琺瑯看板探検隊が行く

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謎の看板


第1話 さくらひろ…大阪の山里で見つけた謎の看板

奈良県との県境に近づくと、いかに大都会・大阪といえども山里の中に田舎の風景が展開しはじめる。
小さな集落の、車がやっとこさすれ違いできるような目抜き通りを進むと、いかにも古そうな板壁の家屋が並んでいた。
よくみると、波形トタンで補強された壁の角に真っ赤な看板が。…「さくらひろ」と読める。更によくみると「富」「三の文字が読み取れた。 うれしいことに同じ建物には、「頭痛、のぼせ、引下げ・ノーエチ」の真っ赤な看板が貼られていた。こちらは「富山廣昌堂」と「三のロゴが読み取れた。
おそらく「さくらひろ」も同じメーカーの看板かと思われるが、一体何の看板なのだろう。薬なのか、それとも入浴剤なのだろうか…。
ネットで調べてみると、富山廣昌堂は実在していた。現在では、大阪のノーエチ薬品株式会社のグループに入っており、本社は富山の配置薬で有名な、富山県射水市にあった。
早速メールで問い合わせることにした。
私が知りたいのは①カテゴリー、②看板の年代である。

▼ノーエチ薬品株式会社様からのメール
「さくらひろ」について現在お調べさせて頂いております。 弊社及び製造元廣昌堂(以前はカネサンの愛称で親しまれておりました)の現社員にとりまして同時代の製品ではございません故年代の特定が困難です。
OBに連絡を取り、確かな情報を得られればと存じます。少しお時間賜りますよう宜しくお願い申し上げます。 製品のカテゴリーは婦人薬でありますが社内に処方内容の資料が残っておりません。これもお調べさせて頂きます。
まだこのような看板が残っていることは本当に驚きであり、つちのこ様がサイトにて紹介頂いておりますこと、本当に光栄に存じます。 判明次第ご連絡致します。

ノーエチ薬品様からは迅速なメールをいただいた。そして、それを受けてすぐに廣昌堂様よりの謎を解く見解メールをいただいた。それによると…

▼株式会社廣昌堂様からのメール
返事が遅れまして申し訳ありません。
1.カテゴリーは胃腸薬(錠剤)
2.販売時期は昭和30年~40年代と思われます。
家庭配置薬として販売しておりました。 余談ながら、看板下部分のマークは、株式会社廣昌堂販売の一種の屋号(印)で、数字の三に右肩カギを付けて「カネサン」と読みます。
今でも当社製造のせきどめ薬「カネドリン顆粒」はカネサン印のエフェドリン製剤であることに由来します。
他に、広貫堂印はマルコ、共栄製薬印はマルケ印等々。 手元に詳しい資料がなく当社としても残念ですが、この機会に調査致したく思っております。

▼ノーエチ薬品株式会社様からのメール
さくらひろにつきまして製造元の廣昌堂より回答させて頂きました。 先日婦人薬のカテゴリーであるとお答え致しましたが、女性の貧血と胃腸薬、両方の目的で愛用されていたようです。 今となっては大変珍しい処方のお薬です。

「さくらひろ」は女性用の貧血・胃腸薬だった!!
ノーエチ薬品株式会社様、株式会社廣昌堂様、ご協力ありがとうございました!
 

第2話 スピー…谷汲で見つけた看板の謎  

2005年4月2日、ホーロー探検を始めて2ヶ月目のことだ。
岐阜県谷汲村(現・揖斐川町)はいかにも山里の田舎という風景が素晴らしく、根尾村に続く旧道を走ると、古い家屋や土蔵が並び、お宝の匂いがプンプン漂ってきそうな雰囲気があった。
その頃はどんな看板でも、見つけるもの全てが自分にとっては初見で、手当たり次第に看板の撮影をしていた。
「スピー」と書かれた小さな短冊看板は、壁がはがれ落ちた土蔵にあった。あやうく通り過ぎるようなロケーションの中で、田舎でよく見る花嫁衣裳のプリント看板の隣に貼られていた。
クスリの看板だろうか、それとも「スピード落とせ」とか「スピード違反」などの交通標語の看板だろうか…とそのときは思っていたが、帰宅してからネットで検索しても出てこない。
ホーロー看板を扱っている骨董屋のおやじに聞いても分からなかった(その店にも色違いのスピーがあった)。
そんな折、このサイトを立ち上げたことで「謎の看板」として情報提供をお願いし、そのまま3年が経過した。
そしてようやく情報提供者が現れた。それもほぼ同時に2件あり、これによって長年の謎が解けることとなった。

▼情報提供者① Kさんからのメール
はじめまして 琺瑯看板のホームページ楽しく拝見させていただきました。 謎の看板の「スピー」というのがありましたが、私も気になり少し調べてみました。 既出かもしれませんが、たまたまyahooオークションに情報がありましたのでお知らせします。下記のページを見てみてください。もみすり機のページです。
http://page2.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b87274970(リンク切れ)
機ついているプレートに「株式会社スピー」と書かれていました。スピーの字体 機械についているプレートに「株式会社スピー」と書かれていました。
スピーの字体が琺瑯看板に書かれている文字と似ているように感じました。

