ホーローの旅
レポート1 あんた、なにしとるんじゃあ!
2005.2.5
愛知県春日井市
「なにしとるんじゃ?」
「あんた、なにしとるんじゃ!」…今度は背中ごしにはっきりと聞こえた。
シャッターを押そうとカメラを構えたまま、僕はその場に立ちすくんでいた。
ファインダーから目をそらし、振り返るとそこには小柄な爺さんが立っていた。毛糸の帽子に薄汚れた青い作業ジャンバー、足元は長靴、両手をポケットに入れている。
「看板を撮ろうと思って…」僕はしどろもどろになって、怒っているのか、困っているのか分からない、深いしわが刻まれた赤ら顔に答えた。
「そうか…」「畑に入らんといてな」といいながら、小さな背中を向けて爺さんは去っていった。
僕はぽかんとしながら、壁が剥がれ落ちた納屋に、びっしりと張られた看板を見下ろしていた。空は蒼いというのに、粉雪が舞う寒い日だった。
畑に建つ小さな納屋を、満員電車の窓からいつもぼんやりと眺めていた。人生の折り返し地点を過ぎた不惑真っ最中の身、そして毎朝1時間の通勤。日々時間を消費するだけの都心に向かっていくレールに、自分の意思とは関係なく乗ってしまったようで、「かけがえのない貴重な何か」を削っているような気がしていた。
吊革読書にも少し飽きたし、大好きな登山も膝を痛めてから長く中断していた。そんなころ読んだ『ホーローの旅』(泉麻人・町田忍共著)という本が、中央線の車窓の風景と見事にリンクしたのだった。
僕は二箇所の看板屋敷を確認していた。爺さんに出遭った納屋と、もうひとつは線路沿いにある大きな黒壁の蔵。そこにははっきりと金鳥の菱形看板と、NECの丸い看板が確認できた。
「あれが琺瑯看板か…」。本を読み終えてからは、いてもたってもいられない自分に気づいていた。初恋のときめきに近いものを感じる自分が不思議だった。ときめきが「どうしてもその場に立って、見たい」に変わっていくのに時間を要しなかった…。
2005年2月、僕はこうして記念すべき琺瑯看板探検の旅をスタートさせたのだった。
(2005.3.14記)
※2009年8月、写真の物件が取り壊され、跡地に倉庫が建っているのを確認。