ホーローの旅
レポート143 南九州750キロの旅2 鹿児島大隅半島編
2007.11.10
鹿児島県鹿児島市~霧島市~曽於市~鹿屋市~東串良町~志布志市~宮崎県日南市~都城市
鹿児島市内のホテルを出て、国道10号線を海岸線に沿って走り出す。
錦江湾を挟んで、正面には鹿児島の象徴である桜島がど~んと座っている。潮の香りと逆光に反射して、噴煙を吐いてるその姿が、更に巨大に見えた。 (鹿児島に来てるんだなぁ…)と、改めて思った。
ホーロー看板に取り憑かれて、2年。“糸が切れた凧”“舵を失った難破船”と、放浪癖がある自分のことを面白おかしく勝手に形容していたが、まさか本州最南端のこの地まで流れてくるとは思わなかった。
しかし、南国の地でのお宝探しは、すでに数年遅かったようである。(株)ダルマックスさんのサイトを始めとして、事前に情報収集をしてきたつもりだが、昨今のホーロー看板を取り巻く状況は、ここ鹿児島でも例外でないことを今更ながらに実感した。
鹿児島市内から霧島市国分にかけては、お宝の姿を見ることはなかったし、期待の曽於市の看板屋敷ロードは壊滅状態だった。
地図とナビを駆使して、山間の集落狙いの道を走り回ったが、コンクリート塀に貼られた焼酎看板がやっとの収穫であった。 「きびしいねぇ…」独り言をつぶやきながらハンドルを握る。
お宝が出てこないので、2時間もノンストップで走るありさま。腰も背中も固まってしまった。 (帰ったら、また鍼かなぁ…)…ぼんやりと思う。
国分から鹿屋市にかけての国道504号線は、大隈半島特有のサツマイモ畑が延々と続き、景色も単調である。コンビニもないし、トイレもないから困ってしまう。
やっとこさ見つけたラーメン屋で腹ごしらえをした。「ラーメン三太郎」という鹿児島ラーメンの店。
こちらに来てから早くも三杯目だが、鹿児島ラーメンの旨さに驚いている。九州の麺は博多に代表される細麺が主体と思っていたが、熊本にしかり、鹿児島にしかり、太麺がもつ実力に感動している。
やはり麺は太くなくてはいけない(なんのこっちゃ・笑)。
さて、南国ひとりホーロー探検隊は、鹿屋市から志布志、更に宮崎県を目指して走る。気温は25度くらいだろうか。窓は全開、首にタオルをかけ腕まくりをしてのドライブである。
ようやく出てきた「さつま白波」や「さつま若潮」といったご当地看板をゲットし、志布志市に入った。
そういえば、行きの飛行機に乗り合わせた老夫婦は志布志の出身だと言っていた。なんでも、飛行機に乗るのは初めてだそうで、シートベルトの着け方を私に訊ねてきた。
苦労をされてきたのだろうか、深いシワが刻まれたお二人の表情が、優しかった。郷に帰るのは28年ぶりとか言ってたっけ…。 (もう少し話が弾んだら、うまくいけば一宿一飯のチャンスがあったかもしれないなぁ)…なんて思いながら県境を越えた。
串間から国道220号線を日南市に向かう。お宝の姿はまったくない。うわさ(宮崎県は不毛の地)には聞いていたが、どこにでもあるマルフク看板すら見つけることができない。
東国原知事の政策でもあるのか、さては、観光行政が加熱して外観重視のために街中の看板をはがしているのか…。
「…ないなぁ、ないよ~」ぼやきと独り言が頻繁に出てくるようになってしまった(笑)。
日南市油津でクルマを止めてしばし散策をした。油津は江戸時代に材木の集積地として、また、海上輸送の湊として賑わった町である。
目抜き通りには三階建ての木造建築がどーんと建っていた。 中をのぞくとガラス越しにお宝の姿が。象印のシャベルと日本ペイントの看板だ。宮崎県でようやく初ゲットだ。
更にレンガ造りの建物がある脇道や土蔵がある町並みを歩いてみたが、残念ながらお宝の姿はなかった。
結局、2日目はこうして暮れた。 宿がある都城市までは国道222号線(飫肥街道)の山越えルートを選んでひた走った。途中で、城下町として有名な日南市飫肥(おび)に道草してみたが、ここでもお宝とめぐり逢えることはできなかった。
うーん、恐るべし、宮崎県。 そのまんま東の呪いか!“このまんま”では終われない(笑)。(つづく)
(2008.1.5記)
※画像上/JR日豊本線に沿って桜島が大きく見えた。鹿児島市
※画像中/日南市飫肥の飫肥城大手門※画像中/飫肥の町並みを歩く
※宿泊/都城ステーションホテル(都城市)シングル素泊まり4200円 ☆☆★★★ 都城駅からは近い。向かい合わせにあるスーパー銭湯のサービス券をくれる。設備は古くて、エアコンの音がうるさかった。