琺瑯看板探検隊が行く

琺瑯看板考現学

銭湯の看板


意外にも銭湯は琺瑯看板のすみかだった

銭湯もずいぶん少なくなったと思う。昔はどの町にも1軒や2軒はあった。昭和40年代頃まで風呂がなかった我が家にとっては、風呂がある家が子供心に羨ましくて、凄いことだと思っていた。
しかし、銭湯に行くことの楽しみはそれを上回っていたようだ。風呂上りに飲むフルーツ牛乳やコーヒー牛乳の旨さ、そして帰り道の駄菓子屋の道草、煙突はどうやって掃除するのだろうという素朴な疑問…いまだに当時の楽しい思い出が甦ってくるから、まんざらでもない。
さて、郷愁を誘う銭湯の風景、ホーロー看板を探して下町の奥深くまで侵入すると、廃業した建物に出くわすこともしばしばだ。取り壊しもせずに廃墟になって残っているのもなんだか寂しいが、探せば、昔ながらの姿で現役で頑張っている銭湯もまだまだある。
更に、「中将湯」や「ワーム」といったホーロー看板を見つけたときには、有頂天になってしまう。ついでに浴室に常備されている風呂桶が「ケロリン」だったらなお最高だ。 このページでは、全国を回って見つけた銭湯のホーロー看板を紹介したい。
 

薬湯 中将湯温泉/寿湯 (愛知県名古屋市) 

■愛知県名古屋市中村区道町 (2006.3.18訪問/2010.9.17再訪) 
■かつての中村遊郭があった名古屋市中村区大門。「寿湯」はそんな町の一角にあった。
外観は歴史を感じる堅牢なブロック塀。アーチ型の入口には「薬湯 中将湯温泉特約浴場」の真っ赤な琺瑯看板が掛かっている。中に入って、番台に座っているご主人に尋ねてみた。 銭湯の看板
「うーん、かれこれ80年くらいになるやろか、古いもんだでね、ここは」 「昔、中将湯使っとたで、看板はそのときのもんだわな」 …という返事が返ってきた。
看板が貼られた年代はよく分からないということだったが、中将姫マークの変遷を見ると、戦後から昭和37年頃のものだろうか。
「中将湯」はツムラ(旧・津村順天堂)が、明治26年(1893年)の創業以来、100年以上に亘って販売されているロングセラー。もとは婦人病の飲用漢方薬だったが、それを風呂に入れる浴用タイプとして発売されたのが始まりだ。
その名残りか、全国には中将湯という屋号の銭湯も多くあるようだ。

くすり湯 中将湯温泉/朝日湯 (富山県高岡市)

■富山県高岡市白金町 (2008.3.8訪問)
■JR北陸本線の高架をくぐり、線路に沿ってしばらく歩いたところにある銭湯が朝日湯だ。 富山県高岡市には銭湯が多く、中でも朝日湯はレトロな銭湯として有名である。
創業は昭和の初めというから80年以上か。銭湯の看板
そして、建物の外観でひときわ目に付くのが「くすり湯中将湯特約浴場」の看板。 ここの看板は横型の鉄道系タイプである。中将姫のデザインが戦後から昭和37年まで使われたもの。商標のロゴも「TSUMURA」となっている。姫のイラストもかわいい。
あいにく営業前で入浴することはできなかったのが残念だが、ネットで調べてみると、大きな柱時計があったり、室内はレトロそのものらしい。
機会があったら再訪してみたい。

くすり湯 中将湯温泉/恵比寿湯 (石川県珠洲市)

