ホーローの旅
レポート142 南九州750キロの旅1 鹿児島薩摩半島編
2007.11.9
鹿児島県霧島市~さつま町~薩摩川内市~いちき串木野市~南さつま市~枕崎市~鹿児島市
鹿児島空港に降りると、そこに夏の世界だった。
気温25度。迎えに現れたレンタカー会社のおじさんは半そでのワイシャツ。道行くおばさんたちもTシャツ姿だった。
早朝、中部空港を出たときは、ブルゾンを着込むほど肌寒かったのに、ここには真っ青な空に輝くばかりの陽光が溢れていた。
(とうとう、来ちまったんだなぁ)…と、思わずつぶやく。これから3日間のホーローの旅が始まるのだ。
ガソリン高騰もあって、燃費がいい1000CCのトヨタ・ヴィッツを予約していたが、渡された車は古ぼけた日産サニー(1500CC)。
なんでもSクラスは全部出払ってしまったようで、レンタカー会社の職員いわく、「大きい車のほうがいいでしょ」…だって。
運転席に座るとたばこの匂いも気になるし、ナビも古い。「何とかならんのか」と交渉するも、「車が無いんで」の一点張りで押し切られてしまった。 ともかく、こんな感じでホーローの旅が始まったのだ。
まず目指したのは、霧島市の横川町。ここから薩摩川内市まで西進し、今度は進路を変え、薩摩半島の先端に向かってひたすら南下する。
目指すは開門岳(薩摩富士)が見える指宿だ。 映画のセットにでもなりそうな木造駅舎が素晴らしい大隈横川駅に着くまでに、焼酎やかとりせんこうの看板をゲットした。
南九州ならではの定番であるボンタンアメや兵六餅もよく見かけた。 兵六餅の読み方はこれまで“へいろくもち”と思っていたが、今回の旅で、“ひょうろく”と読むことを知った。
ボンタンアメと対で貼られているのは、どちらも鹿児島市のセイカ食品(株)のブランドだということも知った。
看板探しをしなければまったく興味がなかったこうしたウンチクも勉強になる。ありがたいことだ。
さて、クルマはさつま町へ向かうが、駅から県道に出るため青信号になった交差点で右折しようとすると、耳が裂けんばかりの大音量のクラクションを鳴らし、信号無視して暴走してくる大型トラックが目の前をよぎった。
間一髪だった。あやうく衝突するところだった。もう何秒か交差点に入るのが早かったら完全に巻き込まれていた。
(それにしても、なんちゅうトラックだ)…と思いながら交差点を右折すると、なんとそこには、歩道に乗り上げて滅茶苦茶につぶれた乗用車と、車のボディの破片がちらばっていた。
間違いなく今のトラックにぶつかったんだと、直感した。 車を路肩に止め歩道の乗用車を見ると、車内に何人かいるようである。(これゃあ、えらいこっちゃ)と思い、すぐに救助をしなければと思った。
すると私よりも早く、レスキュー服を着た若者2人が事故車に向かって駆けていった。ちょうど事故現場にいたらしい。
交通量が多い県道なのですでに渋滞も始まっている。ここは専門家に任せることにし、心残りであったが、先を急ぐことにした。
(翌日、新聞の記事で詳細を知った。暴走した運転手は逮捕、1人が死亡、重軽傷3名の大事故だった)
事故を目撃した余韻が尾を引いている。ハンドルを握る手もすぐに汗ばんでしまうありさまだ。ホーローの旅は始まったばかりだというのに、これでは先が思いやられる。
そんな不安を払拭するかのように、さつま町から薩摩川内市にかけては、いかにも南九州らしい看板たちが目を和ませてくれた。
カクイわたの黄色バージョンや、同じくカクイわたが作っている理想綿という看板は、おそらく九州でもこのあたりにしか残っていないお宝だ。
休耕田に咲き乱れるコスモスを見ながら南さつま市から枕崎市に出ると、薩摩半島の先端にある指宿市も近い。
しかし、すでに16時を回り、このままいくと指宿に着くころには日が暮れてしまう。15年前に登った開門岳をもう一度見たいという気持ちもあったが、ここはホーローの旅を優先することにした。
半島先端をカットし鹿児島市までの県道を走る。鹿児島県にしかない折鶴醤油や、ボンタンアメのベンチ看板などレアものもゲットできた。
鹿児島市が近づくと、夕暮れに浮かぶ桜島の大きなシルエットが迫ってきた。 今夜の宿は鹿児島随一の繁華街・天文館にあるホテルだ。
さて、晩飯はなにを食べようか…さつま揚げで焼酎もいいなぁ、その後は鹿児島ラーメンかなぁ…なんて思いながら、渋滞が続く鹿児島市内をのんびりと向かった。(つづく)
(2007.12.22記)
※画像上/休耕田に咲き乱れる見渡す限りのコスモス。日置市
※画像中/映画のセットになりそうな大隈横川駅の木造駅舎。
※宿泊/ビジネスセンター鹿児島観光ホテル(鹿児島市)シングル素泊まり朝食付き4200円 ☆☆☆★★ 鹿児島一の繁華街・天文館にある。