ホーロー探検マニュアル
ホーロー探検は現代の宝探しゲーム
時代の流れと開発の波にもまれて、かつての広告文化の象徴的存在であった琺瑯看板は急速に姿を消しつつある。
もはや、やみくもに琺瑯看板を探しても簡単には見つからない状況である。しかし、ポイントを絞り要領よく探せばまだまだ探し出すことは可能だ。
琺瑯看板を探すという行為は「現代の宝探しゲーム」といってもいい。“モノを探す”という単純な行動ではあるが、そこには知的な遊び心が加わる。古き良き時代を知るという目的もあれば、人によってはスポーツ感覚での楽しみも加わるかもしれない。
クルマで、自転車で、あるいは徒歩で、気ままな電車の旅もいいだろう。自分に合ったホーローの旅がきっと見つかるはずだ。
ここでは琺瑯探検隊の探し方をマニュアル化することで、より多くの人たちに琺瑯看板を探すことの楽しさを味わっていただけたらと思う。
琺瑯看板とは
正しくは琺瑯製広告看板という。琺瑯は、英語ではenamel(エナメル)、ドイツではEmail、Emailleといい、防錆・装飾などの目的のために、金属の素地、おもに鉄などにうわぐすりを塗って焼き、ガラス質に変えて、これで表面をおおったもの。
琺瑯看板はわが国では明治30年代後半に現れたといわれている。全盛期は昭和30年~40年代。文字通り広告文化を代表するシロモノだった。しかし、テレビを中心とする宣伝、情報の発達により急速に衰退していく。また、琺瑯看板が貼られた建物や商店も都市化の波や老朽化による建替え等の理由で、失われているのが現状である。
琺瑯看板は鉄道沿線に貼られる大型看板(鉄道看板)や、商店等に貼られる吊り看板、張出し看板、短冊看板等に分かれる。またその形状も菱形、丸型、長方形、楕円、姿…等バラェティに富んでいる。
お宝鑑定番組が火付け役となったこともあり、また、昭和30年代ブームによるレトロ趣味マニアの増加等の理由により、近年、琺瑯看板に人気が集まっている。収集マニアによるオークションや“琺瑯狩り”と呼ばれる窃盗集団の暗躍もあり、売買の対象となってしまった。
こうした渦中にある琺瑯看板は、今では自然のままに貼られたロケーションを見ることが困難である。貴重な彼らの姿を見ることができるのは、もはや時間の問題と言わざるをえない。
探検準備
◇看板がある風景にこだわる
はじめに確認したいのは、私たちは看板を集めるコレクターではなく、“看板がある風景”にこだわってデジタル収集をするというのが基本的なスタイルである。
年々減少していく“看板がある風景”はきちんと情報を整理することにより、後世に残る貴重な資料になるはずだ。同時に、自己のライフワークの記録として残しておくことも楽しい作業となるだろう。
◇目的地を決める
あたりまえであるが、まずは目的地を決める。最初は自分たちが住んでいる町の探検から始め、徐々に範囲を拡大し、まとまった休みが取れるGWや夏休みには他県への遠征をしてみるのもいいだろう。
私はホーロー探検を始めて5年で全国の都道府県に足跡を残すことができたが、ここまでいかなくても、まずは地元を知る意味で、近場の日帰り探検を勧めたい。
◇情報収集
目的地が決まったら事前に情報収集を行うのが効果的だ。
ネットや地図、地域の情報誌等が役立つ。下調べのポイントは、
①インターネットの琺瑯看板サイト・SNSの情報
②酒や醤油醸造元の場所
③旧い町並み・街道
④商店街
⑤地図サイトのグーグル・ストリートビューでの検索…等は最低限の情報として収集し、地図やノートにメモしておきたい。
◇地図とカメラ・筆記用具
昭文社の県別マップルが使いやすい(写真)。
この地図の一番の売りはバス路線が網羅されていることにある。別項で詳しく書くが、車を使用した探検の場合は、バス路線沿いを探索するのが琺瑯看板を見つける一番の近道である。
目的地が決まったら地図で大まかなコースを決め、鉄道、バス路線を確認する。また道の駅や宿泊施設、キャンプ場、ガソリンスタンド、コンビニやスーパーなどもチェックしておく。
車利用の場合はナビを活用するのが便利。
