ホーローの旅
レポート182 新春探検 酒蔵の国・伊賀を行く
2009.1.24
愛知県名古屋市~三重県伊賀市~名張市~津市
新しい年を迎え、確かな計画や目標を決めぬまま、ズルズルと毎日を過ごしてしまった。
ホーロー探検については、年々厳しい状況になってきていることを実感しているが、それに固執して全国を回るのは、ここ1~2年が勝負だろうと思っている。
神奈川県と沖縄県の残された二県は訪ねてみたいし、北海道や九州、四国もまだ中途半端な探検しかできていない。
激減するお宝との競争になるが、スピードを上げて最後の“生の姿”を切り撮っていきたい。
さて、今年のテーマとして、ホーロー探検と並行して取り組んでいきたいのは、酒蔵の探訪である。
全国には約1700の蔵の数があるといわれているが、経営難や後継者不足から酒造を中止する蔵も多く、ここ数年は廃業が加速する状況が続いている。
歴史ある蔵が消えていくのは忍びないが、こちらもホーロー看板と同じように、蔵の最後の姿を切り撮ってみたいと思っている。
酒看板が残された蔵もまだまだ発掘しきれていないこともあり、一石二鳥の取り組みになりそうだ。
前置きが長くなったが、そんな計画の第一弾として、三重県の伊賀地方を訪ねた。酒蔵ばかりでななく、三重県の代表的なお宝である「真珠漬」の看板もターゲットに、クルマを走らせることにした。
自宅を出て最初に向かったのは、名古屋市南部にあるJR八田駅。並行して走る高架の下には「真珠漬」の大型看板が工場の倉庫のような建物に貼られている。
「真珠漬」は三重県伊勢市にある真珠漬本舗㈱の看板である。三重県内の近鉄やJR沿線では現在でもふつうにみることができるが、調べていくと貼られたエリアが広範囲に亘っていることに気づいた。
地元三重県は元より、東海地方や近畿地方、岡山県や、北海道まで貼られたという事実がある。
どんな意図があって北海道まで宣伝をしたのか不思議であるが、看板の分布を通して、企業の広告戦略の一端を知るのも面白い。
話をこの日の探検に戻す。 無事、「真珠漬」を撮影し、八田駅から東名阪道を伊賀上野へ向かうと、小雪が舞い始めた。
鈴鹿山脈から断続的に流れてくる雪雲が、渦を巻いたように空を覆っていく。 伊賀地方には16の酒蔵があるという。
伊賀米(山田錦)と良質な水で作られた酒は、それぞれの蔵ごとに個性があり、地酒通には定評があるそうだ。
この日は、伊賀上野と名張の蔵を中心に回ることにし、ナビに電話番号を入力し、一軒一軒回っていった。
伊賀上野では、中井酒造(三重錦)、森本仙右衛門商店(黒松翁)、菅野酒造(瓢竹)、平和酒造(富士正宗) 、伊賀泉(伊賀越)、大田酒造(半蔵)、若戎酒造(若戎)、名張では澤佐酒造(参宮)、木屋正酒造(高砂)、北村酒造(旭金時)、福持酒造(天下錦)、瀧自慢酒造(瀧自慢)の12の蔵を訪ねた。
中でも平和酒造と北村酒造には、ラッキーなことにホーロー看板が残っていた。また、瀧自慢酒造のご主人からは酒作りの話を聞くことができたし、多くの蔵で大吟醸の試飲を勧められた(クルマなので断ったが)。
それと、伊賀泉のようにすでに蔵が閉められ、ぺんぺん草が生えている状態も見ることができた。
また、このところ懲りはじめた晩酌用に、北村酒造で「大吟醸花筏」、瀧自慢酒造では「純米大吟醸瀧自慢」を購入した。
振り返ってみると酒の話ばかりになってしまったが、もうひとつのターゲットである「真珠漬」は、近鉄青山駅前と名張市の近鉄沿いで4枚ゲットできた。
これは以前から車窓で確認していたものばかりであるが、赤目駅から奈良県県境に近い場所にある看板については、車窓から見えても、クルマではどうしても見つけ出すことができなかった。こういうのは後々までストレスを引きずる。
東海地方にあって「真珠漬」看板は、九州の「ボンタンアメ」や「美人豆」と同じように僕のなかではローカル看板の雄としての位置づけである。
一枚でも多く探し出し、記録し、分布を調べ、更に企業の広告戦略の背景にまで触れていく作業の楽しみは、単なる看板ウォーキングから脱皮する、次なるステージへの課題になっていくものと思う。
まだまだ、ホーロー看板との付き合いは続きそうだ。
(2009.1.31記)
※画像上/平和酒造の蔵全景。三重県伊賀市。
※画像中/名張を代表する酒蔵、北村酒造。創業天保8年。
※画像下/近鉄の車窓からもよく見える小屋。真珠漬の看板が3枚貼られている。