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ホーローの旅

レポート173 夏の終わりのさいはて探検3 旭川~富良野編

2008.9.5
北海道旭川市~美瑛町~中富良野町~芦別市~赤平市~美唄市~三笠市~札幌市


探検レポート173

二日続きの快晴である。今日はこの旅最大のヤマ場ともいえるコースを走る。
情報によれば、旭川から富良野にかけての国道沿いは看板屋敷が多く残っているということだが、実際にはどうだろう。
ひんやりとした空気が漂う中、期待を胸にホテルを出た。 すでに旭川市内は朝の渋滞が始まっていた。すっかり忘れていたが、今日は金曜日だ。
勤務先に急ぐクルマの列を見ていると、いつもなら同じ時間帯に、眉間にシワを寄せた憂鬱な顔をして満員電車に揺られている自分がいることを思い出した。
残してきた仕事が頭をよぎったが、それもほんの一瞬だった。
JR富良野線は西神楽駅あたりまで通勤ダイヤになるのか、上下線とも電車の間隔は短いようだ。それを過ぎると田園風景が広がり、国道237号線と併走するころには、電車の姿も見かけなくなった。
美瑛町に入る手前で国道が緩くカープすると、看板屋敷がいきなり目に飛び込んできた。刈入れを待つばかりの黄金色の田んぼを背景に、びっしりと看板が貼られた屋敷。
「おおっ!」思わず声を上げる。 国道からは距離があるので、目いっぱい近づいてファインダーを覗く。
看板は全部で6種類10枚、見事な屋敷である。更によく見ると、この屋敷の奥にも真っ赤な看板が貼られた建物が見えた。
建物の敷地内に入らなければ撮れそうにない。意を決して玄関に近づいたとき、ちょうど出てくるご主人と鉢合わせになった。事情を説明したら、快く撮影をさせていただけることに。ついでに看板屋敷も田んぼの中に入って撮らせていただいた。

探検レポート173

これに気をよくして、更に国道を南下した。美瑛町は今更いうまでもないが、“絵になる町”である。北海道特有の広大な景色が広がる人気観光地だ。
かれこれ20年近くなるだろうか、テレビドラマ「北の国から」(倉本聡脚本)がブームになっていた頃、カミさんと1歳になったばかりの長男を連れて遊びに行った。
ミーハーらしくカメラを提げて、ラベンダーの丘や見渡す限りのジャガイモ畑に夢中になってシャッターを切っていたことを思い出した。それが、今回はひとりで、看板屋敷を撮っている。
美瑛町では国道以外も走り回ってみた。お宝の姿は無かったが、美瑛特有のなだらかな丘に、どこまでも続くジャガイモ畑や麦畑など、それだけで絵になるような風景に出合ったりもした。
富良野市を過ぎると、更に感動的な看板屋敷を見つけた。見つけたかった「美人わた」や「北紡毛糸」も貼られている。
真っ青な空に浮かぶ孤高の屋敷、これぞ北海道だ。 「うーん、素晴らしいっっっ!!」本日、二度目のひとり言(笑)。
この屋敷には耕運機の手入れをしていたご主人がおり、運よく話を聞くことができた。それによると、最初の看板(ブリヂストンタイヤ)が貼られたのが昭和30年代後半ということなので、かれこれ45年以上経っているという。
看板を指差しながら、「あそこにある、“まるは”も古いんだよぉ」としきりに言っていた。
さて、探険隊は中富良野町からJR根室本線に沿って、国道38号線を北上し、空知川をせき止めた滝里湖を左手に見ながら進む。
芦別までは、テントが張れそうな芝生のロケーションがあったり、自然に囲まれた良い景色が続いた。
割合い大きな市街地の芦別市は、お茶や「金鳥」が貼られた屋敷を見つけたくらいで収穫はなかったが、赤平市にはお宝が残っていた。