探検隊のマイカーには2007年にようやく搭載された。その使い勝手の良さは周知のとおりである。 ちなみに写真の地図は一冊2300~2400円。高いので、もっぱら図書館から借りていた(笑)。→この方法は地図に直接の書き込みができないので、ネットオークションやAmazonで中古本を入手し、2年間で全国ほとんどの地図を揃えることができた。
カメラはデジタルデータとしての保存を考えるならデジカメが便利だ。デジカメの性能は年々進化して、400万画素のコンデジから始まって、2008年からは、1210万画素のデジカメを使っている(CanonPowerShot
G9 写真)。
更に2011年には念願の一眼デジカメが相棒になった(Canon EOS 60D 1800万画素 )。 また、2014年にはCanon PowerShot
SX50HSを購入。50倍ズームの威力で遠くの看板も捉えることができるようになった。 三脚を持参することはあるが、ほとんどの場合は手持ちで撮影している。
看板写真を撮るだけでなく、気に入った町並みや風景にもカメラを向けることを考えると、一眼デジカメやマニュアル操作ができるデジカメが便利だろう。
しかし、大型のカメラを首から提げて歩いているだけで、静かな集落では怪訝な目で見られる場合もある。必要に応じてポケットサイズの小型のデジカメを使い分ける配慮も考えたい。
ここまでカメラについて触れてきて、その内容をひっくり返すようだが、2020年以降はスマホで撮影することが普通になってしまった。
小型軽量、更に高解像度とくれば、もはやデジカメの必要性を感じないのは多くの人が実感しているのではないかと思う。
デジカメ時代は撮影枚数を想定してメディアやバッテリーの予備も持参したが、スマホにはその必要もなくなってしまった。
スマホのメモ帳アプリに保存する手もあるが、ノート、筆記具は必ず持参する。発見した琺瑯看板の場所(地名)をノートや地図に書き込んでいく。
また、電車やバスなどで探索する場合も地図とノート片手ということになる。車窓から見える看板をノートにメモしていくと、後日の探検に役立つ。
◇服装
特にこだわっていない。冬は暖かく、夏は涼しくでしょうか(笑)。履物も夏はもっぱらビーチサンダル(笑)。帽子はいつも持参する。夏の日差しと不意の雨には欠かせない。
◇キャンプ道具
泊まりの探検にはキャンプ道具を持参している。これは、夏、冬を問わず宿には泊まらないという探検隊の暗黙のルールからきている。
多分に金銭的余裕の無さが大きいが、テントの中で酒を飲みながら本日の収穫の余韻を楽しむのもいい。
ちなみに探検隊としてのポリシーは「金をかけずに泊まる」というこだわり。公園や道の駅、林道の脇や海岸などどこでも“寝れる場所”はある。より快適さを求めるならキャンプ場がいいだろう。全国津々浦々に無料のキャンプ場もあり、事前にネットで情報をチェックしておくといざというときには役に立つ。 また、雨天の夜はテントを張らずに車中泊とすることもある。
キャンプ道具としては、テント、シート、寝袋、マット、ガスコンロ、ランタン、ヘッドランプ、炊事道具、食器、蚊取り線香、虫除けスプレー等。
最も、最近では炊事をすることはほとんどなく、スーパーで購入したお惣菜をつまみに酒というパターンがふつうになってしまった。
※写真 秋田県八郎潟南の池オートキャンプ場(無料)
◇宿に泊まる
前項で、“宿には泊まらない”と大口を叩いておきながら、やはり、そこは体力が年々低下しているおじさん探険隊である(笑)。寄る年波には勝てない!(笑)。
宿に泊まる場合は、民宿、ビジネスホテル、カプセルホテル、会社の保養施設等を利用している。一泊の上限は民宿なら1泊2食で6000円、ホテルなら5000円未満と決めている。ネットの激安ホテルや楽天トラベルの口コミ情報が参考になる。
しかし、安宿はそれなりの設備なので、当然だが、そこに快適さを求めてはいけない。大阪市内の一泊1200円のホテルでは南京虫にやられた苦い思い出がある。
宿泊予約もネットでするほうが料金もかなり安くなるし、ポイントも貯まるので便利だ。 探険レポートでは、探険隊が泊まった宿泊情報も載せていくので、参考にされたい。評価は☆印で表示。
