琺瑯看板探検隊が行く

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オロナイン


今でも放せない必須アイテム、浪花千栄子のオロナイン軟膏

山登りを始めてからいつも必ず携帯しているものにオロナイン軟膏がある。私にとっては絶対に必要なアイテムだ。
数ある登山形態の中でも僕が好んで行っているのは、沢登りという遊びである。水の中をジャブジャブ歩き、滝を登ったり、淵を泳いだりして山頂を狙うマニアックな登り方だ。水と戯れる遊びなので、もちろん濡れることは仕方ないが、これにはともすれば、「股ズレ」という副産物がついてくる。
濡れたパンツを長時間履いていると股間がすれて、皮膚が水膨れ状態となり真っ赤になってしまう。ひどいときは少し衣類が触れただけでも飛び上がるくらい痛い。もちろん、風呂には入れないし、歩き方も自然とガニマタとなる。
その特効薬としてオロナイン軟膏を使っているのだ。仲間たちも同じように股ズレを起こした日の夜のテントでは、寝袋に入ったメザシ状態の中で、オロナイン軟膏の回し合いが始まる。
不思議なことに朝になるとあれほど痛かった痛みも和らぎ、オロナイン軟膏の威力に手を合わせて感謝するのである(笑)。
そんなオロナイン軟膏、浪花千栄子おばさんのほのぼのとした語り口のCMが強く印象に残っている。
「浪花千栄子でございます」から始まり、「お子達の傷やしもやけに…」というフレーズ、もっと以前は「南公キクノといいますねん」というのもあった。
これだけのせりふを今でも覚えているということは、当時のCM量も相当多かったのだろう。そして今でもオロナイン軟膏の看板には、懐かしいせりふを思い出してしまうような不思議な雰囲気が漂っている。数ある琺瑯看板の中でも、名品中の名品といってもいいくらい存在感がある看板だと思う。
さてこの看板、東北や北陸地方など北国に多く貼られたという。反して、南の地方には少ないらしい。バージョンも「オロナイン軟膏」と「オロナインH軟膏」の2種類があるが、後期に作られたH軟膏のほうがひと回り大型である。
また、形態もオロナミンCのような張り出しタイプと、貼り付けタイプがある。 

▼オロナイン軟膏の歴史 [出典参考:Wikipedia]
Wikipediaによると、オロナイン軟膏は1953年に市販された。商品名の「オロナイン」はオロナイトの社名から採用されたもので、1965年に発売された炭酸飲料のオロナミンCドリンクのブランド名のヒントにもなった。
商品名は当初は「オロナイン軟膏」だったが、1969年に「オロナインD軟膏」に名称を変更、現在の「オロナインH軟膏」となったのは1972年からである。
1960年代の始めには大村崑が主演した「とんま天狗」で劇中でオロナインの生CMを流し、知名度が増した。
1960年代中盤以降は、ホーロー看板での宣伝や(1963年から)、松山容子、浪花千栄子、香山美子、名取裕子といった女性タレントがCMに登場した。(※画像参照/新聞広告 クエストⅢさん提供)
ホーロー看板は浪花千栄子の顔がプリントされたものが一番有名であるが、初期の頃はロゴ(商標)がデザインされたものが3種類ある。
左から順に年代が古いものと思われる。(以下)

発見リスト…前期バージョン

大塚製薬のロゴが特徴。張り出しタイプと貼り付けタイプがあるが、それぞれ商店、家屋の壁などロケーションによって、設置方法が選択されようだ。
「オロナインH軟膏」が発売されたのが1972年なので、この看板が造られた時期は、1960年代中期からの数年間と考えられる。東北、北陸地方には多く残っているが、北海道、九州では未発見である。

発見リスト…後期バージョン

大塚グループのロゴが入ったタイプ。初期タイプと比較して、数は少ないようだ。
現在までのところ、貼り付けタイプのみしか発見していない。張り出しタイプが存在するかどうかは不明。

発見リスト…オロナインH軟膏

H軟膏は1972年から発売された。よって看板の作成年代もそれ以後ということになる。貼られた数は少ないようで、発見地も愛知県、岐阜県のみである。

Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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