ホーローの旅
レポート108 チヂミ、キムチ、キャベツ焼き…大阪下町潜入
2006.10.15
大阪府大阪市~八尾市~奈良県香芝市
難波行きの特急電車が近鉄四日市駅のプラットフォームに滑り込むと、でかい荷物を担いだ男が乗り込んできた。思ったとおり、副隊長のあんもんだった。
3月の広島遠征以来だから、彼とは半年振りの再会である。仕事が忙しくなったのと、少し体調を崩していたらしく、琺瑯探検からすっかりご無沙汰していたが、さすがに探検隊の副隊長だ。その間は看板を探している夢を頻繁に見たそうだ(笑)。
任務を離れても看板の姿が頭から離れないとは、律儀な男である。
鶴橋駅に着いて、荷物の中身を組み立てる。早朝自宅を出て大汗をかきながら担いできた折りたたみ自転車がようやく日の目を見た。
今日の計画は、鶴橋から野田までの約20キロを、戦災で焼け残った古い町並みを訪ねながらお宝を探すというスタイルで進めるつもりだ。
駅の構内を出るとすぐに迷路のようなアーケード街となり、キムチとにんにくの匂いが漂ってきた。狭い路地にひしめき合うように小さな商店が並んでいるが、開店前とあって一様にシャッターを下ろしている。
迷路を抜けしばらく走ると、ミシンの看板をずらりと下げた商店に出た。工業用ミシンを含むレアモノが揃っている。本日最初のお宝なので、素直にうれしい。
そこから南に向かってのんびりペダルを踏むと、コリアン街に出た。キムチや焼肉の店がずらりと並び韓国語が飛び交う。異国情緒を感じる場所だ。
鶴橋周辺には在日韓国・朝鮮人の二世、三世の方が多いというが、この活気あふれる雰囲気は以前訪ねたことがあるソウルや釜山の裏通りと変わらない。
あんもんと一時間後に鶴橋駅に集合と決めていたが、店頭に並ぶキムチや湯気が立つ旨そうなチヂミにばかり目が行ってしまい、看板探しに身が入らない。
約束の時間となり、収穫もないまま探検を切り上げて、買い物客でごったがえすアーケード街に突入。
待ってましたとばかりに、海鮮チヂミや韓国海苔巻き、餅キムチに舌鼓を打った。辛い食い物ばかりなのでビールが欲しかったが、午後からの行程を考えて、ぐっと我慢した。
しかし、その分食い気に走ってしまい、更に駅前通りで「キャベツ焼」という大書きされた看板を掲げた店を発見。
1枚110円という安さも魅力だが、キャベツと卵、天カス、紅しょうがだけのシンプルなお好み焼きが、感動的に旨かった。
ここまでは琺瑯探検どころか“食い物探検”となった気がしないでもないが、今日のテーマの「大阪の下町でお宝を探す」ということを再確認しなければならぬ。戦災で生き残った古い町を訪れるのがあくまで目的なのだ。
鶴橋から谷町までは、できるだけ古い町並みを探しながら走った。地理的には大阪城が近い位置になるが、谷町付近は戦災を免れただけあって、白壁の商家や町家がわずかだが残っていた。
もちろん、お宝の姿を探すが、ほとんど見つけることが出来なかった。都心のど真ん中で琺瑯看板を探すことはどだい無理なことかもしれないが、たまにはこんな探検もあっていい。
探検隊は道頓堀をかすめ、本町から野田に向かう。JR野田駅付近も戦災から逃れた町家が残っているエリアだ。
ここには、他サイトで取り上げられている「マダムソース」の看板があるというが、残念ながら消失していた。
しかし、「優生保護法による受胎調節実地指導」という曰くありげな看板を見つけた。優生保護法は昭和23年に施行された法律なので、ひょっとしたらこの看板はかなり古いものかもしれない。
午後3時を回り、野田駅で自転車を輪行袋にパッキングし、ひとまず大阪市内の探検を終了した。
そのままJRで鶴橋駅まで出て、更に近鉄に乗り換え、往路で見つけた河内山本駅や恩智駅にある看板屋敷を撮影し、帰路に着いた。
(2006.10.28記)
※画像上/近鉄鶴橋駅アーケードの商店街。キムチや海産物などの韓国食材が並ぶ。
※画像下/鶴橋の商店街を歩く