▼情報提供者② Uさんからのメール
はじめまして 「スピー」は、農耕器具製作販売会社で「籾摺機(もみすりき)」で有名な会社だそうです。株式会社スピーとのことでした。

Kさんからのメールに提示されていたサイトはヤフオクのページで、現在は情報が削除され閲覧できない状況になっているが、掲載された写真を見ると、間違いなく「スピー」のロゴが入った籾すり機械だった。看板のロゴもそのままで、どうやら間違いないようだ。
更に、この情報を元に調べていくと、国立科学博物館の「産業技術の歴史」のサイトに「スピー」の情報が載っていることを見つけた。
博物館に収蔵されている機械は、国産初の動力耕転機というもので、大正時代に作られたロータリー駆動型と呼ばれるものだった。これは籾すり機ではないが、写真をよくみると、「スピー」の商標が入っている。(以下)
http://sts.kahaku.go.jp/sts/detail.php?id=1014&key=103080011013&APage=8
これらの2件の情報、調査した情報をまとめると、謎の看板「スピー」は、農業機械であるという事実が判明した。
看板が作成された年代は分からないが、おそらく籾すり機の宣伝効果を狙ったものではないかと想像する。
結論、 「スピー」は農業機械(籾すり機)だった!
情報提供者のKさん、Uさん、ご協力ありがとうございました!
 

第3話 人参三臓圓…犬山で見つけた看板の謎

2005年6月3日、愛知県犬山市の古い町並みが残る住宅地で変わった看板を見つけた。
残念ながら看板の下部が見えないが、「人参三臓圓」と読める。おそらくクスリの看板だと思うが、それ以上は判らずじまいだった。

▼情報提供者① さっさと成政さんからのメール
「人参三臓円」について、とりあえず検索サイトで拾える情報を集めました。まずは、「大阪日日新聞」のサイトに、下記のような記述を見つけましたので、ご報告いたします。
寛政元(1789)年、類焼のため家屋から多くの作品まで残らず焼失した73歳の若冲は、失意のあまり描画の気力を失い、さらに卒中(脳の血管の障害)で倒れ、病床に就く。  そんな彼に手を差し伸べたのが、大坂の鰻谷(現大阪市中央区島之内)にいた薬種商の吉野五運だ。彼は大坂でも三本の指に入る富商だが、文化人で熱烈な若冲のファンの一人でもあった。
家伝の秘薬三臓円はもとより、あらゆる高貴薬を服用させ、名のある医師を集めて治療にあたらせる。
なるほど、看板から読み取れる大阪鰻谷というのは、明治~戦前にかけて使われた地名だったのですね。お宝看板の通販サイト(名古屋ミルキー)で読み取れる「三臓円」の下部の「吉野五運」が薬種商だったことも勉強になりました。
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/naniwa070818.html  
また、医薬品の歴史と展示に関するサイトにも、以下のような記述がありました。  
江戸時代、道修町は全国の薬種流通の中心地であり、道修町の薬種問屋(薬種中買仲間)から全国に販売された薬種 (和漢薬) を原料として、家伝処方により調合された合薬が、家伝薬として各地で売り出されました。大阪市中でも浮田・鎮火五龍円 (安堂寺町)、沢・巨勝子円 (本町通)、吉野・人参三臓円 (鰻谷)、樋屋・奇応丸 (天満)、上西・はらはら薬 (天神橋)など多くの合薬屋があり、売薬とも呼ばれていました。
これらの売薬を宣伝するため、絵びら(絵入りポスター)や引札 (ちらし) による商品広告も活発に行われました。こうした、大阪市中の合薬屋の絵びら・引札の数々を紹介しました。
http://www.kusuri-doshomachi.gr.jp/gallery/kikakukako.html  
エーザイのホームページ「くすりの博物館」~掛看板~編にも記述がありますほか、愛知県西尾市の漢方薬局「堺屋薬局」が参加する「西尾でドットコム!お宝探し!」にも名前が登場していますね。
しかし、人参三臓円と吉野五運のことはわかりましたが、肝心の看板が、いつごろ、どういう製薬会社によってつくられ、どのような地域に分布したのかは不明です。引き続き、探索を続けてみます。  
それにしても、一枚のホーロー看板が語りかける歴史とロマンは本当に奥深く、知的好奇心を刺激してくれますね。

▼情報提供者② TOTさんからのメール
「謎の看板」コーナーにある「人参三臓圓」についてですが、三臓圓とは江戸時代の薬で、内臓の障害に非常にすぐれた効果をもたらす薬だったようです。
つちのこさんの撮影された写真は下のほうが一部隠れて見えませんが、自分の所有する画像で確認すると、この看板の下には「吉野五運」と書かれており、吉野五運とは大坂の鰻谷という所にいた有名な薬種商であるとのことです。

結論、 「人参三臓圓」は江戸時代から続く、薬種商のクスリだった!
情報提供者のさっさと成政さん、TOTさん、ご協力ありがとうございました!
 

Profile

つちのこ プロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。

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