探検手段
◇徒歩で探す
鉄道やバスなどの交通機関を使った場合は、下車した駅や停留所が探検のスタート地点となる。
徒歩の場合は探索範囲が狭くなるが、車で侵入できない狭い路地や一方通行の脇道など、じっくりと探すことにかけては見落としも無く一番優れた探検手段といえる。
ただし、体力勝負となるので、水分を補給し休憩を取りながらのんびり探したい。 鉄道やバスでのアプローチでは車窓から眼を皿のようにして看板を探す。見つけたらノートや地図にポイントをメモし、最寄の駅や停留所で下車して徒歩で目的地に行く。
ちなみに私は、2020年に北海道から鹿児島までの日本列島を徒歩で縦断し、2022年からは中山道、東海道、甲州街道、四国88か所遍路道等を完歩し、歩き目線で琺瑯看板を探した。クルマや電車の車窓からは確認できなかった看板を見つけることもできた。徒歩での琺瑯探検は一番確実にゲットできるオーソドックスな手段であろう。
◇自転車で探す
徒歩よりもはるかに行動範囲が広がる。最近では折りたたみ自転車も一般化しているので、車に積み込んだり、輪行袋(りんごうふくろ)に入れて電車に持ち込んだりもできる。
また、観光地の駅ではレンタサイクルもある。徒歩の場合は方々に視線を飛ばしながら歩いているだけで、平穏な町や村では不審者のように見られるケースもあるが(笑)、自転車の場合はそうした眼で見られることは意外に少ない。
私の場合は以前はもっぱらカゴがついたママチャリだったが、最近では輪行ができる折りたたみ自転車やロードバイクを使っている。
地元の人々から不審者に見られることもないし(?)、徒歩の場合と同じように狭い路地にも入ることができて利便性は高い。
◇クルマで探す
なんといっても機動性は抜群。しかし、交通量の多い国道沿いや幹線道路沿いは、せっかく看板を見つけても停車できないということもあり、また、狭い道路での停車は交通渋滞を招くこともある。それ以上に注意すべき点は脇見運転からくる交通事故だ。
理想的なのは運転担当とナビ担当による二人三脚の探検だろう。副隊長のあんもんとはこのスタイルで探検を行っている。単独では見つけられないお宝も、二人になると見落としも減り、より確実性が増す。
◇Googleストリートビューで探す
最後に挙げるのは地図アプリを活用した探し方だ。Googleマップのストリートビュー機能による検索は2013年以降からほぼ全国的に整備されている。余程の山奥の道や路地以外はPC上で確認できるすぐれものである。
今では、目的地のストリートビュー確認による事前調査は当たり前の作業となっている。机上作業によって看板を探し、場所を確認した上で現地に赴くのは、ある意味、看板探しの醍醐味が半減する行為であるが、空振りを避け、効率的な探検を行うには積極的に活用するのも悪くない。
探検ロケーション
◇線路沿い
鉄道の線路沿いは一番のねらい目。木造の民家や納屋、蔵には鉄道系看板と呼ばれる大型看板を見つけることができる。
看板の種類で多いのは、学生服、調味料、綿、染料、仁丹、殺虫剤、電化製品などの大型看板が主流。 JR線では北から石北本線(旭川~北見間)、函館本線(岩見沢~旭川間、函館~森間)、信越本線、東北本線(福島~白石間)、両毛線、北陸本線、東海道本線(大垣~米原間)、琵琶湖線、山陰本線、山陽本線、鹿児島本線。
また、私鉄では近鉄(桑名~松阪間)沿いに比較的残っている。いわゆる看板屋敷というものも線路沿いならではの風景であるが、沿線の開発とともに急速にその数を減らしいてる。
線路沿いの探索のポイントは、事前に電車に乗って看板が貼られている場所を確認することにある。何度も同じ路線を確認することにより、実際に現地に行ったときはスピーディに目的地を特定できるだろう。
◇バス路線沿い
琺瑯探検をしていて思うのだが、日本は交通網が発達した国だとつくづく感心する。どんな田舎や山奥に行ってもバスは走っている。
