ホーローの旅
レポート128 東北ホーローの旅1 越後から会津へ
2007.5.2
新潟県新潟市~阿賀野市~五泉市~阿賀町~福島県西会津町~喜多方市~会津坂下町~会津若松市
フロントガラスを激しく叩く雨の音で、目が覚めた。
新潟市内に近いサービスエリアは、重くよどんだ灰色の空間にすっぽりと覆われていた。
岐阜の自宅を出て6時間、仮眠もそこそこに走ってきた。この春最大のイベントともいうべき、これから5日間のホーローの旅が始まるのだ。
初日から雨というのもいただけないが、連休中の天気は悪くないと予報は告げている。 今回の旅は、秋田にある親父の実家を訪ねがてら、観光&ホーロー探検をしようというもの。
ナビはカミさんにお願いし、このところ恒例となった二人三脚のドライブ旅行のスタイルである。
新潟亀田インターから早朝の亀田町に向かう。今日の予定は、このまま新潟県を南下し、喜多方から会津若松を回り、郡山までの約200キロの行程である。
いつもなら磐越道であっさりと通過するアプローチなのだが、観光&ホーローの旅ともなれば、見どころもたくさんあり、お宝に遭遇するチャンスも期待できるだろう。
亀田の町は、お茶や肥料の看板の出迎えで、そんな期待をすぐにかなえてくれた。
更に旧・京ヶ瀬村を経由して、阿賀野市の水原町に入ると、オンパレードの様相になった。酒や肥料、自転車の看板が、雨に煙る古い町並みに絶妙に溶け込んでいた。
このところのホーロー探検では、ハンドルを握る時間のほうが長く、カメラを出すことが少なかったが、今日は違う。 傘を差すのも止めて、カメラを首にぶら下げ、次々に撮影していく。カミさんは、私が撮った看板の名称を、地図で場所を確認しながらメモをとる役目だ。
水原町からは新津市内にUターンするかたちで走り、JR磐越西線に沿って五泉市を目指す。
県道7号線は線路沿いを走るだけに、看板屋敷の存在を期待しながら進むが、空振りだった。
五泉市内はこじんまりとした町並みだが、村松町にかけては年季が入った造り酒屋や醤油醸造元もあり、地元ならではの酒や醤油の看板を1枚、1枚を確実にゲットしていく。
五泉駅近くのJR磐越西線の踏み切りで、念願の看板屋敷を発見。壁に立てかけられた木材が邪魔をして全体が見えないお宝を含めると、5枚の看板が貼られていた。
この屋敷は他の看板サイトでも取り上げられているが、「太陽櫻学生服」のレアモノバージョンがあったことで知られている。しかし、残念ながら「太陽櫻」は半分が欠落しており、「菊印わた」「官公学生服」も消失し、往時のパワーは失われたようだ。
福島県を目指して更に南下を続ける。最近の市町村合併で阿賀町になってしまったが、阿賀野川に沿って現れる旧・三川村、上川村、津川町、鹿瀬町の集落を丹念に拾っていく。
県境を越えると山が一段と迫り、阿賀野川が蛇のようにくねるのが車窓からも確認できた。
会津の玄関口ともいうべき福島県西会津町は、若松街道と西方街道が交差し、古い建物もよく残っていた。
「このキリンビールの看板、古いですねぇ、いつごろのものなんですか?」
「はっぎりわがんねぇけども、死んだジイさんの頃にはあったらしいけども…戦前かな、わがんねぇ」
蔵をそのまま使った店に、「キリンビール」のレトロな看板が掲げられた酒屋の店主(私と同年輩)に聞いた。
薄暗い店内には地酒の看板もあり、ホーロー看板を求めて全国を回っていることを話すと、人なつっこい笑顔を見せながら、 「ちょっど待ってろや、珍しいのがまだあるべ」といいながら、「住友肥料」の大看板を倉庫から出してきた。
別段珍しくもないのだが、せっかくの好意だ。このところ撮影拒否にあったりして、疑心暗鬼になっていたところなので、こちらもうれしさを顔に出しながら、撮影した。
午後を回り、ようやく喜多方市内に入った。まずは腹ごしらえだが、やっぱり喜多方といえばラーメンだろう。
数年前に訪れたときには、深夜だったこともあり、市内を駆け回ってようやく見つけたラーメン屋に入ったことを思い出す。妥協したのがいけなかったのか?味のほうも???だった。
今回は失敗が許されないということで(?)、カミさんが図書館から借りてきたガイドブックを見ながら突撃である。
喜多方市内には100軒以上もラーメン屋があるらしく、駅前から北に向かって放射状に伸びる道沿いには、どこに入ってもラーメン屋ののれんが下がっていた。
しかし、突撃した有名店には長蛇の列。更に次のねらい目も同じ。さすがに連休ともあって、喜多方市内はとんでもない状況になっているようだ。私らには一時間も並ぶヒマはないし、しかし、旨いラーメンを食いたい…。
こうなりゃあ、地元の人に聞くのが一番と、観光案内所を訪ねた。
「おいしいラーメンなら、すぐとなりの店もいいですよ、地元の人がよく行く穴場だと思いますが…」
『浜町食堂』という喜多方ラーメンののぼりを掲げた、冴えない店構えの食堂がそれだった。店内は薄暗くて、タイル張りの壁が続く地下鉄の連絡通路にあるような、まるで昭和30年代にタイムスリップしたような店。
お客もまばらだったが、この店のラーメンは確かに旨かった(並み600円)。
今、思い返してもヨダレが出てきてしまうほどだ。“隠れた名店は外見にあらず”…だろうか。
話が横道に逸れてしまったが、喜多方市内はお宝の姿もたくさんあった。蔵の町らしく、古い町並みも残り情緒を感じる落ち着いた雰囲気がいい。
酒の醸造元も多くあり、その中の一つ、「大和川」という銘柄を作る酒蔵を訪ねた。新酒ができたことを知らせるスギ玉が下がった江戸時代に出来た蔵の中は、ひんやりとした空気が心地よく、利き酒をぐっとこらえて、見学をさせてもらった。
その後は、猪苗代湖を眺めながら会津若松を回り、郡山のホテルに投宿した。
シャツの襟を立てなければ凍えてしまいそうな冷たい風に、5月とは思えぬ冷たい雨が混じり、会津若松城の天守閣から見た町並みは、どんよりとした灰色の景色の中に埋もれていた。
郡山市内で見つけた居酒屋で、カミさんと差し向かいで郷土料理を肴に飲み始めると、一日の疲れがどっと出た。生ビールわずか2杯で、目が閉じていく始末だった。(つづく)
(2007.6.10記)
※画像上/大和川酒造の蔵の中で。「清酒大和川」を造る、喜多方を代表する酒蔵。
※画像下/喜多方ラーメンの人気店に並ぶ行列。