琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート163 珠洲岬へ 能登半島先端探検

2008.7.5
石川県津幡町~富山県氷見市~石川県穴水町~珠洲市~輪島市


探検レポート163

北陸の看板マニア・クエストⅢさんとの5回目の探険である。
寝苦しい一夜を過ごした、金沢市内の安ホテルに迎えに来てもらい出発。夏の陽射しが朝からまぶしい。
例年よりも早まりそうな梅雨明けを予感しながら、国道8号線を一路、津幡町へ向かう。
今回の探険は、能登半島の先端にあるという「清酒宗玄」の看板を撮ることが最大の目的だ。
広大な能登半島、その先端までとなると、いくら金沢からの往復とはいえ、相当な時間が予想される。あまり寄り道はできそうにもないが、我々二人がまだ走破していない道を選んでコマを進めることにした。
津幡町から氷見市に抜ける県道は何本かあるが、いずれも忘れた頃に小さな集落が出てくる寂しい道である。
ちょっとした峠に差し掛かる勾配の民家で、本日最初の発見となったのが「頭痛ノーヂ」と「感冒ユイツ」。
ムヒ本舗の兄弟看板だが、対で貼られているのを久しぶりに見た。マニア受けするデザインなので、琺瑯狩りの恰好の標的になりそうであるが、このロケーションならば、ほとんどの人が気づかないだろう。事実、私たちもあやうく通り過ぎるところだった。

探検レポート163

海が近いからだろうか、肌に差し込んでくる日差しが強烈だ。陽炎がゆれる集落の脇道に入ると、水原弘と由美かおるのツーショットが迎えてくれた。
ホーローの中のホーローといってもいいこの2枚も、今ではほとんど見ることができなくなった。 田んぼのあぜ道に咲く、真っ赤なタチアオイの花が傍らで揺れている景色は、ノスタルジックな昭和を象徴するような、やさしい風景に見えた。
能登半島先端探険隊のクルマは、穴水町から珠洲市内を目指した。2001年に惜しくも廃線になってしまった、のと鉄道の旧蛸島駅のホームに立ってみた。
キリギリスの鳴声が肌を刺す暑い風に乗って聴こえてくる。それ以外は、ただ静かな空間が存在しているだけだった。
栄枯盛衰といういうのだろうか、ホームに座って電車を待っていた行商のおばさんや、にぎやかに語り合う高校生たちの姿も、今はない。
夏草に埋もれた赤錆びた線路が、亡霊のように一直線に伸びていた。
蛸島から更に県道28号線を東へ進むと、奥能登特有の黒壁に黒瓦の民家がぽつぽつと出てきた。廃線の影響もあってか、すでに無人の家も多いようだ。
三崎町の旧道に連なる集落はそんな奥能登にあって、人の気配がした。
打ち水がされた民家の玄関脇に腰を下ろし、頬杖をつきながら遠くを眺める老婆や、昭和30年代そのままの食料品店で、竹製の長椅子に腰掛けて、井戸端会議の真っ最中のおばさんたち…そんな風景を眼で追いながら、目的の看板を探していく。

探検レポート163

穏やかな海が広がる景色を、独り占めするようなロケーションにある民家の黒壁に、珠洲市が醸造元の「天下の銘酒宗玄」の看板が光っていた。
ここから海岸線を東にカーブしたところが、半島先端の珠洲岬である。
酒瓶のデザインがそのままプリントされた見事な看板である。風雨に耐えながらよくぞ残っていたと拍手を贈りたい。“能登半島先端の看板”と御墨付きを差し上げようではないか。
5回を数える能登半島の探険で、今回が初めての先端行となったが、後味が良くないまま旅を終えた。
鉄道が廃線となり、過疎化が進む状況は全国各地で起こっている現象なのだろうが、今更ながらに寂しい思いがした。
廃校になった校庭に子供たちの笑い声がこだますることは、この先もないのである。
潮風に揺れる夏草の中に、埋もれるように民家が倒れていた。
折り曲げられ、錆びついたブリキのローカル看板が痛々しかった。
(2008.8.2記)
※画像上/珠洲岬に近い風景。この日の奥能登の海は波もなくやさしい海だった。
※画像中/のと鉄道旧蛸島駅。2001年に廃線。駅のホームには雑草が生え、静かな空間が漂っていた。



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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