昔からのバス路線は琺瑯探検をする上で、最大のチェックポイントである。優先順位はまずはバス路線かどうかが大きい。国道や県道でもバス路線になっている場合もあるが、そこから脇道にそれて集落に向かってバス路線が延びているようなら道草をするべきである。バス停横の土蔵や板壁にさりげなくお宝が貼られていたりする。
バス路線の見分け方は地図で調べるのが一番いいが、その場合は前述の路線が網羅された地図がいいだろう。 また、地図には出ていなくても、公営のコミョニティーバスといわれる自治体が運営している路線もある。
◇旧街道沿い
国内には中山道、東海道、甲州街道、山陽道といった五街道や伊勢参宮道などの旧街道、四国88か所の遍路道等古くからの道が無数に走っており、そこには宿場町ならではの古い建物も多く残っている。
頑なに昔ながらの商売をしている商店も多く、こうした街道は琺瑯看板たちにとって格好の棲みかとなっている。
出来ることなら、徒歩や自転車でのんびり探すことをおススメする。 古い板壁の民家の軒下や玄関脇にさりげなく貼られた看板を見つけることができるだろう。街道沿いに多い看板としては、くすり系の短冊看板、地酒、肥料、醤油や味噌などの調味料といった中型の短冊タイプをよく見かける。
◇商店街
地方都市や駅前には必ずといっていいほど商店街がある。琺瑯看板が潜んでいるのは、なかでも古くからある昭和30年代にタイムスリップしたような雰囲気の商店街だ。
活気がある商店街よりも、むしろシャッターを下ろした店がそのまま残っているような斜陽化した商店街が狙い目である。
地図で調べて「本町」という地名を探し、徒歩や自転車で探索するのが良いだろう。ちなみに「新町」という地名も多いが、古さに関しては、文字通り「本町」のほうに軍配が上がる。
商店街には酒屋やタバコ屋、食料品店や薬屋、自転車屋やパン屋などが軒を連ねるが、昔のままのたたずまいの店を探し出し、店頭以外にもできるだけ店内に入って琺瑯看板を探すのがコツである。
店主と気が合えば、店の倉庫からレアモノの看板を出して見せてくれることもあるし、話が弾んでお茶や菓子をご馳走される、なんてこともある。
◇離島
島国の日本には、それこそ星の数ほど離島が存在する。もちろん、人が住んでいる島が対象になるが、古くから交易や漁業で発展してきた歴史のある島は、近代化が進む一方で、昔ながらの生活を残していく姿勢もある。
島を歩くと、あちこちに木造の民家や狭い路地が残り、懐かしい昭和時代にタイムスリップしたような錯覚に囚われることもある。
新潟県の佐渡島はその典型である。また、規模は大きいが淡路島も同様な雰囲気が残っている。
北から利尻、礼文、奥尻、飛島、伊豆大島、小豆島、隠岐、壱岐、対馬、五島列島、屋久島、種子島、更に沖縄を含む奄美や南西諸島の島々等。
それなりの規模をもった離島は琺瑯探検の対象として興味深いが、もっと身近な離島、例えば三河湾に浮かぶ佐久島や日間賀島、瀬戸内海の島々等、じっくり、のんびりと島歩きを楽しみながら看板を探してみるのもいいだろう。
琺瑯看板が潜んでいる建物
◇板壁の家屋
昭和40年以前に建ったと思われる板壁の古い家屋がねらい目である。
旧街道沿いや、町並み保存地区、山村の集落にはまだまだこうした家屋は残っている。 廃屋になっている家屋も多く、線路沿いの家屋では看板屋敷として残っているケースもある。
山陰や能登半島、新潟県の海岸沿いの集落や、知多半島などには木造家屋が密集した町並みを形成している。また、京都や奈良は町全体がこうした家屋の集合体である。
看板屋敷を見つけたら、必ず四方八方の壁を確認する。思わぬところに看板が貼られていたり、地面に欠落した看板が転がっていることも多い。農家ではレアモノの看板がゴミ箱の蓋に二次利用されていることもあるくらいだ。
◇蔵・小屋・物置
日本の田舎の代表的な風景として、農家や旧家の庭先にたたずむ蔵や土蔵はまだまだ見ることができる。
脇道や街道沿い、線路沿いの蔵や土蔵は琺瑯看板たちの格好の住みかである。ホーロー探検での探索ポイントとしては第一級のターゲットといえる。
また、農機具が置かれた小屋や物置もねらい目。肥料の看板がずらりと並んで貼られているケースも多い。 こうした蔵や小屋、物置といった建物は、酒蔵とともに琺瑯看板に残された“最後の聖地”である。
