ホーローの旅
レポート100 常陸の国へ、真夏のいばらき探検
2006.7.29
茨城県内原町~日立市~常陸太田市~常陸大宮市~城里町~笠間市~桜川市~石岡市~土浦市
都内で仕事を終えて、上野から水戸へ向かう常磐線の客となる。
今回の探検は、出張帰りに茨城県で看板を探そうという、ちゃっかりした計画なのだ。スーツにネクタイ、出張カバンにビジネスシューズという姿はいかにも野暮ったいが、この際だから仕方がない。
取手を過ぎた辺りから、看板の姿を目で追っていくが、疾走する「スーパーひたち」の車窓からは何も見えなかった。半ば諦めていたころ、水戸駅の手前の内原駅を過ぎてすぐに、原色の看板を何枚も貼った看板屋敷を発見。強度の近眼にも関わらず、我ながらこと看板を見つけるための動体視力の鋭さに驚く。
水戸駅では駅前の安いビジネスホテルに投宿した。エアコンと配水管を流れる水の音が気になったが、野球を観ながらビールを飲んでうとうとしていたら、知らないうちに眠ってしまった。
翌朝、レンタカーを借りる前に、前日に見つけた内原駅の看板屋敷まで電車で往復することにした。
片道15分ほどで内原駅に到着。目的の屋敷は線路脇にあり、学生服やミシンなどメジャーなものばかりだったが、茨城県での発見第1号だったので、それだけでうれしかった。
水戸駅に戻り、レンタカーで出発。夕方までの数時間では遠出はできないが、効率よく回ればお宝との遭遇もあるだろう。まずは久慈方面に向かう。
2005年に廃線になった旧・日立電鉄の久慈駅はホームの残骸を残して、静寂の中に埋もれていた。セイタカアワダチソウがまるで幽霊のようにそよぐ。
古い商店街が残る駅前をゆっくりと流すが、看板の姿はない。そればかりか人の姿もなく、さながらゴーストタウンのようだ。廃線の影響は町の活気も失くすのだろうか。
久慈駅から廃線跡に沿って進むと、にぎやかに看板を貼った蔵を発見。今では母屋が邪魔して見えないが、往時はJRの車窓からもよく見えたに違いない。
すばやく写真を撮り、この日2軒目の屋敷の発見に気をよくして、常陸太田市に向かう。
こじんまりとした町に、落ち着きのある古い町並みが続くのが常陸太田市のウリのようだ。動体視力に続いて、看板を探す嗅覚がフル回転し始めた。醤油や毛染め、自転車の看板を次々にゲットしていく。
中でも圧巻だったのは、入口の柱に「婦人公論」の看板を貼った本屋。「女の幸福をまもる」というコピーが素晴らしい。その昔、亡くなった母がちゃぶ台にほおづえをつきながら読んでいたことを思い出した。
梅雨の頃だったろうか。曇りガラスの向こうでは、雨が地面を叩いていた。
昼が近くなった。出張ビジネスマン探検隊は、コンビニで買ったおにぎりを頬張り、更に走る。御前山村から七夕飾りで賑わう城里町、笠間市とお宝を追っかける。
ようやくあがった梅雨が、今度はこれでもか、と強烈な日差しを照らしてくれる。クーラーを効かしても首筋に汗がにじむ。
城里町のはずれで「太田胃散」が貼られた農家の蔵を見つけた。草の匂いとキリギリスの鳴き声に夏を感じながら、蔵に近づきカメラを向けると、いきなり眼前のトウモロコシ畑から一喝された。
「なにしとるっ、ぺ~!」 大声の主は、麦わら帽子に作業服、肩には農薬が入った噴霧器を背負ったオヤジだった。
年のころは私と同じくらいだろうか。小柄なので猿のように見える。
「そこのくすりの看板、撮らしてもらおうと思って…」 …これまで何度もこんなやりとりがあったなぁ、と思いながら、けっこう冷静に今の状態を説明する自分がおかしい(笑)。
きっと変な奴だろうと思っているのだろう。
「ふ~ん」といいながら、噴霧器に背負われているような、オヤジの姿が見えなくなった。
こんなことがあって、それから先はモチベーションが一気に落ちてしまった。暑さのせいばかりでなく、自宅から遠く離れた土地で、シャカリキにホーロー看板を探す自分が、なんだかむなしくなったのだ。
看板探しに着地点はなさそうだが、砂漠の中で針を拾うような地道な行為には未来がない。
こんなことをしていて何になるのか、探すことの楽しみはあと何年続くのだろう。急速に姿を消している看板たちを想うにつれ、そんな気持ちが増してきた。
レンタカーを返すにはまだ早い時刻だったが、真壁町から八郷町を経由して土浦駅に着いた。
午後4時、首尾よく滑り込んできた上野に向かう快速電車の客となった。 ちょうどこの日は隅田川の花火大会が開かれるようで、浴衣姿の若い女性たちが何人も乗っていた。
看板探しで汗にまみれたビジネス姿の自分には、つかの間の癒し空間だった。
(2006.8.19記)
※画像上/城里町の中心部。ちょうど七夕祭りのイベントの準備中だった。
※画像下/真壁町の古いたばこ屋