■石川県珠洲市正院町正院 (2010.9.5訪問)
■古い町並みが残る石川県珠洲市正院界隈で見つけた「恵比寿湯」は、あとで知ったことだが、銭湯マニアの間では有名なスポットだった。銭湯の看板
何しろ、ロケーションが能登半島の先っぽ近く。海まで100メートル。営業も週3日程度。創業は大正9年まで遡るという古さ。確かにどれをとっても話題性があるのだ。
私は銭湯マニアではないので、入浴することへの関心は二の次だが、入口に掲げられた鯛をもった恵比寿さんのタイル画を見たとき、素直に、只ならぬ気配を感じた。
それを象徴するかのように、年季が入った建物の外観でひときわ目につく「くすり湯中将湯特約浴場」の看板。いわゆる鉄道系の大型タイプだ。
商標のロゴは「TSUMURA」となっており、中将姫のイラストもかわいい。 おそらく貼られた時期も名古屋の「寿湯」と同時代だろう。
それにしてもレトロな建物だ。あいにくの休業日で入浴はままならなかったが、能登の旅をよりディープにしてくれた内容に、感謝である。

貴重品は番台へ クリームワーム/船五湯 (岡山県倉敷市) 

■岡山県倉敷市船倉町(2010.8.7訪問)
■岡山県倉敷市の観光地、美観地区の中心から倉敷川に沿って続く静かな路地を、南に入った場所にある「船五湯」。
創業はなんと100年以上。知る人ぞ知る名銭湯である。 ここに「クリームワーム」の看板が貼られていると知ったのはネットの情報から。倉敷市内には「戎湯」にも同じ看板があるが、こちらは土曜休みとあって訪ねることができなかった。銭湯の看板
のれんをくぐるとすぐに番台があり、女将さんとおぼしき人が座っていた。410円を払って脱衣場へ。 「あった、あった」…思わず声が出てしまった。
黒光りする柱に「クリームワーム」の看板が貼られていた。その横には「マネービルの日興証券」の温度計。 撮影許可を貰い、看板やレトロな脱衣用ロッカーを撮らせてもらった。 それにしても「貴重品は番台へ」というコピーが最高である。
中国地方には「ワーム」の看板が多く残っているが、銭湯仕様というものも存在していたのには改めて驚いた。「ワーム」は昭和23年(1948年)に富山市水橋で創業したワーム本舗(現・ワーム薬品株式会社)の置き薬で、現在も“売薬さん”による営業で配荷されている。
さて、ロッカーは鍵がかからないので、コピーの教えを忠実に守って(笑)、女将さんに財布を入れたディパックを預けた。 そして浴室へ。
大人が2人ほどしか入れない小さな湯船には、暑い湯が満々と溢れていた。鼻歌交じりの先客のおじさんを気遣ってそろりと入ると、旅行者だと見破られたのか、倉敷のウンチクをしつこく聞かされた。
おかげでのぼせる寸前だったが…あまりの気持ちよさに極楽、極楽。

レート白粉/大社湯 (鳥取県倉吉市) 

■鳥取県倉吉市新町3丁目(2006.10.21訪問)
■鳥取県倉吉市にある「大社湯」にも興味深い看板がある。 「レート白粉」という化粧品の看板。ちなみに“おしろい”と読む。
発売は明治41年 (1910年)。明治11年平尾賛平商店として創業、昭和24年社名変更しレートとなった化粧品メーカーだ。 作曲家の平尾昌晃は直系の子孫である。銭湯の看板
「レート」は「西のクラブ、東のレート」と表され創業以来40年間も業界を二分したという。 貼られた看板について少し考えてみたいが、「白粉」と銭湯の関係は何か意味があるのだろうか? 銭湯と化粧、銭湯と女性を結びつけるのはややこじつけであるが、入浴によって身体や顔を清潔に綺麗にする…という連想から、銭湯に化粧品のホーロー看板があってもおかしくないかもしれない…と、言っておこう。
レトロな町・倉吉の隠れた一角にある「大社湯」の創業は明治40年で、すでに100年以上の時を刻んでいる。外観も年季が入った木造建築で、そこだけが時間が止まったような異空間である。
倉吉は町のレトロな雰囲気も濃厚だが、こうした看板が残っている銭湯がさりげなく建っているあたり、ぞくぞくするほど粋な町である。

オゾン浴泉/梅の湯 (群馬県館林市) 

