貫して「蓬莱」の銘柄で造り続けている。蔵の前には創業120周年を記念して酒造りの像が設置されている。
台座に書かれた短歌は司馬遼太郎。蔵の裏側には白壁土蔵が続く瀬戸川が流れており、町民のいこいの場所となっている。 ホーロー看板の有無は不明。(2009.7.4訪問)

Profile

つちのこ プロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


琺瑯看板探検隊が行く
SINCE 2005.3.17