琺瑯看板考現学
マニアあこがれの御三家看板
琺瑯看板の御三家といえば、「グリコ」「不二家のペコちゃん」「カルピス」である。オークションで高値で取引されているホーローマニア憧れのアイテムだ。 おそらく今の日本でこの三種類の看板が、自然のままの状態で商店の軒下に下がっていることはほとんどありえないことと思う。
もしそうだとしたら、あっという間に琺瑯狩りのターゲットとなるはずだから。 ではどうしたら御三家看板を見つけることができるのか?
答えは、とにかくこまめに探すしかないのである。“匂う”店があったら、店内に足を踏み入れ、店主と話すことも必要だ。広い日本中には、必ずどこかの店の壁や倉庫の暗闇に静かに潜んでいるに違いない。
グリコのマークはゴールインポーズ、憧れのグリコ
物心ついたときからグリコの看板を見ていたように思う。昭和30年代、いつも10円を握り締めていく近所の菓子屋の軒下に揺れていたのをよく覚えている。手の届く位置に下がっている看板を、おもいっきりジャンプしてタッチをするのが習慣だった。
もちろん、キャラメルもよく食べた。甘さに関しては森永が数段上だったが、「グリコのおまけ」の魅力のほうが勝っていた。妹とよくおまけのコレクションを競い合ったものだ。 そんな懐かしいグリコのマークはゴールインポーズ。
琺瑯探検を始めてちょうど一年、グリコを見つけることが看板探しのゴールと思っていたが、意外に早く遭遇してしまった。
岐阜県のとある乾物屋、以前から何か“匂う”と感じていた。意を決して店主に話しかけると、陳列棚の下から埃にまみれた看板を引っ張り出してくれた。それがグリコだった。しかも「一粒三百メートル」と書かれた戦前モノであった。
グリコの看板は戦後モノの2種類を入れて、全部で3アイテムが知られている。
私が見つけた戦前モノはマニア垂涎モノとも言われている。飾り看板ではなく、自然の姿のグリコを見つけるのは困難な課題であるが、これからも琺瑯探検を続けている限り、いつか必ず「琺瑯の神様」がもう一度微笑んでくれるに違いない。
(写真は2006年1月、岐阜県で撮影)
日本一のキャラクターアイドル不二家のペコちゃん
ペコちゃんとの出遭いは偶然ではなかった。いつも当サイトの掲示板に投稿していただいているるっちさんよりの情報が発端だった。私は送っていただいた地図を握り締め、名古屋市中村区のとある菓子屋に向かった。 いかにも下町らしさを感じる一角に、その店はあった。
店内をそっと覗くと、壁に貼られたペコちゃんが強烈なオーラを放って手招きしていた。桜餅やうぐいす餅といった餅菓子が所狭しと並べられた店内に入り、ペコちゃんと対面した。
「譲ってくれというお客がいっぱいいるでよう」
名古屋弁丸出しのオヤジさんが言う。
「でも、譲らんわな」
このペコちゃんは以前は軒下に掛かっていたらしいが、10年ほど前にはずして店内の壁にかけたそうだ。
もう40年以上の付き合い。店の歴史とともにずっと一緒だったという。 ペコちゃんはアメリカの雑誌広告からヒントを得て誕生したキャラクター、「ミルキー」は今でも人気のキャラメルである。
ペコちゃん看板には、表面が舌を出したペコちゃんで、裏が弟のポコちゃんのバージョンも知られている。いつの日にか遭遇したい看板である。
(写真は2006年3月、愛知県で撮影)
初恋の味…カルピスは甘かった
グリコ、ペコちゃんと見つけて、これまで出会わないままきてしまったのがカルピスの吊り看板。黒人をモチーフにした有名なデザインは一度見たら忘れられない。京都の古い商店にお蔵入りになっているという情報も得ているが、いまだに実物を見ないでいる。 狙いの看板とはタイプが違うが、2016年に埼玉県の酒店で出会ったのが、写真の看板。そこには求めていた黒人のデザインが施されていた。
幼いころのカルピスの思い出は、ぜいたくな夏のひと時、至福の時間と重なる。貧乏だった我が家ではぜいたく品で、亡き母は妹たちと均等に分けるためいつも薄く作っていた。原液をたくさん入れた“濃い”カルピスが飲みたくて仕方がなかった。
高校生になって初めて登った北アルプスの白馬岳の小屋で、バテまくりながら大雪渓を登り切り、息を切らした状態でヤカンに入ったカルピスをがぶ飲みしたことも楽しい思い出としてある。
同じグループで登ったちょっと気になる女生徒の汗に濡れたうなじを見て、心がときめいた17才の夏の思い出である。
長じて、カルピスを飲むことも無くなったが、あの甘い味を思い出し久しぶりに味わってみたいと思う。
(写真は2016年2月、埼玉県で撮影)