琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート169 2008夏・山陰ホーロー紀行4 兵庫~京都編

2008.8.11
兵庫県香美町~養父市~朝来市~丹波市~京都府南丹市~京都市~滋賀県米原市


探検レポート169

すがすがしい朝を迎えた。遠征最終日にして初めてゆっくりと朝食をとり、民宿のご主人に見送られて出発。
ご主人の話では、昨夜は土砂降りの雨が降ったということだが、まったく気づかずに寝入っていた。それだけ疲れがピークに達していたのだろうか。
朝から容赦なく照りつける陽射しの中、まずは国道482号線を南下。最後に出てくる秋岡という集落まで走った。
お宝はまったくなかったが、こうした小さな集落まで確認できただけでも、よしとしたい。
往路を戻り、国道9号線に沿って養父市を目指した。2006年にも訪れているが、養父、出石エリアはお宝の匂いを感じるものの、ほとんど収穫がなかった記憶がある。
この日も例外ではなかったが、国道からわずかにはずれた脇道の集落で、「太田胃散」をゲットできたことがラッキーだった。
ところどころひび割れたむき出しの黄土色の土蔵に、深い藍色に光る看板が反射していた。絵になる琺瑯である。どきりとするような、心の躍動を覚えずにははいられなった。

探検レポート169

養父市から朝来市に入り、旧・和田山の町を中心に矢名瀬町、生野町とホーロー探険の範囲を広げた。
JR竹田駅周辺には酒蔵が残る古い町並みが続いていたり、矢名瀬町にも同様な雰囲気がある町並みが残っていた。
偶然見つけた年季が入った酒屋には、入口に「清酒竹泉」の看板が掲げられていた。醸造元を訪ねたが看板の姿がなかっただけに、酒屋に残っていたことはうれしい誤算だった。
野球帽を被った若いご主人が入口から出てきたので、看板を撮影したいと話したところ、店の奥から更に違うタイプの「竹泉」の看板を出してきてくれた。
ご主人によると、「竹泉」の看板は醸造元には残っていないようで、酒屋にあるのはどうやら自分の店だけらしい、ということだった。
篠山市から京都府南丹市に入ると、山里に目が覚めるような田園風景が広がった。これぞ“日本の正しい田舎”といってもいいぐらい、絵になる風景である。
そんな山里の田畑に埋もれるように、看板商店があった。 酒と食料品を申し訳程度に並べただけの小さな店には「日立ランプ」と清酒の看板が2枚貼られていた。
たばこの看板が下がった入口は開いているもの、声をかけても返事がない。
「高級清酒小桜」の看板は大きな戸板の邪魔になって全体が見えない。もう一枚の「清酒瑠璃乃誉」は、洗濯竿が邪魔している。

探検レポート169

残念なロケーションだが、ご主人の留守中に、戸板や竿を勝手に動かしてまで撮影するもはばかられる。ここはぐっとこらえて、ありのままの姿を撮影をして立ち去ることにした。
さて、4日間に渡った山陰ホーロー探険もようやく終盤である。
南丹市から京都市に入り、ねらいの「モントリオシャツ」と「モントリオスラックス」を撮った。決して珍しい看板ではないが、なぜかこれまで縁がなかった。
九州や関西地方には比較的残っているようだが、この看板たち、私の手をうまくすり抜けてきたのだろうか。
自宅から往復1800キロを走った探険だったが、好天にも恵まれ、収穫が多い旅となった。
今年になってからはずっとひとりの探険が続いているが、以前のように“望郷の念”に囚われることもなくなったし、突然モチベーションが落ちることも少なくなった。
それだけ心が強くなったのだろうか…というよりも、それ以上にひとり旅の気楽さや楽しさが勝ってきたようだ。
いつまでこうした旅を続けることができるか分からないが、初心な娘のような、輝くばかりのお宝が僕をじっと待っていてくれる限り、ホーローの旅の終わりは、まだまだ先だと思いたい。(おわり)
(2008.9.27記)
※画像上/矢名瀬町の町並み。右手前の建物は元禄15年創業の蔵元・田治米(合)。「清酒竹泉」を造っている。
※画像中/兵庫県香美町の町並みを行く。
※画像下/兵庫県朝来市の地酒看板が貼られた酒屋。



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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