蔵や土蔵を見つけたらじっくりと丹念に探したい。赤地に白字のくすり系の短冊看板や思わぬレアもののお宝に遭遇できるかもしれない。
◇地酒醸造元
全国に1700軒あるといわれている地酒の醸造元(いわゆる酒蔵)は、米作りが盛んな地方やおいしい水に恵まれている地方にはたくさん残っている。
インターネット等で所在地を確認して訪れてみるのが効果的だ。 広告手段が少なかった戦前から、全国の酒蔵は競い合って琺瑯看板を掲げたと思われる。醸造元ばかりではなく、酒販店にも貼られた。
昔から造っている銘柄であれば、建物や門などに琺瑯看板が貼られているケースも多い。また蔵に併設されている直売所の店内の壁や柱に貼られていることもあり、酒蔵見学と合わせてチェックしておきたい。
酒蔵は近代化が進み、建物の改築等によりまったく空振りに終わることもあるが、いずれにしても探検ポイントとしてリストアップしておきたい。
◇醤油・味噌・酢の醸造元
地酒と並んで多いのが醤油や味噌、酢の醸造元。琺瑯看板の種類も多いのが納得するぐらい、どの地方にも必ず一軒や二軒はある。
昔から醤油作りが盛んな兵庫県龍野や石川県金沢市大野には、琺瑯看板を掲げた蔵元がいくつも残っている。また、蔵元以外にもメーカー直系の販売店に琺瑯看板が貼られている場合もある。
看板を探す場合は、地酒の場合と同じだが、蔵の外観ばかりでなくチャンスがあればぜひ蔵の中を見学してみたい。黒光りする年季が入った柱にさりげなく短冊形の看板が貼られていたりする。
看板の形態も短冊型や吊り下げ看板など変化に富んでおり、ホーロー探検のターゲットとしては楽しいアイテムである。
◇よろず屋
「よろず」とは万と書き、「あらゆるもの」という意味を持つ。今ではめっきり少なくなったが、山村や漁村の小さな集落にはまだまだ元気で頑張っている。
規模は小さいが、食料品や雑貨、たばこ、酒、衣料品など何でも扱っているのがよろず屋だ。
琺瑯看板の種類も多様で、たばこや塩のようなオーソドックスなものはもちろん、鎌や湯たんぽといった生活に密着した看板もあって面白い。 こうしたよろず屋を見つけたら、必ず店内に入ってみたい。店主と話が弾めば、店の奥から「こんなのもあるよ」と言いながらお宝を出してくれることもある。
よろず屋は昔から町や村の情報収集、発信基地でもあり、看板にまつわる思わぬ情報を得ることができるかもしれない。
◇酒屋
日本全国、どんな山奥のどんな小さな村でも酒屋の一軒はある。日本はつくづく飲んべい大国だと思う。
今も昔も村の酒屋は人々の社交場だ。夕方になると仕事を終えて三々五々集まった男たちの一杯飲み屋となる。 そんな酒屋には琺瑯看板がさりげなく貼られている。店頭にはビールやメジャーな清酒の看板もあれば、地酒の吊り看板も下がっている。
店内に目を向けると、醤油やソース、食料品の看板が柱に掛かっていたりする。琺瑯看板を探す最大のポイントは、まずは酒屋といってもいい。
酒屋で看板を見つけたら、ぜひ店主と話をしてみたい。古くから営業している店なら、すでに廃止になった銘柄の地酒看板が貼られていることもあり、情報収集に役立つこともある。お礼にお酒の一本でも購入しておこう(笑)。
◇たばこ屋
酒屋についで多いのがたばこ屋。最もたばこ屋専業という店は少ないようだが、ここでは、たばこの看板が下がっている店はたばこ屋として分けたい。
かつては、たばこは専売品だったので、同時に塩も扱っている店が多いようだ。 こうしたたばこ屋には、もちろん「たばこ」と書かれた吊り看板以外にも、「煙草小売所」という短冊形の看板も店先に掛かっていることが多い。
専売公社時代のたばこ看板は種類が多いことが特徴で、地方によっては色違いのものがあったり、戦前モノは「こたば」や「コタバ」と書かれていたりする。
「御進物にたばこをどうぞ」と書かれた戦前の短冊看板には、「光」や「敷島」といった銘柄のイラスト入りもある。 また吊り看板には、家電や地酒、飲料などのスポンサー付きのものも多く、なかなか楽しいアイテムである。
◇食料品店
