ホーローの旅
レポート196 法事で訪ねた秋田ホーローの旅
2009.5.16
秋田県仙北市~大仙市~美郷町~横手市~大仙市
伯母が亡くなった。
報せを受けたとき、東京に出張中だった。 仕事をまだ数日残していたので葬式には出られないが、仕事が終わったその足で、秋田に向かうことに決めた。
金曜の夜に、上野から秋田新幹線「こまち」に乗り、四時間後に角館到着。肌寒い霧が流れるプラットホームに降りたのは、私1人だった。
亡くなった伯母は親父のすぐ上の姉で、数年にわたる闘病生活の果てだった。
良縁に恵まれなかったからか、それとも病弱だったからか、今となっては知る由もないが、嫁にいかぬまま、小さな町を出ることなく一生を終えた。
幼い頃から何度も秋田を訪ねていた私に、“いかず後家”の伯母さんは、何かと世話を焼いてくれた。
長じて山登りに夢中になったとき、毎年のように顔を出し、和賀山塊の山や沢に入るという私のために、いつも大きな握り飯を持たせてくれた。
遠く離れた土地に住み、接する機会も少なかっただけに、伯母から受けた親切やその印象はしっかりと残っている。
伯母の家に直行すると、すでにお骨となり、祭壇に飾られた伯母を囲んで、伯母の兄弟姉妹やらその子供(つまり、私のいとこ)、孫たち、近所のおじさんやおばさんまで入ったにぎやかな集いが開かれていた。
故人を偲んでしめやかに…というのはほど遠い、飲んで、食って、笑って、飲んで、食って…という感じ。
深夜に近いというのに、毎晩こんな状態らしい。 線香を上げた私に、
「のりちゃん(註1)、明日はどうするべ?」
「はよ、帰るんでねぇべか?まだここさいるんだよな?」
「そんだったら、クルマで田沢湖さのほうへ行ってみるのもいいべった、新緑がきれいだよぉ」
そんなやりとりの後、しこたま飲まされた私は深い眠りに落ちた。
いったい、俺は何しに来たのか!伯母の死を悲しむヒマなどなく、久しぶりに会った人たちと大いに盛り上がった宴になってしまった。
翌朝、20日間はそのままにしておくという祭壇に手を合わせ、クルマを借りて家を出た。
田沢湖とは逆の大曲、横手方面にハンドルを向ける。
せっかく来たんだから、酒蔵やホーロー看板を探すのも悪くない。こんな遊びを亡くなった伯母も許してくれるだろう…と、勝手にこじつけてクルマを走らせた。
コンビ二で購入した地図を眺めながら適当に走ったが、あまり期待していなかっただけに、ちょっとした看板商店や「ワーム」の大型看板を見つけたときには、「おおっ」と声が出た。
俺は伯母さんの法事でここ(秋田)に来ているというのに、なんて不謹慎なんだ…と思いつつも、いつしかホーロー探検に夢中になってしまう我が身であった。
正午を回り、“焼きそばの町”横手から折り返し、角館に戻ることにした。
神宮寺から羽後長野に出て、更に桧内川の橋を渡ると、マッチ箱を敷き詰めたように民家が並ぶ角館の町が見えた。 すっかり緑が濃くなった桜の巨木が堤を埋めている。
半分空けたクルマの窓ガラスを通して感じる、川を渡る5月の涼風が心地よかった。
ぼんやりと、伯母のことが浮かんだ。
伯母は幸せだったのだろうか。この町で生まれ、この町を出ることなく散っていたことは、本人が望んだ人生だったのだろうか。
伯母と関わった50年、一緒に過ごした日々は幾日もなかったが、間違いなく僕の中に伯母の姿は刻まれ、生き続けていくことになるだろうと、ぼんやり思った。
そんな気持ちを確信した、秋田の旅だった。
(2009.8.16記)
※註1 のりちゃんとは、私のことである。
※画像上/大仙市大曲郊外から見る風景。田んぼに水が引かれ、遅い田植えが始まる。
※画像中/横手市は「焼きそばの町」で売り出し中だが、市内に60軒ほどあるといわれる焼きそばの店は、実際にはなかなか見つからなかった。ようやく見つけた「焼きそばのふじわら」で昼食。大盛650円 ☆★★★★
※画像下/横手市内は古い商店が軒を並べる。この薬局は建物自体を市が保存している。