琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート119 ローカル看板の雨嵐、三重県南部を行く

2007.2.12
三重県津市~松阪市~多気町


探検レポート119

オークションで落札した三重県の地図を眺めているうちに、ムクムクと琺瑯の虫が疼いてきた。
2月というのにこのところのポカポカ陽気だ。なまりきった体を動かそうと、カミさんを誘って出かけることにした。
東名阪道から伊勢道を経由して、津市に入った。これまで何度か探検をしているエリアであるが、他サイトの情報によると、見落としも多いようだ。
まずは旧河芸町の酒醸造元を探す。さんざん迷った末、首にカメラをぶら下げて車も入れない狭い路地に潜入すると、眼に鮮やかなお宝が飛び込んできた。
赤と青の地に白抜きの「清酒豊州」の文字。いかにも地酒といった凛としたデザインだった。
目的のお宝をゲットして肩の荷が下りた。次に交通量が多い国道23号線を南下し、津市内の酢の醸造元に向かう。
鼻がピクピクするほどの甘酸っぱい匂いが漂う一角に、目的の店はあった。見上げるほどの木造の巨大な建物は、「ヤマニ酢」を造っている山二造酢店である。
お宝は鉄格子が張られた板壁に貼られていた。これもシンプルで粋なデザインだった。
久居市から更に南下すると、古事記を編纂した学者・本居宣長と、松阪牛で有名な城下町・松阪市に入る。

探検レポート119

気合を入れて昼食は松阪牛料理の老舗「牛銀」や「和田金」といきたいところだったが、見栄を張るまでもなく、市内に入る手前の国道沿いにあった「吉野家」になった。ものすごい落差である(爆)。まぁ、同じ牛肉料理なので、ご勘弁(笑)。
さて、松阪は美しい城下町で知られている。市内を見下ろす松阪城の天守閣跡に立つと、城に向かって生活道が伸び、松阪の町が計画的に整備されてきたことがよく分かる。
武家屋敷や商人町が手に取るように見えた。また、城跡公園に移設された本居宣長の住居を入館料を払って見学した。
10歳足らずの頃に模写した写本の見事な筆跡や、びっしりと細かく書かれた旅の日記を見ると、宣長が尋常な人ではなかったとことが伺える。いつの世にも凄い人がいる。
今回の探検は日帰りコースなので、そろそろ折り返しといきたいところだが、せっかく見つけても三重県特有のローカル看板ばかりで、このままでは不完全燃焼になる予感があった。
少し帰宅は遅くなるが、多気町(旧・相可町)までふんばることに決めて、伊勢街道沿いに残る古い町並みを辿りながら看板を探した。
まるで江戸時代にタイムスリップしたような丹生の町並みもよかったが、本日最高のパフォーマンスは倒壊寸前のたばこ屋に転がっていた、懐かしいインベーダーゲーム。
かれこれ30年近くなるだろうか、大学に入ってすぐの頃だった。覚えたての煙草を吹かしながら傍らに100円玉を積み上げて、つき合い始めたばかりのガールフレンドと、一杯のコーヒーで1時間も2時間もこの機械と格闘していた。
今思えば、平穏な中にもまぎれもない青春の日々があった。将来のどんよりとした不安と、バブルを目前に控えたやるせない喧騒の毎日を、こんなゲーム機に向かうことで消費していたのだ。
過ぎ去りし若き日々は、どれだけ振り返っても帰ってこない。 …少しセンチメンタルになってしまった。あ~あ(笑)。
(2007.3.10記)
※画像上/まるで、江戸時代にタイムスリップしたような丹生の町並み。



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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