琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート103 九州ホーローの旅③ 佐賀・福岡編

2006.8.10
長崎県東彼杵町~佐賀県武雄市~白石町~佐賀市~福岡県久留米市~八女市~立花町~熊本県山鹿市~熊本市


探検レポート103

朝の6時を過ぎたばかりというのに、長崎市内はすでに渋滞が始まっていた。ホテルの朝食サービスまでパスして出発したが、これでは先が思いやられる。
それにしても九州のクルマの多さはどうだ。いくらお盆が近いからといっても、どこに向かうにもクルマの列、暑さも輪をかけて、めげてしまいそうだ。
長崎市内から海岸線を東彼杵町に向かう。相互リンクしているおおまぐろさんの「琺瑯の旅」によれば、ここには国宝級の看板屋敷があるという。
大いに期待して探すこと1時間、どうしても見つからず、泣く泣く諦めた。
今回の探検では、情報を辿って訪ねた看板屋敷を見つけられないことが幾度もあった。取り壊された可能性が大きいが、僕の探索に向けるスタイルが軟弱になっていることも理由のひとつだ。
クルマから下りて、自転車や徒歩作戦に切り替えなければ、鉄道沿いのロケーションにある看板屋敷など見つけることはできまい。汗をかかずに楽して見つけようなどと、考えが甘いのだ。

探検レポート103

看板屋敷については撃沈状態となったが、そのエリアでしか撮れないレアモノはいくつかゲットできた。たとえば、「ふくろくわた」。
ふくろ寿の絵が素晴らしい看板である。これは福富町付近にしか現存していない。
「志ろいしわた」、これもレアだ。
しかし、取りこぼしも多く、九州にしかない「九十九島せんべい」「葉隠煎餅」「つくしあられ」「大和みそ」「コックソース」「チカラわた」などはぜひ見つけたかったお宝だが、ホーローの女神は微笑んでくれなかった。
ぼやいても仕方がないので、カミさんのナビで先を急ぐ。武雄市から佐賀市に向かうエリアは茅葺家屋が田園風景に見事に調和し、美しい景色が風のように流れ、心がなごむ。
佐賀市、中原町、北茂安町と、途中に吉野ヶ里遺跡に道草しながら西進する。
醤油や綿、酒の看板をゲットできたが、なかでもうれしかったのは「ジンセンアップ」だ。これは亡き喜劇俳優の南利明で有名な看板だが、これまでの1年半に至る探検で一度も遭遇したことがなかった。錆びた状態とはいえ、まさか佐賀市内のど真ん中にあるとは思わなかった。
彼は名古屋出身で、オリエンタルカレーのCMにも出ていた。 「オリエンタルのスナックカレー~、肉や野菜がいっぺぇ入って、どぇりゃあ、うまいでかんわ~」「ハヤシもあるでょぉ~」という、ブラウン管から流れたセリフが今でも記憶に残っている。

探検レポート103

福岡県に入り、久留米市の荒木駅近くにある有名な看板屋敷に寄る。ここは2軒続きで看板が貼られているが、雑草に埋もれ、欠落したものも何枚もあり、他サイトで見た、びっしりと看板が貼られた往時の面影はなかった。
この時点ですでに午後4時を回っていた。瀬高町の看板屋敷経由で熊本市に入るか、八女市から国道3号線を南下し、熊本市に抜けるか、地図を見ながらしばらく悩む
。結局、瀬高町を諦め、後者を取ることにした。 看板屋敷にも未練があったが、この選択はどうやら間違っていなかったようだ。
立花町から熊本県に入っても綿や醤油、焼酎などの大型の看板が貼られた家屋が現れ、“琺瑯街道”と名づけてもいいくらいのロケーションだった。
熊本市に入るとすでに陽はとっぷりと沈んでしまった。渋滞する国道沿いで、盃がデザインされた日本酒の看板を貼った家屋を見つけたが、暗いし、車を止めれないし…で、本日二度目の“泣く泣く諦める”心残りになってしまった。(つづく)
(2006.9.9記)
※画像上/弥生時代を代表する遺跡。吉野ヶ里遺跡を訪ねた。広大な敷地内に高床式の茅葺住居が復元されていた。



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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