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「日の出桜スラックス」が貼られた屋敷は、ずっと以前は電車の車窓からもよく見えたのだろうか、まるで鉄道模型のアクセントのような建物だった。
蜘蛛の巣が張る鬱蒼とした疎林に入り、更に“ひっつき虫”をそこらじゅうに付けて雑草をかき分ける。やっとのことで動物除けの柵まで近づき撮影した。
これまで45都道府県で看板探しをしてきたが、スラックスは初めて見るお宝だった。
看板探しをしばらく中断して、美唄市から三笠市を経由し、幾春別に向かった。30年前の“思い出のカケラ”を拾ってみたくなったからだ。
大学に入った18歳の夏、生まれて初めての北海道のひとり旅で僕はこの地を訪ねた。岩見沢から国鉄(現在は廃線)に乗り、たどり着いた終着駅が幾春別だった。
21日間有効の北海道周遊券を握り締め、すでに旅も10日目に入ろうとしていた。目的は更に奥にある桂沢でのアンモナイト採集と、幾春別岳(1068㍍)の登山。
駅から乗り換えのバスに揺られてたどりついた桂沢湖はすっかり陽が落ちて、夏の終わりの誰もいないキャンプ場は静寂に包まれていた。
うすら寂しい雰囲気を更に心細くさせる雨も降っていた。テントを張り終えると待ってましたとばかりに、土砂降り状態に。しかもあっという間にテントの中は水浸しになってしまった。
寝袋もずぶ濡れ、これでは飯も食えないと途方にくれていたとき、声をかけてくれた人が、すぐ近くにある「桂沢観光ホテル」の従業員のおじさんだった。
“地獄に仏”とはこのことで、おじさんに誘われるまま、ホテルの部屋に通されることになった。 「今夜は誰も泊まってないんで、風呂は焚かんけど、寝るだけだったらいいよぉ」 貧乏旅をしている若者から金は取れない、といってタダで泊めてくれた。
今だったらありえないことだが、30年前の大らかな時代の話である。

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翌朝、アンモナイトを採集しに行くという私に、「最近、熊にやられた人がいるから注意しろ」と、さんざん脅された。
半ば冗談だと聞き流していたが、熊除けの笛を鳴らしながらひとり沢を溯っていたときに、でかい熊の糞を見つけたときにはほんとうにビビッた。今となっては、懐かしい思い出である。
話は戻るが、30年ぶりに訪ねた幾春別の町は大きく変貌していた。駅はすでになくバスの停留所に変わっていたし、にぎやかだった町も、商店は店を閉め、歩く人が誰もいない埃っぽい殺風景な景色に変わっていた。
炭鉱が閉山してからずいぶん経つが、すでに廃墟になっているとばかり思っていたドミノのように整然と並ぶ炭住には、驚いたことに人の姿があった。
出入りができないように板を打ち付けられた玄関ドアがほとんどだが、洗濯物が干された家もあったし、テレビの音が洩れている家もあった。
すきま風が抜けるような、時代に取り残されたような町に、ひっそりと生きている人々がいることに、素直な感動を覚えた。
炭住の前に立ち、頭上から降り注ぐ季節はずれの蝉の声を聞いていると、30年前の嵐の夜、人の親切を受けた思い出のカケラが少しづつよみがえってきて、ぐっと胸に迫ってくるのを感じずにはいられなかった。(つづく)
(2008.10.26記)
※画像上/上富良野町で。国道237号線からは十勝連山がよく見える。主峰十勝岳(2077㍍)と富良野岳(1912㍍)を望む。
※画像中/美瑛町は絵になる町だ。国道から外れると、こうした風景を見ることができる。青い空とのコントラストが絶妙。
※画像中/三笠市幾春別の炭住。玄関のドアには板が打ち付けられている家も多い。ドミノのように並ぶ家並みに荒涼感が漂っていた。
※画像下/中富良野町の看板屋敷。
※宿泊/会社の同僚のマンション。地上30階建ての25階にあるゲストルームに泊まった。札幌の町が一望できる夜景が素晴らしかった。毎年、豊平川で行われる花火大会では、なんと、窓から花火が真下に見えるそうである。



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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