琺瑯看板考現学~昭和の残像
牛乳箱に憧れた少年時代
名古屋で少年時代を送った小学生の頃、初めて飲んだ牛乳の記憶が給食に出てくる「清和牛乳」というヤツだった。
「清和牛乳」はいわゆる“脱脂粉乳”で、最初は180ml入りの瓶、その後は三角形の紙パックに入っていた。クラスの仲間達は鼻をつまんで「まずいなぁ」と言いながら流し込んでいたが、私は(うまい…)と思って味わって飲んだ。
そもそも牛乳など飲んだこともなく、不味いか旨いかは比べようがなかった。しばらくして、銭湯で瓶に入った牛乳を飲んだとき、初めてホンモノの旨さを知った。
私が少年時代を送った昭和30~40年代、牛乳箱を設置して配達してもらっている家はそんなになかった。牛乳をとっているというだけで、子供心にお金持ちの家という印象があった。
貧乏だった我が家はぜいたく品の牛乳など買える筈もなく、早朝、布団の中で、隣家の牛乳箱に瓶を入れるガタコトという音を耳を澄まして聞いていた。
あれから何十年か経って、当たり前のように牛乳を飲む毎日になったが、あの頃に飲んでいたらもう少し背も高くなったかなぁ、とぼんやり思ってみたりする。
さて、ホーロー看板を探して古い町並みや路地を彷徨うようになってから、朽ちるにまかせ、忘れさられたように民家の玄関先に残されている木製の牛乳箱に目がいくようになった。
地方を回れば目にしたこともない地元の牛乳メーカーの箱もあり、縁はなかったけれど、牛乳箱に憧れていた少年時代に逆行するようで、懐かしい気持ちでカメラに収めている。
全国にはまだ相当な数の牛乳メーカーがあり、箱も残っていそうだ。
木製からプラスチックになるのは必至であり、いずれ消えていく運命にあるセピア色の思い出を昭和の残像として記録していこうと思う。
木製牛乳箱図鑑
現在までの発見数…320●現役メーカー
▲廃業・社名変更メーカー
×不明
※参考資料 『思い出 牛乳箱』(横溝健志著 BNN)