ホーローの旅
レポート183 琵琶湖線探検 仁丹看板を追いかけて
2009.2.1
滋賀県甲良町~彦根市~豊郷町~近江八幡市~栗東市~草津市~大津市
ずっと以前から暖めていた計画を実行に移すことにした。
年末年始に青春18切符を使って京都までの旅をしたが、決まって往復の車中では、目を皿のようにして車窓から看板を探していた。
これまでも琵琶湖線沿いのレポートを何度か行ったが、電車に乗るたびに新しい発見があり、その都度すばやく地図に書き込んでは車窓を眺めるという作業を繰り返してきた。
全国の路線を乗ったわけでもない私が、まったくの私見で断言するのはおこがましいが、JR琵琶湖線沿いはホーロー看板の残存密度が非常に高いエリアだと思う。
風に流れる車窓からホーロー看板が次々に見える風景は、おそらくここをおいて今の日本にはほとんど残っていないのではないか。
今回の探検は琵琶湖線に四年間通ってきた最終章であり、これをもって米原~京都間の車窓から見える看板は概ね撮影ができたと自負している。
本当は折りたたみ自転車を担いでの探検といきたかったが、尿路結石を抱えた身では無理もできない。地図とナビをフル動員してのドライブ探検となった。
さて、今回の目玉であるが、まずは仁丹看板である。琵琶湖線沿いでこれまで3箇所の仁丹を確認しているが、新たに見つけた4箇所を撮影するのが最大の目的。
次に、このところ凝っている酒蔵巡りに合わせた看板探しである。
最初に彦根市の仁丹屋敷を目指す。何度も車窓から確認しているので、ごく簡単に見つけることができるはずと思っていたが、クルマで目的地まで辿りつくりのがひと苦労だった。
更に、目星をつけていた集落を探しても見つからず、線路脇の土手や竹薮を潜り抜けて、真冬だというのに汗びっしょりになって、息が上がったころようやく発見。
車窓からはかなり大きな看板に見えていたが、トーア毛糸と並んで貼られたそれは意外に貧弱で、そのうえ、「仁」の字が欠落しており、ちょっと残念だった。
続いて二箇所目。安土駅に近いロケーションにある看板だが、記憶の糸を辿りながら線路に沿って何度も往復するがどうしても見つけることが出来なかった。
車窓から確認したと思っていたのは目の錯覚だろうか、これだけ探しても見つからないのが信じられなかった。
三箇所目の難易度はウルトラCクラスである。草津駅を過ぎ、草津線と琵琶湖線が分かれる直前にある看板だが、車窓からはほんの一瞬しか見えない。
動体視力はもちろん、ホーロー看板に興味がある人じゃないとまったく気づかないだろう。
「旅行に」のサブ看板が貼られた仁丹屋敷はすぐに見つけることができた。物干し台が邪魔になっているが、欠落もなく素晴らしい保存状態だった。
最後に四箇所目の仁丹は大津~石山間にあるが、これは車窓からもよく見えるロケーションだ。
難易度はAクラスで、目印はBOOKOFFの建物を過ぎた辺りと目星をつけて、楽勝に発見できると考えていたが、結果的にはこいつが一番厄介だった。
国道1号線の渋滞から逃れて脇道に入った途端、どんどん狭くなっていく道に閉口し、クルマを置いて歩き出したが、まったく見当違いの方角を探している状態になってしまった。
雪は降り出すし、目印のBOOKOFFも見えない。
フードがついたパーカーに身を包んでいても身体がずんずん冷え指先がかじかんでくるのに、手袋をクルマの中に置き忘れるという失態。
諦めて戻ろうか、それとももうしばらく歩いてみるか…とぼんやり考えながら歩を進めていると、景色が開けた田んぼの先に、見覚えがある仁丹看板があった。
その瞬間、凍りかけた五感全てが生き返り、仁丹が貼られた蔵が、荘厳な御殿のように輝いて見えた。
この日は仁丹看板ばかりでなく、看板屋敷や酒蔵を撮影した。お宝が多く残っている琵琶湖線といえども、以前の風景を記憶している人から見れば、往年の姿とはほど遠いだろう。
それほどたくさんの看板屋敷がこの沿線にはあった。
剥がれ落ちるにまかせ、風雪に耐えながら朽ちていく看板屋敷を見ると、昭和の時代がずっと遠くの出来事に思えてくるのだった。
(2009.2.14記)
※画像上/大津市に残る仁丹屋敷。車窓からよく見えるが、たどり着くのは一苦労だった。
※画像中/滋賀県豊郷町の酒蔵・西澤藤平商店。※写真中/滋賀県豊郷町の酒蔵・岡本本家。
※画像下/中山道が通る高宮宿の風景。