食料品店はスーパーやコンビニの台頭により、廃業に追い込まれたケースが多い。だが、昔ながらの商売で細々と頑張っている店もある。
それこそ店内に入ると、木造の棚に缶詰や醤油が並べられていたりして、いきなり昭和30年代にタイムスリップしてしまったような錯覚に落ちる店もある。
こんな店を見つけたらしめたものだ。店頭以外にも必ず店内もチェックする。レアモノのソースの看板や、ボンカレーの看板がさりげなく貼られているのかもしれない。
また、店内に雑然と積み上げられたダンボールや商品の山の陰にレアな看板が隠れていることもある。 岐阜県のある食料品店では店主と話が弾み、「こんなものもあったよ」なんて言いながら、倉庫から「グリコ」の看板を出してきてもらった。
◇自転車屋
ちょっとした町に行くと必ずといっていいほどあるのが自転車屋だ。酒屋と並んでホーロー探検では定番の探索ポイントである。
建て替えられた店も多いが、時には、そこだけエアポケットのような感激的な年代モノの店に遭遇することがある。地方都市の町のど真ん中にあったりもする。 こうした店には自転車の琺瑯看板が所狭しと並べてあるからうれしい。
昭和30年代は自転車メーカーも多かったようでそれこそ聞いたことがないようなメーカーの自転車看板を見つけることができる。
自転車屋は廃業している店舗も多くあり、朽ちるにまかせた建物に忘れられたように組み看板が残されて入りたりする。過疎化が進むエリアではよく見かける風景だ。こうしたスポットもぜひチェックしたい。
◇くすり屋
くすり屋も琺瑯看板の生息地である。当然だが、古ければ古いほど生息率は高くなる。最もあまり古くなると琺瑯看板ではなく、木製看板となってしまう。
ねらい目は廃業一歩手前の木造のくすり屋である。 くすり屋はたばこ屋や酒屋と並んで多い。奈良県の古市町にはそれこそ50メートルおきにくすり屋があった。
くすり屋で見つかる琺瑯看板は、当然のことながら家庭薬を筆頭に、オロナミンCなどのドリンク剤、石鹸、染料、仁丹などである。特に日用品系は種類も多く、レアモノ発見の可能性が高い。
また、チェックのポイントとしては店内も必ず覗いてみたい。博物館のような薄暗い店内の壁に、「六神丸」や「中将湯」などの木製の看板がずらりと並んでいたり、「頭痛にパブロン」のような年代モノの販促物がところ狭しと置かれていたりする。柱にさりげなく薬や石鹸の琺瑯看板が貼られているのも見逃せない
◇肥料屋
農村に多いのが肥料屋だ。肥料以外にも家畜の飼料や薬も扱っている。
肥料看板はそれこそ星の数ほど種類が多い。それだけに、肥料屋を見つけたら、店頭や店内はおろか、店の裏の倉庫や車庫までチェックしたい。一度に大量ゲットが可能なのが肥料屋の特徴である。
また、肥料屋ではないが農協の建物も要チェックだ。巨大な倉庫の壁や柱に肥料看板がずらりと並んでいることもある。農機具の看板も多く、農村にとって、肥料屋や農協の建物はかつては広告塔の役目を果たしていたと思われる。
◇金物屋
今ではすっかりホームセンターに押されてしまったが、古い町並みには金物屋がまだまだ頑張っている。
店先の軒下ににずらりと看板が並んでいるケースもあるが、店内にはそれこそ博物館状態で、スコップやフォーク、かんなやヤスリ、釘やトタン板、バケツや鍋といったあらゆるカナモノ系の看板が貼られている店もある。
また、歴史を感じる木製の看板もあり、店主から看板を通して店の歴史を聞くことも楽しい。
山口県では明治の初めに創業された金物屋を見つけた。店内には30枚以上の看板が貼られ、それこそ“目がくらむ”ようなオーラを感じた。金物屋は琺瑯看板にとっても“終の棲家”になると思う。
撮影時のマナー
◇撮影許可を取る
看板屋敷や商店を見つけたら、すぐにはシャッターを押さない。まずは周囲を見回して人がいないのを確認してからシャッターを押す。そしてすばやくその場から離れる…これは“撮り逃げ”といい、探検隊の写真撮影はほとんどの場合こんなやり方。
でもこのやり方は邪道、そして危険だ(笑)。人には温厚な人もいれば、猜疑心が強い人もいる。後者に捕まった場合は、トラブルが避けらない。
