琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート185 酒蔵に看板を追って、三重県中部を行く

2009.2.11
三重県松阪市~明和町~津市~鈴鹿市~四日市市


探検レポート185

我が家に流れる空気が心なしかピリピリしてきた。
2月に入ってから長女の大学受験が始まったのだ。カミさんの表情が日に日に険しくなってきたのも、そのためだ。
やきもきしていても仕方ないし、されど男親では何の協力もできない。しいてあげれば、勉強の邪魔にならないように、姿を消すことか…(笑)。
さて、そんな家庭事情を背負って、前週に続いての酒蔵の旅である。
先のレポートに三重県には51の蔵があると書いたが、これまでの探検で15軒の蔵を回っていた。
今回は目いっぱい欲張って、松阪市から津市、四日市市を中心とした25の蔵を回るのが目的である。
いつものように東名阪道から伊勢道に乗り継ぐ。嬉野インターを下りて5分、最初の一軒目が中山酒造だ。
田んぼに囲まれてぽつんと建つ蔵は、一見すると北海道の牧場にあるサイロに見える。倉庫のような建物に積み上げられた酒ケースがなければ、誰もここで酒を造っているとは思うまい。

探検レポート185

さて、うれしいことにこの蔵にはお宝の姿があった。「清酒 白米城朝香」と書かれた目に鮮やかな真っ赤な短冊看板と盃を模った看板である。
蔵の入口が閉まっていたので、てっきり休みかと思っていたら、いきなり扉が開き、お酒のケースを荷台に積んだトラックが出てきた。
いぶかしそうな顔で運転席に座っている人と目が合ってしまった。おそらく蔵のご主人だろうと直感し、すかさず撮影許可を貰った。
幸先のよいスタートである。続いて「清酒 勲泉」を造っている松阪市の清水酒造場㈱に向かう。「勲泉」の看板は松阪市内の廃業した酒屋で見つけているが、果たして蔵元に看板はあるのだろうか。
国道からクルマ一台がやっと通れる幅の脇道を潜り抜け、黒板壁に囲まれた酒蔵らしき建物の前に出た。ここが蔵元だと分かる目印もなく、一見すると民家のようだった。
しかし、ビンゴ!!「勲泉」の看板がさりげなく貼られていた。
午後から冷たい雨となったが、こんな調子で予定していた25軒の酒蔵を回った。
看板が残っていた蔵は全部で9軒、私が持つ情報は古かったようで、すでに廃業していた蔵もいくつかあった。
その中の一軒、松阪市にあった「清酒清酔」を造っていた(株)清酔は、10年ほど前に廃業したようで、蔵の跡地は建売住宅になっていた。
近くのたばこ屋で訪ねると、「おいしいお酒やったけどねぇ…」と、店番のお婆さんが感慨深げに話してくれた。

探検レポート185

また、平成20年3月に廃業した四日市市の笹野酒造部は、蔵を改築し、結婚式場として第二のスタートを切っていた。
歴史のある蔵が消えていくのは寂しいが、頑張っている蔵も多く、直売所では酒造りのこだわりを聞くこともできた。
私の酒蔵めぐりの旅は始まったばかりだが、その吸引力(酒蔵が持つ魅力)にストレートに参っている。
もちろん、蔵のお宝ともいえるホーロー看板に魅力は尽きないし、それを見つけたときの喜びは言葉にならない。
当分はホーロー探検との二人三脚になりそうだが、地図とにらめっこし、酒蔵を中心とした探検コースを組み立てていきたい。
(2009.3.8記)
※画像上/松阪市の新良酒造の外観。明治元年(1868年)創業。
※画像中/小川本家は明治20年(1887年)創業。蔵元に2枚の看板が貼られていた。



2009年探検レポートへ

Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


琺瑯看板探検隊が行く
SINCE 2005.3.17