琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート16 深山菊を探して~飛騨路の旅

2005.3.19-20
岐阜県多治見市~可児市~川辺町~下呂市~高山市~飛騨市~高山市


探検レポート16

お米を貰いにカミさんの実家がある飛騨高山に行くことになった。
2月1日の町村合併により実家の住所は高山市になったが、平成の市町村合併により、旧き良き地名が失われつつある。
朝日村や高根村、丹生川村、国府町、古川町も例外ではなく、高山市とか飛騨市といわれてもピンとこない。 そんなこと私がいくら叫んでもどうにかなるわけでなく、ここはお上の決め事に従うしかあるまい…と、ぶつぶつ言いながら1泊2日の飛騨への旅が始まった。
同行したカミさんや子供たちには、「今回は琺瑯探検をしながら走る」と宣言をする。家族の者たちは、僕が道中しっかり運転さえすれば、「好きにしてくれよ」といった、ほとんど関心がない雰囲気だった(笑)。
今回の探検の目的は、ある看板を探すことにある。「深山菊」という飛騨地方の地酒看板だ。実は、カミさんの実家の壁には、10年前まではこの「深山菊」の菱形の大看板が2枚貼られていたのだ。
しかし、その看板は今はない。義父に聞くところによると、家のリフォームにあたり、看板をはずしたことはいいが、処分に困り、当時生きていた大爺さんが、ほうれん草の作業小屋の屋根に雨漏り対策として葺いてしまったそうだ。
私もあの菱形看板についてはしっかり記憶があり、今回の旅で見つけることが出来ればという淡い期待があったのだ。
多治見市の北部から琺瑯探検を始める。川辺町までは何度も走っている道だが、ほんの少しだけ幹線道路から横道に逸れると、早々とお宝を見つけることができた。「うーん、まだまだ見落としはある」。
前回、くまなく探検した飛騨金山は一気に通過し、下呂~小坂は国道から離れ、商店街や濁河温泉へ続く横道に入り探検。 期待していた商店街での収穫はなく、学生服の看板を見つけたくらいで、久々野へ向かう。駅周辺でお宝を少し見つけるが、やはり思った以上に収穫は少なく、いつもより1時間以上の時間をかけて、実家に到着した。
カミさんと子供たちを実家に置いて、高山方面に車を走らせる。独りになったこともあり、ここからはのんびり気ままに琺瑯探検に集中できる。
まずは観光客でごった返す高山市だが、1000円出してまで車を駐車する気にもなれず、適当に市内をぐるりと走ってサヨナラすることに決める。

探検レポート16

ネットの情報により、旧い町並みあたりでオロナミンCが現存していることを知っていたが、車で適当に回ってうまくゲットできればラッキーだ。
しかし、土曜日の午後のこれだけの人波を見たら、うんざりして看板探しをする気にもなれない。その上、せっかく見つけたお宝たちも、いわゆる客寄せ用の飾り看板ばかりで、ますます意気消沈。今時、ペコちゃんや花王シャンプーを日本中探しても見つけることは不可能なのに、いかにもレトロ感を出すために店の軒下にこれ見よがしに針金で吊られている姿を見たら、一刻も早くここから離れたくなってしまった…。
高山からはJR沿いに集落を回りつつ、国府~飛騨古川まで探検。古川も高山を小さくしたような雰囲気があり、やはり観光客が多い。ここもじっくり探す気にもなれず、早々に引き上げることにした。

翌日、家族の者たちに午前中に戻ってくる旨を伝え、早朝から独りで探検開始。朝日(旧朝日村)から秋神温泉、高根町(旧高根村)を探検。
高根町については、これまで山登りで何度も訪れており、大いに期待したがまったく収穫はない。さすがに看板貼り師もここまでは敬遠したようだ。
昔は道も悪く、秘境のような場所だったのだろうと想像する。 今回は家族と一緒だったこともあり、充分時間をかけての探検とまではいかなかったが、次回の再訪を考えてもいいくらいの手応えはあった
。深山菊の菱形大看板との再会はなかったが、別のバージョンは見つけることができた。 しかし、広大な飛騨である。
彼の琺瑯は必ずや、ひっそりと風雪に耐えて、息を潜めているに違いない。次回の探検に望みを託す。
(2005.4.5記)



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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