ホーロー看板は企業の広告戦略のひとつとして貼られている宣伝物である。基本的には街角に貼られたポスターや街に溢れる店舗の屋号、歯医者の看板と同じである。宣伝のために誰もが目につくところに貼られているのである。それを写真に収めるのは他人を撮る肖像権侵害とは違い、風景写真と同じで何ら問題はないとは思う。
現代においてはホーロー看板の情報は多くの看板や路上観察、古い町並みサイトやSNSに溢れ、Googleストリートビューでは所在地を特定できるまで確認することができる。
しかし、貼られた建物が個人の家屋や店舗の場合は、個人の所有物としての意味も帯びてくるのではないだろうか。
その昔、“貼り師”と呼ばれた業者は、看板を貼らせてもらったお礼にタオルや石鹸を置いていったそうだ。この瞬間から看板は個人の所有物になったといってもいい。
そうした観点から撮影をする際はできるだけ許可をとりたい。商店ならば店内に入ってお願いする。看板屋敷ならばそれこそ玄関先まで行ってお願いしたい。
交渉して断られたことはこれまでのケースでは2回のみだ。もし断られた場合は素直に諦めることだ。
さて、交渉がうまく行けば、住人たちとの看板談義に花が咲くこともある。それこそ飲み物や菓子までご馳走になることもあるくらいだ。
店内のレアものの看板を撮らせてくれることもあれば、親切な人は倉庫や物置から看板を出してきて見せてくれる。地方に行ってこうした人たちと出会うことは楽しいことだ。看板がいつ貼られたのか聞くことは、それだけで知的かつ刺激的な遊びである。
◇カメラは隠して…
カメラを手に持っていたり、首からぶら下げるのはできたら避けたい。こうしたスタイルで周囲をキョロキョロ見ながら看板を探していると、これだけで不審者扱いである。田舎の集落に行くと「村内で不審者を見かけたらすぐ警察に」なんていうブリキ製の看板が貼られていたりする。 カメラは小型のものを選び、ポケットに入れておこう。撮影はすばやく、目立たずにということでしょうか…もちろん、撮影許可をとることを忘れずに(笑)。
◇不法侵入者にならないように…
レアものの看板を見つけたばかりに、家屋の敷地内に勝手に入ったり、撮影のロケーションを確保するために畑の中に入ったり、これは犯罪行為である。
それこそ下着泥棒や空き巣と思われても仕方がない。場合によっては襟首を掴まれて、御用。いわゆる不法侵入罪が適用される。 こうしたロケーションの場合は、やっぱり許可を貰って撮影したい。
◇看板を持ち帰らない
悪者は看板を見つけたら、なんとか剥がして持ち帰ることを考えている。いわゆる「琺瑯狩り」という輩である。
自然に剥がれ落ちた看板や、今にも落ちそうな看板に遭遇することは多い。しかし、それがどんなにレアモノだろうと持ち帰らないようにしたい。
「持ち帰るのは、ゴミと写真だけ」…どこかの観光地で見たポスターのコピー(笑)。 最も看板撮影をしていると、時として「持って帰ってほしい」「あげるよ」なんていわれて困ったことがある。
以前、副隊長のあんもんは滋賀県のとある集落で「東芝リンクストア」の巨大看板を「もっていってくれ」とお願いされていた(笑)。…私たちに看板を集める趣味はない。
◇撮った写真をどうするか?
デジタル収集した写真は撮影場所、月日ごと分類して保存することをおススメしたい。パソコンのハードディスクに保存するのが手っ取り早いが、クラッシュトラブルを避けるために、こまめにCDやDVDに落としておきたい。
撮影した看板は当サイトの「分類別データ」にアップされていなければ、レアモノといえます(笑)。その場合は、掲示板に投稿することをおススメします(笑)。
◇琺瑯看板を調べる
調べ、推理することも楽しい。琺瑯看板は企業の広告であり、貼られた目的は、その1枚1枚にすべて理由がある。
看板をカテゴリー、タイプ別に分類し、更に看板にまつわる歴史、分布を調べることによって、活動の幅が広がってくるだろう。
当サイトの琺瑯看板考現学のコーナーでは、こだわりの看板たちをウンチクを交えながら取り上げている。ホーロー探検の参考にして欲しい。
◇琺瑯看板に明日はあるのか?
