ホーローの旅
レポート146 大阪下町ホーローウォーキング
2008.2.2
大阪府大阪市~東大阪市~奈良県桜井市
都市開発やホーロー狩りの暗躍もあるが、全国規模で進行しているここ最近の急激な看板消失は、もはや末期的な症状である。
焦っても仕方がないが、されど焦らずにはいられない。 そんなヤキモキする気持ちを反映して、今年の探検は年明けと同時にスタートするつもりでいたが、体調を崩したり、予期せぬインフルエンザに罹ったりするうちに、機会を逃してしまった。
結局、スタートは遅れに遅れて、2月になってようやく重かった腰を上げた。
温めていた計画はいくつかあるが、最初に実行したかったのが、大阪の下町探検だ。
電車と徒歩を駆使して下町の路地深くまで侵入して探してみたい。
大阪駅や天王寺駅周辺には戦災を逃れた長屋や町家も残っており、のんびりと歩くには楽しそうだ。
ひょっとしたら新たなお宝に遭えるかもしれない…。 そんな期待を胸に秘めて、近鉄鶴橋駅からJR環状線に乗り換え、野田駅で降りた。
野田周辺の探検については、2006年10月に副隊長のあんもんと行っている。あれから1年半が経過して、当サイトの常連投稿者のTMさんから新たな情報をいただいたこともあり、満を期しての探検である。
パーカーにマフラー、手袋をつけてまず向かったのか、「マダムソース」が貼られている家屋。前回、見つけることがてきなかった看板だが、今回は正確な情報を持っていることもあり、まっすぐに向かう。
しかし、目的地に着いて唖然としてしまった。看板が貼られた家屋が工事中(リフォーム?)なのである。足場から垂れ下がっているネットの下に看板があったが、残念ながら撮影ができなかった。
しょっぱなからつまずいてしまったが、気を取り直して、「バイエル十字」「太田胃散」が貼られた場所に向かう。
年度末なのか、そこらじゅうで道路工事をやっている。人通りもない閑静な一角に着くと、下町のお宝がごく静かに貼られていた。
続く、「清酒 大関」の看板も同様。夏の夕暮れには立ち飲みの客が涼みながら飲むのだろうか、酒屋の店先に置かれた竹製の長イスの脇に、ちょこんと貼られていた。
ここまでは順調である。酒屋がある海老江界隈からJR野田駅に戻る復路は適当に歩く。
クルマはもちろん、人のすれ違いも厳しいような路地に長屋がひしめき合っている風景は、大阪の下町ならではだ。
そんな路地の奥に小さなたばこ店があったり、魚屋や八百屋があったりする。 「おばちゃん、負けとくで~」と、威勢のいい声が路地にこだまする。
戦前からこうした営みがずっと続いているのだろうか。なんだか妙に懐かしい気分にさせられた。
野田駅に戻り、腹ごしらえ。ガード下が飲食店街になっており、一杯189円の激安ラーメン屋やだんご屋、お好み焼屋などが軒を連ねていた。
ラーメン屋に入り、250円の玉子入りラーメンを注文。昔懐かしい学食のしょっぱいラーメンを思い出した。
まだ満腹にはほど遠いので、次にお好み焼屋に入り、お好み焼きとたこ焼を追加。これがまた安くて旨かった。
ベルトが苦しいお腹をさすりながら、JR環状線に乗り、天王寺駅で降りる。今度は生野区にある「ライオンかとり線香」と「マダムソース」だ。
古い商店や家屋が残っている一角に、目指す2枚の看板が整然と貼られていた。「マダムソース」は野田で空振りだっただけにうれしい収穫。「ライオンかとり」も、このバージョンは関西にしかない珍しいタイプ、これもうれしい一枚だ。
このまま鶴橋駅まで歩くが、そろそろ足が痛くなってきた。日頃から5キロのウォーキングをしているのでなんでもないと思っていたが、10キロを超えると、かなりきつくなる。
鶴橋駅から布施駅経由で近鉄大阪線に乗り、行きに見つけた長瀬駅の看板屋敷を撮影し、そのまま近鉄奈良線の河内永和駅まで歩く。
東大阪市に残っているというキンチョールの町名表示看板が狙いだが、見つけることができないまま、足を引きずって駅に到着。そのまま瓢箪山駅まで電車に乗り、商店街を足の痛みに耐えながら歩いて、今度こそ狙いの看板をゲットした。
足も痛いし、雨が落ちてきそうな状況なので、探検をこれでやめようかと思ったが、行きの車窓から確認した看板屋敷がどうしても頭から離れず、結局、電車を乗り継ぎ、近鉄津桜井駅(奈良県)で途中下車することにした。
それにしても我ながらすごい根性である(笑)。
すでに20キロ近く歩いていると思うが、看板のためだったら何のことはない(笑)。
17時を過ぎ、薄暗くなってきた。パラパラと細い糸のような雨も落ちてきた。パーカーのフードを被り、パンパンに張った足をさすりながら、記憶を辿って目的地に急ぐ。
しかし、線路脇にあったと思う看板屋敷がどこを探しても見当たらない。…幻だったのか?
奈良県の地図を持ってこなかったのは失敗だった。冷静に考えて気がついたが、まったく反対方向に歩いていたようだ。
これには愕然としたが、暗くなるまでもう時間がない。急いで引き返すことにし、最後の力を振り絞って、走ったり、歩いたり(笑)。
ようやく目的の看板屋敷を見つけた時は、日没寸前だった。時間があれば、看板を隠している枯れた雑草を取り除くところだが、それも叶わず。撮影を済ませるだけで精一杯だった。
この日、酷使した足は自分のものと思えないぐらい、ひどい状態になった。足の裏には水泡をもったマメがたくさんできた。
久しぶりの徒歩探険だったが、最後に訪ねた看板屋敷が不本意な撮影になったことが頭から離れず、足の痛みに耐え、駅の階段を手すりにつかまって登りながら、固く再訪を誓うのだった。
(2008.2.3記)
※画像上/八坂神社の福門。節分の行事が行われていた。福島区海老江
※画像下/近鉄長瀬駅近くにある看板屋敷。2015年に倒壊し、看板はすべて消失した。