ホーローの旅
レポート188 尾州半田ミツカン酢の里を訪ねて
2009.3.28
愛知県東浦町~阿久比町~半田市~碧南市
春の陽気に誘われて、尾州半田を訪ねた。
駅前から緩やかに続く坂道を海に向かって下っていくと、ミツカン(株)が運営する博物館「酢の里」が見えてくる。
半田はミツカンの町といっても過言でないほど、企業イメージが定着している。半田といえば“ミツカン”なのだ。
愛知県にはトヨタ自動車がで~んと構える豊田市もあるし、同じ三河地方には八丁味噌で有名な岡崎市など、歴史的にも古くからの企業がしっかりとその土地に根付いて、町そのものを形成している場合が多い。
「酢の里」の前に立つと、運河をぐるりと取り巻く巨大な黒壁の倉庫群にまず圧倒された。
生暖かい風に乗って、つーんと漂ってくる酢の香りが、否応なし鼻孔をくすぐる。
この香りは200年もの間、半田の象徴とありえたのだ。
1804年(文化元年)にミツカンを創業した初代中野又左衛門が、まさにここから酢の醸造をスタートさせたわけだ。
博物館の見学は完全予約制で、あらかじめネットで申し込んでいた。そのおかげもあって、当日限定の列に並ぶこともなく、すんなりと案内されて資料館の見学開始。
まずは、映像ホールでミツカンの歴史や酢の作り方、効用などをレクチャーされ、蔵の中に入った。
最近、自分でも“蔵オタク”と宣言していいほど(笑)、酒蔵や醤油蔵の見学が好きになってきた。
近代化された工場には興味はないが、古来から続く空気を嗅ぐことが出来る蔵は、“鼻孔”はもちろん“思考”をもくすぐるのである。
蔵の歴史を物語る黒光りした太い柱や梁を見ていると、それだけで、悠久の歴史を思いめぐらす。
きっと、江戸時代の職人たちも毎日のようにこの柱を触れながら、酢づくりに精を出していたのだろう…あたり前のことだが、こんな風に考えるだけでも蔵に来た価値はある。
資料館では案内係のおねえさんにレクチャーされながら金魚のフンになってついていく。ミツカンの商標の由来や、酢作りの説明を聞き、展示されている道具や江戸時代のにぎり寿司の屋台…という順序で進む。
最後に、「醗酵室」という実際に稼動している工場内の施設を見ることができた。 ホーロー看板の展示もあったが、撮影禁止となっていたため諦めた。
「ミツカン酢のホーロー看板はいつ頃から貼られ始めたのか」という、ヘンな質問をぜひともしたかったのだが、カワイイ案内係を見ていたら、あまりにも場違いの感があり、とても口に出すことができなかった(笑)。
この日は、半田から岡崎市を経由して帰宅したが、途中で立ち寄った碧南市で、「昇勢」という銘柄の酒を造る永井酒造場を訪ねた。
いきあたりばったりであったが、ご主人が快く江戸時代にできたという蔵の中を案内してくれた。
杜氏を使った昔ながらの酒造りをやってきた蔵だけあって、ひんやりした空気にきりっとした緊張感を味わうことができた。
また、蔵のすぐ近くにある米屋には「おかめ麦」のホーロー看板が貼られていた。思わぬ発見にカメラを向けると、 「珍しい看板だにゃぁ…」という言葉が。
いかにも人が良さそうなオバサンだった。どうやらこの看板、戦前モノのようで、ずっと店の顔になっていたという。
また、店先にに置かれたワゴンには「キリンラーメン」という怪しくレトロなデザインの袋麺が積んであった。
「それ、昔からあるにゃぁ、バンドウさんも買っていきゃさったよぉ」 ラーメンに向けた僕の視線をすかさず察して、オバサンが応えた。
バンドウとは、タレントの坂東英二のことで、この店は東海地方のローカル番組「そこが知りたい!特撮坂東リサーチ」という番組で取材されたということだった。
なるほど、この陽気なオバサンは、いかにもテレビ受けするキャラだった。
(2009.4.25記)
※画像上/ミツカン「酢の里」から運河に連なる倉庫群を見る。三本線に○のミツカンマークは、三本線をミツ、○をカンと呼び、そこから「ミツカン」と呼ぶようになった。
※画像中/「酢の里」に展示してある仕込み桶。温度を一定に保つために2階部分に設置されている。
※画像下/半田市の赤レンガ。カブトビールの醸造が行われていた。