ズバリ!琺瑯看板には未来がないと言っておこう。
おそらく自然の状態で貼られた看板や、“看板がある風景”は2020年代には日本中から消滅すると思う。
わずかに残されるのは、酒蔵や醤油蔵等で大切に保管された看板や、たばこ屋の軒下で風に揺れるたばこや塩の看板、そして防犯連絡所の看板、町ぐるみで大切に保存している京都の仁丹町名看板くらいと考える。
剥がされた後、運よく残った看板は、居酒屋や食堂のレトロな演出目的で店頭を飾り、古道具屋やネットオークションで売買対象となり、更に運が良い看板は博物館や資料館等の施設に収まる。
考えようによっては、これら二次利用されることも看板たちにとっての“未来”といっておこう。
琺瑯看板の資料
▼泉麻人・町田忍共著『ホーローの旅』 (幻冬舎2002年・1470円) 絶版
私をホーロー探検狂いにした一冊である。泉、町田の軽快な文章もいいが、昭和30年代の風俗に触れながら、琺瑯看板の魅力を余すことなく書いている。オロナミンCや太田胃散、仁丹のウンチクは勉強になる資料だ。
刊行されて20数年が経過したが、この本に出ている看板屋敷や琺瑯看板たちが健在の場合もあり、事実、僕ら探検隊もいくつも見つけている。絶版というのは残念だが、手に入らない場合は図書館で借りて読んで欲しい。
▼オオタマサオ著『懐かしき昭和30年代を訪ねて~琺瑯看板』 (小学館1999年・1575円)
著者のオオタマサオさんは琺瑯看板マニア。それも僕らデジタル琺瑯マニアが一番嫌いな収集家である。全国を回って2000枚も集めたというから半端ではない。一個人でこれだけの看板を集められたら、看板が無くなっても仕方がない。
全国にはこうしたコレクターは多くいる。
しかし、オオタマサオさんの努力は買いたい。数少ない琺瑯看板の資料としてはカラー刷りの気合もさることながら秀逸な内容に仕上がっている。
▼サミゾチカラ著『ホーロー看板にみる広告文化史』 (豊川市・豊川文化のまちづくり委員会・2000円)
知る人ぞ知る、愛知県の琺瑯マニア。自宅を看板資料館として開放していると言うからすごい。そのコレクションの量も半端ではなく2000枚以上に上るという。この本はコレクションのほんの一部分らしいが、カラー印刷でかつ図鑑を見るような分類、大きさのデータも入っておりすばらしい出来栄えである。 この本に載っていて探検隊が見つけていない看板たちも数多くあり、探検へのチャレンジ魂が沸騰するのである。手元におきたい一冊。
▼佐溝力・平松弘孝編『日本ホーロー看板広告大図鑑』 (国書刊行会2008年・5040円)
サミゾチカラ氏のコレクションの集大成。前著『ホーロー看板にみる広告文化史』で使われた図版や資料が再利用されており、内容が酷似しているのが残念だが、収録されているホーロー看板のアイテム数も多く、146ページにわたるカラーで掲載されている。
また、看板にまつわるウンチクも紹介されており、ホーロー看板を研究する資料として活用できる。 欲を言えば、大図鑑と謳う以上、サミゾ氏が収集した2000枚以上の看板すべてを網羅する図版であったらと思う。それぞれのカテゴリーで代表的なものだけ並べるのは中途半端である。
▼佐溝力著『懐かしのホーロー看板』 (祥伝社2009年・1680円)
日本を代表する看板コレクター、佐溝力氏の最新刊。カラー図版も多く見応えがあるが、前二著で紹介された看板や、そのままの解説文が多いのは少々残念。ただし、新たに掲載された看板もいくつかあり、これは素直にうれしい。
看板を紹介する上で、企業の広告戦略や歴史を解説する努力は買いたいが、一方で、せっかくの自著なので、看板コレクションの苦労話や、現在行っている看板に関しての講演、展示などの活動を書いてみるのも良かったのではないか。読者にとって佐溝氏が一層身近な存在になったのではないかと思う。
▼水谷憲司著『京都・もう一つの町名史』 (永田書房1995年・1900円)絶版
京都市に残る仁丹町名看板について書かれた本。著者は2016年に故人となっているが、まだ現在のようにインターネットが普及していない時代において、1200枚にも及ぶ仁丹看板の撮影を行い、詳細なリストを残した。
仁丹町名看板を追いかける同志にとって、その業績は金字塔的な意味合いがある。 今後の仁丹町名看板を研究する資料としては大いに利用価値があり、後世に残る一級の資料といえると思う。
すでに絶版となっており、仁丹町名看板に興味があれば、古書店等で探し求めてほしい。
▼樺山聡・京都仁丹樂會著『京都を歩けば「仁丹」にあたる』 (青幻舎2023年・1980円)
京都仁丹樂會のブログをチェックしているので、内容的には新鮮さはないが、著者を始め仁丹町名看板に関わる人々の熱い思いがひしひしと伝わってきた。
直近の調査では木製と琺瑯製合わせて523枚の現存となっているが、1995年には1200枚が確認されている。
家屋の取り壊しやリフォーム等で年々減少していくのは残念だが、これは京都市が誇る文化遺産でもある。民間、行政を含めて保存活動が更に推進されることを望みたい。
(2023.11.28加筆修正)