■群馬県館林市仲町(2007.3.3訪問)
■古い町並みが残る路地で偶然見つけた銭湯。 入口に貼られた看板は、「バクレス式オゾン浴泉衛生浴場」。
頭にタオルを巻き、背中を向けて入浴する女性のイラストがなかなか色っぽい。 更に、“厚生省田口博士実験発表”“美容家山野千枝子女史推奨”というのが、なんとも妖しげで、たまらない。
そもそもオゾン浴泉とはナニモノなのか? 銭湯の看板
調べてみると、特徴としては心地よく暖まり、お湯や空気も殺菌・浄化効果のある風呂のことだとわかった。
さて、この看板、他にもイラスト違いのものがあるようで、同じものは群馬県前橋市の銭湯でも見つけている。オゾン浴泉をうたった銭湯は多いので、全国的にも比較的残っている看板ではないだろうか。
「梅の湯」は創業100年以上の老舗で、営業時間外のため入浴できなかったのが残念だが、それ以来、看板にあった“美容と健康の泉!”というコピーがひっかかっている。
メタボ気味の僕に効果があるだろうか。機会を見つけて再訪したい。

人参寶母散薬湯/橋本湯 (京都府八幡市) 

■京都府八幡市橋本小金川(2012.4.7訪問)
■京阪電車の橋本駅で下りると、そこには旧街道に沿って、古い町並みが続いていた。
この界隈は映画『鬼龍院花子の生涯』のロケで使われたのでも有名。 今は旅館業に転進しているようだが、昔からこの辺りは遊郭街だったそうだ。
ちなみに旅館は素泊まりで3000円から。京都のホーロー探検の基地としてはリーズナブルで良いかと思う。 銭湯の看板
そんな町並みが途切れた一角に橋本湯があった。創業は昭和4年。 タイル敷きの入口のたたきを入るとすぐに目に飛び込んできたのが、「人参寶母散薬湯」のホーロー看板。これを撮りたくて遠路はるばるやってきたのだ。
4代目というご主人は大変気さくな方で、番台に貼られた薬湯の看板を撮りにきたと言うと、僕をマスコミ関係者と勘違いしたのか、やおら、パンフレットや新聞の切り抜きを出してきて、店の歴史や町の見どころを熱く語るのであった。
看板は創業以来ずっと貼ってあるという。私が写真を撮っていると、看板のすぐ上に掛けられた電灯も古いので撮ったら、と何度も言われた(笑)。
人参湯は漢方薬で、アトピーなどの皮膚病に聞く効果があり、飲んでよし、お湯に入れて入浴にも良いということで、昔から人気がある薬湯だという。おそらくこの薬湯のホーロー看板は、この銭湯にしかないかもしれない。
さて、お湯のほうは…浴槽はちょっと狭かったが、地元の人たちで混んでいた。深めの熱い湯が張ってある浴槽に浸かると、一日の疲れがジワジワと取れていくようであった。

三馬のゴム靴他/大正湯 (北海道函館市) 

■北海道函館市弥生町(2015.9.9訪問)
■函館駅前から市電に乗って、終点にある函館どつくで降り、徒歩4分で目的の『大正湯』に到着。
大正三年創業の銭湯だが、さすがに函館。 歴史を感じるモダンな作りに改めて驚く。 外観ではとても銭湯には見えないのが、また良い。銭湯の看板
早速、館内へ。 下駄箱や天井、外見とはそぐわないレトロな雰囲気に圧倒された。 番台にいた女将さんに尋ねると、大正湯の屋号の由来は、ズバリ、大正時代の創業からつけられたということだった。
脱衣場には、『ホンダドリーム号』『マツダ三輪』『三馬のゴム靴』がスポンサーになった標語看板が貼られていた。
そのうちの一つ、“履物は間違わぬように、わずかな注意で楽しい入浴”というのが、いかにも昭和の銭湯文化を象徴しているようで面白い。
さて、肝心のお湯は… うーん、極楽、極楽。

Profile

つちのこ プロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。

琺瑯看板探検隊が行く
SINCE 2005.3.17