ホーローの旅
レポート168 2008夏・山陰ホーロー紀行3 鳥取編
2008.8.10
鳥取県米子市~日野町~岡山県新庄村~真庭市~鳥取県倉吉市~鳥取市~兵庫県新温泉町~香美町
始まったばかりのオリンピック中継を遅くまで見ていたら、すっかり寝坊してしまった。
1泊2630円という激安料金の安宿だが、野宿や車中泊が多いさすらいの探険隊員にとっては、天国にいるような快適空間だった。
米子市内は2006年10月に広島ののぶ太郎さんと探険を行ったが、古い家屋や商店も多く残る町なので、じっくり探せばまだまだ期待できそうだ。
ホテルを出てすぐに、山陰本線の踏み切り近くの民家で「キッコーマン」の看板を見つけたが、そればかりに気をとられてカメラを向けていたのが失敗だった。
帰宅してから画像を整理していたら、なんと壁面の高い位置に「金鳥」と「富士ヨット学生服」の2枚の菱形看板が貼られているのに気づいたのだ。
思わず声を出して、「あちゃ~」である。まぁ、こんなことはよくあることだが、このサイトで「琺瑯探険マニュアル」を公開している以上、再確認をしてみると、看板探しのコツとして、目線を上下左右あらゆる方向に持っていくことと、建物は四方八方すべてチェックすること…というのがモレている。教訓として、ささいなモノでも見逃さないことを反省した次第。
寝坊したと言えども、まだ6時である。伯耆町に入ると大山(1729㍍)が間近に見えてきた。薄紅色に染まる黎明の中、どっしりとした大きな山容がなんとも女性的で素晴らしい。
10年以上前の冬に大山町からこの山を登ったことがあったが、深いラッセルにあえいでようやくたどり着いた頂から、一瞬の晴れ間をついて日本海が一望に見渡せたことが、鮮やかな記憶の断片として残っている。
今こうして夜が明けたばかりのクルマも通らぬ国道から、目的は違えど大山を見ている自分が、なんだか不思議な気がした。
日野川に沿って走る国道181号線は徐々に山が深くなり、少し開けたところで日野町に着いた。中心部には根雨宿という古い町並みが残っていた。
お宝があるのではないか…と、そそる町ではあったが、何もなく、しかも国道に戻ったところで事故処理の通行止めに巻き込まれてしまい、大きく迂回するはめになった。
迂回ついでに、濁谷、金持(すごい地名!)といった小さな集落を探検してみたが、やはりお宝の姿はさっぱりだった。
国道180号線に入り、今度はJR伯備線に沿って走った。中学生の頃だからおよそ35年くらい前だろうか、当時は凄いSLブームで、伯備線の“D51三重連”といったら私たち少年の憧れだった。
カメラも持っていないのに、絶好の撮影ポイントである布原信号場に行きたくて、どうしても行きたくて、ずっと思い続けていた。
今は蒸気機関車が走る風景もなくなってしまったが、山や川もそのままに、そこに住まう人々の営みもそのままに、静かに時を刻んでいるのだろうか。
少し道草をしてしまったが、伯備線の上石見駅から県道210号線に出て、山越えルートで再び国道180号線に戻った。
岡山県新庄村に入ると、この日の探険も俄然活気づいてきた。
入口に「金星鎌」の短冊看板が貼られた酒屋は、店内に入ると、さながら博物館のようにずらりとレアなお宝が並んでいた。お酒を買うわけではないので、ちょっとばかし心苦しいが、訳を話すと、店のお婆さんは快く撮影を許可してくれた。
薄暗い店内であったが、新調したデジカメの操作が慣れてきたこともあり、フラッシュを焚かずに撮影した。ちょっとしたことだが、こんな気配りも必要だと思う。
午後を回ると、暑さは頂点に達したようである。「ジリッ、ジリ…」と、まるで肌を焦がす音が聞こえるようだ。
犬のように「ハァ、ハァ」と息をしながら、カメラを首から下げ、ペットボトルを尻ポケットにねじ込み、看板が思いのほか残っている美甘地区を歩いた。
木造家屋の高い位置にある崑ちゃんのオロナミンCを撮っていると、「この町、なかなかのもんでしょう」と、いかにも地元の青年団です!といった甚平を着た青年に声をかけられたが、「ハァ、ハァ、そ~ですね、それにしても暑いですね、ハァ」…というのが精一杯だった(笑)。
さて、“灼熱探険隊”(笑)は、岡山県湯原町から蒜山高原を突っ切り、関金町から鳥取県倉吉市に入った。
カーラジオは北島選手の金メダルの泳ぎを繰り返して流している。
(涼しいだろうなぁ…水の中)なんてぼんやりと思いながらハンドルを握った。
倉吉市は一度探険に訪れているので、すんなりと通過し、いよいよこの旅最大の灼熱地獄に突入である。
ホーロー探険とはなんの関係もないが、一度行きたかった鳥取砂丘である。
思ったとおり、想像以上に「あち、あっちっち~」であった。
歩くたびに焼けた砂がビーチサンダルを履いただけの足にかかる。熱い砂をかけられて、じっくりと焼き上がるの待つ…まるで自分の体が天津甘栗になったようだ。
人でいるのが勿体ないような気がした。
(ずっと来たかったんだよなぁ…カミさん、連れてきたかったなぁ…)と少しだけセンチメンタルな気にもなったが、それもほんの一瞬で、アラビア海ならぬ日本海を望む、ラクダが歩く作られた異国の風景を眺めているだけで、汗が滝のように落ちてくるのだった。
そろそろ夕刻が近づき、一人探険隊を乗せたクルマは鳥取市から兵庫県新温泉町(旧・香住町)に入った。
投稿者のTMさんから情報をいただいた駅近くにあるという「学生服は乃木服」を撮影するのが目的であるが、まったく見当違いの場所を探していたこともあり、なかなか見つからなかった。
私にとっては、数あるホーロー看板のカテゴリーの中でも学生服は最も好きな分野である。おそらく「乃木服」は全国的に見てもここだけにしかないだろうと思われるが、そのターゲットは手のひらを掠めるように一向に見つからない。
夕暮れは近いし、狭い路地に入り込んで飛び出し坊やをバンパーで引っ掛けてしまうわで、なかば諦めかけていたころ、ようやく見つけた場所が、駅から目と鼻の先だった。
あれほど暑かった一日が少しだけ涼しく感じるようになり、西日が傾き始めたころ、兵庫県香美町おじろスキー場にある民宿に着いた。
広葉樹の森にこだまする透き通るようなヒグラシの声が涼やかで、やがてそれも消え入るように、静かになった。(つづく)
(2008.9.16記)
※画像上/伯耆町あたりから見る大山(1729㍍)。朝の町にどっしりとした山容がそびえていた。
※画像中/鳥取県青谷町の町並み。造り酒屋が並ぶ一角。北島選手が金メダルを取った昼下がり。人は誰も歩いていない。
※画像中/倉吉市の蔵の町を歩く。
※画像下/鳥取砂丘。とにかく暑い日だった。大汗をかいている僕を尻目にラクダがのんびりと横切っていった。
※宿泊/1泊2食5000円 ☆☆☆☆☆ おじろ高原スキー場の近くにある人気の宿。食事も旨いし、料金も安い、そして、何よりも静か…と三拍子揃った民宿。