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仁丹町名看板

仁丹町名看板の謎 

仁丹の琺瑯看板はたくさんのバージョンがあるが、現在では鉄道系の大型看板と、京都市を中心に残ってる町名表示看板が知られている。
京都市の町名表示看板は昭和2年以降のものが多いようである。上京区、下京区、中京区、東山区、伏見区に中心に貼られているが、面白いのは、京都市に左京・中京・東山の3区が誕生するのは昭和4年にあるにもかかわらず、現在の左京区が上京区だった頃や、東山区が下京区だった頃の表示板も残っているという。
一説によると、仁丹の町名表示板は明治43年から設置され始めたともいわれている。また、伏見区の仁丹看板は“伏見市”になっているが、伏見市があったのは、昭和6年までである。
仁丹の町名看板は京都の歴史の変遷を知る上でも貴重な資料といえそうだ。
大礼服の軍人さんのトレードマークがついた町名看板が京都市や大津市に残っていることと対照的に、「仁丹歯磨」の町名看板は、大阪市、奈良市に残っている。
近畿エリアの他の地方都市に発見例があるのか情報を得ていないが、軍人マークと歯磨の看板分布が自治体によって分離されているのが面白い。
また、町田忍&泉麻人著『ホーローの旅』によると、明治43年から貼られ始めた町名看板は東京、大阪、名古屋、京都からスタートし、やがて全国津々浦々まで拡大していったとある。
戦災によってほとんどが消失したと考えられているが、全国を旅していていまだに出会えないのもいかがなものか。
大礼服の町名看板が残っていれば、ぜひ情報をいただきたい。

仁丹町名看板はどれだけ残っているのか?

京都市内に残る仁丹の町名看板を研究する集まりである「京都仁丹樂會」が行った2013年4月の調査によると、仁丹看板の確認枚数が木製を含め1359枚(昭和62年~)、現存枚数が740枚あることが分かった。
これはダブりも入れた数字であり、1359枚の中には埋蔵モノと呼ばれる屋外に出ていないものが120枚あるという結果である。
現存枚数の中には2010年の「京都琺瑯町名看板プロジェクト」で復活した平成版も17枚含まれており、その後年を追うごとに平成版は増加しているようだ。
また、仁丹看板を数多く収録するTMさんのサイト「悠久の思い出」や他の情報サイトによる集計を行うと、2005年以降に確認された現存枚数は、ダブりを入れて、下京区の表示された看板が368枚、上京区433枚、左京区15枚、東山区2枚、右京区4枚、中京区10枚、伏見区16枚、木製14枚の合計862枚を記録している。
ただし、私の調査でも2019年12月現在でこのうち110枚の消失や消失?を確認しており、2005年からの実質の現存枚数は740枚程度と思われる。(2016年時点の仁丹楽會の最新調査では現像枚数が672枚と報告されている)
調査の過程では、マニアに譲られたものや盗難?されたもの、家屋の建替えによって保管(埋蔵)されたものも多くある。
また、消失した過程で、京都市内に展示品として二次利用されたものもある。
消失したものについては、出来る限り看板が貼られていた"痕跡"も記録してきた。今後は消失?の再確認、未発見、未確認の調査を進めていきたい。
【追記】京都仁丹樂會が2022年6月のローラー作戦による最新調査では現存枚数が545枚という衝撃的な数値となった。

Profile

つちのこ プロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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