ホーローの旅
レポート167 2008夏・山陰ホーロー紀行2 出雲~米子編
2008.8.9
島根県出雲市~松江市~雲南市~奥出雲町~安来市
雨を運んだ雲が、切れてきた。
思いのほか低い出雲の山々が朝の中にひろがっていた。
薄日が差し込む景色を背中に、朝食も取らぬままホテルを出た。今日のコースは、宍道湖を一周するように島根県内を回る予定だ。
昨夜はいつになく気合を入れてルートを検討した。何度も来れる島根県ではない。できるだけ効率的に気になるエリアを回りたい
。投稿者のみちづれさんからの情報を軸に組み立てたコースは我ながら満足のいくものだったが、相変わらずの糸が切れた凧状態&気まぐれ的性格なので、脱線・道草は想定内である。
しかし、いざハンドルを握ると、昨夜からのヤル気は失せて、(まぁ、まぁ、適当に…暗くなるまでに、米子に着けばいいや)…なんて、いつもの“いい加減路線”に戻るのだった。
さて、“一人ホーロー探険隊”のクルマは、霧が立ち込める出雲大社の大鳥居を横目に宍道湖を目指した。
出雲市駅からは宍道湖の南側を走るJR山陰本線と、北側をカバーする一畑電鉄に分かれ、どちらものどかな景色の中を走っていく。
一畑電鉄の線路に沿う国道431号からは宍道湖の景観が素晴らしいが、とにかく交通量が多い。民家の壁にお宝を見つけても、容易にクルマを止めることができないのには閉口した。
みちづれさんから教えていただいた情報は、さすがに地元の方だけあって、思いも寄らぬロケーションにあった。
国道から折れて、クルマが通れるぎりぎりの道を直角に曲がったと思ったら、今度は民家が入り込んだ狭い道。更に狭くなる道を恐る恐る進むと、ぽっかり開けた空間にお宝が貼られた倉庫があったり…探険隊冥利に尽きるではないか。
そんなマニアックな場所だからこそ、ホーロー狩りの対象にもならずに残っているのだろう。
松江市から雲南市に入った頃には、すっかり夏の空が戻っていた。耳に響くようなセミの大合唱を聞きながら、いっぽうで夏草のむせるような匂いをかぎながら、お宝を探した。
真っ青な空を背景に、黄色や赤が鮮やかな「ワーム」や「高トン」、そして空色の「ヒロシマランプ」が待っていてくれた。
「何しとるのかいね~」
「そこの壁にあるヒロシマランプの看板、撮ろうと思って…」
「どこに、ござらっしゃ?」
「ぜんぜぇん、気づかんでしもんだけん」
ヒロシマランプが貼られた民家から出てきた、お婆さんとのやりとりである。
茄子の絵が染められた日本手ぬぐいを被った小さな顔には、人生を荒波を生きてきた深いしわが刻まれている。
何十年も貼ってあった看板に気づかないというのも面白いが、更にお婆さんは、私に向かってこう言ったのである。
「夏休みだから帰ってきたのかの、あんさ、○△さんとこの□○ちゃんだろ…」
こんな出逢いがあるから、僕は旅が好きなのだ。
ゆっくりと腰をかがめてあぜ道を歩いていくお婆さんの背中を、目に焼き付けるように見送ると、キリギリスの鳴声はいっそうやかましくなり、肌を焦がす陽射しが更に強くなった。
吉田の町では、整然と土蔵が並ぶ坂道に悠然と構える町並みを歩いても、そこには人の姿をついぞ見かけることはなかった。
大人ふたりが並んで歩けないほど狭い路地に、お宝の姿があった。初めて見る「コクヨフィラノート」の看板をそっと触ると、汗に濡れた手の平にひんやりとした感触が心地よかった。
聞こえる音は、私が押す「カシャ、カシャ」というシャッターの音だけ。
吉田町の夏の午後は、誰もがひっそりと、静かな部屋で昼餉のそうめんでもすすっているような、そんな静けさが漂っていた。
過疎化の波が想像以上に忍び寄っているのだろうか、子供たちの歓声も聞こえない、眠ったような山里だった。
道は絶えず線路に沿っている。両方から谷が迫って、ほとんど田畑というものはなかった。そのせいか、ところどころに見かける部落は貧しそうだった。
…出雲三成の駅から四キロも行くと、亀嵩の駅になる…松本清張著『砂の器』より…
JR木次線亀嵩駅に着いた頃には、更に暑さが厳しくなっていた。
亀嵩は、清張の小説『砂の器』で有名になったようで、そば屋が併設された小さな駅舎には、映画ロケのスチール写真が貼られていた。
記念にそばだけでも食べていこうと思ったが、店内に入って、熱いそばをすすっている先客を見てしまったら、げんなりしてしまい、ホームで写真だけ撮って早々に立ち去ることにした。
亀嵩から安来へは、のどかな田園風景を見ながら走った。昔、大田裕美が『木綿のハンカチーフ』の中で、「♪白い夏~裸足の君に、声かけて名前聞かなきゃよかったよ~」と歌ったが、まさに、“白い夏”という形容がぴったしのまぶしさである。
小さな集落の食料品店の倉庫にあった「不二わた」の看板は、それを象徴するかのように、夏の強烈な陽射しを浴びて、白く輝いていた。
夕刻が近づき、旧広瀬町から安来市に入ると、幾分陽射しも和らいだようで、早咲きのコスモスが風に揺れる風景を見つけたり、茅葺民家の小さな集落に出会ったりした。
まだ早い、と思っても確実に秋はやってきている。棚田の片隅の休耕田に一面に咲くコスモスを見ていると、去り行く夏の寂しさを感じてしまう。
池波正太郎は、その作品の中で、「人は死ぬために生まれてくる」というフレーズを頻繁に書いているが、夏が終わることで感じる哀愁は、人生の灯が少しづつ消えていくことへのはかなさに通じるものがあるかもしれない。
なんだか辛気臭くなってしまったが、ひとりで旅することは、かっこよく言えば、自分を見つめることだと思っている。
私のホーローの旅は、裏返せば、“放浪の旅”でもある。 ゆらゆらと彷徨い、感性だけで旅を続ける…見たもの、聞いたものを心の奥底に記憶としてとどめていく、そんな作業が楽しくて、ホーローの旅を続けているのかもしれない。(つづく)
(2008.9.13記)
※画像上/一畑鉄道井野灘駅あたりから見た宍道湖。しじみ漁をしているのだろうか、湖面に小さな舟が浮かんでいた。
※画像中/吉田町。土蔵と土蔵の隙間にはひんやりした空気が流れていた。セミの声も聞こえぬ静かな午後。
※画像中/安来市内の古い町並みを歩く。
※画像下/休耕田に咲く早咲きのコスモスが風に揺れていた。安来市。
※宿泊/ホテルビジネスイン米子(鳥取県米子市米子駅近く) 素泊まり2630円 ☆☆☆☆★ 激戦区米子にあっては、最もコストパフォーマンスが高い。少々タバコ臭いが、冷蔵庫もあるし、この価格だったら大満足。宿の老夫婦は親切で、アットホームな雰囲気もいい。