ごあいさつ
「なにしとるんじゃ?」
「あんた、なにしとるんじゃ!」…今度は背中ごしにはっきりと聞こえた。
シャッターを押そうとカメラを構えたまま、僕はその場に立ちすくんでいた。
ファインダーから目をそらし、振り返るとそこには小柄な爺さんが立っていた。毛糸の帽子に薄汚れた青い作業ジャンバー、足元は長靴、両手をポケットに入れている。
「看板を撮ろうと思って…」僕はしどろもどろになって、怒っているのか、困っているのか分からない、深いしわが刻まれた赤ら顔に答えた。
「そうか…」 一呼吸おいて、「畑に入らんといてな」といいながら、小さな背中を向けて爺さんは去っていった。
僕はぽかんとしながら、壁が剥がれ落ちた納屋に、びっしりと貼られた看板を見下ろしていた。空は蒼いというのに、粉雪が舞う寒い日だった。
畑に建つ小さな納屋を、満員電車の窓からいつもぼんやりと眺めていた。人生の折り返し地点を過ぎた不惑真っ最中の身、往復3時間の通勤。日々時間を消費するだけの都心に向かっていくレールに、自分の意思とは関係なく乗ってしまったようで、「かけがえのない貴重な何か」を削っているような気がしていた。
吊革読書にも少し飽きたし、大好きな登山も膝を痛めてから長く中断していた。そんなころ読んだ『ホーローの旅』(泉麻人・町田忍共著)という本が、中央線の車窓の風景と見事にリンクしたのだった。
僕は二箇所の看板屋敷を確認していた。爺さんに出遭った納屋と、もうひとつは線路沿いにある大きな黒壁の蔵。そこにははっきりと金鳥の菱形看板と、NECの丸い看板が確認できた。
「あれが琺瑯看板か…」。本を読み終えてからは、いてもたってもいられない自分に気づいていた。
初恋のときめきに近いものを感じる自分が不思議だった。ときめきが「どうしてもその場に立って、見たい」に変わっていくのに時間を要しなかった…。
2005年2月、僕はこうして記念すべき琺瑯看板探検の旅をスタートさせたのだった。
昭和33年生まれの僕は、記憶を遡るとずっと琺瑯看板がある風景の中で生きていたような気がする。
はっきりした記憶では、小学生のころに親父の実家がある秋田に帰省し、車窓から次々と見える菅公学生服の菱形看板を妹とふたりで数えあったことである。その数は今のマルフクの比ではなかったかもしれない。
にきびだらけの中学生になると、通学途中の魚屋の板壁に貼られた由美かおるの脚線美を横目で見ていた。プール帰りの暑い日には、雑貨屋の軒先に掛かる崑ちゃんのオロナミンCが飲みたくてしょうがなかった。
由美かおるや崑ちゃん、菅公や金鳥、そして幼き日の遠い記憶はどこにいってしまったんだろう。
「もう一度遭いたい…」看板へのときめきは、僕にとっては過ぎ去った幼い日々を遡行する歴史への旅なのである。
さて、「琺瑯看板探検隊が行く」というタイトルの、「探検」という言葉は少々大げさかもしれない。
「探訪」ぐらいがちょうどいいのかもしれないが、琺瑯看板を求めて彷徨う日々を重ねるうちに、「探検」という言葉が一番マッチすることを確信した。
“ひっつきむし”をつけながら雑草を掻き分け廃屋へ、犬に吠えられ農家の蔵へ、迫ってくる電車の恐怖におののきながら線路脇へ、まさにこれは「探検」としかいいようがないではないか。
そして、高校時代からの親友であるあんもんをひっぱりこんで、僕ひとりの探検は、「探検隊」となったのである(笑)。
(つちのこ/2005.3.16記)