ホーローの旅
レポート206 2009年真夏の長期ロード7 山口~島根編
2009.8.7
山口県山口市~島根県津和野町~益田市
夏が逝こうとしている。
長かった梅雨がようやく明けたばかりなのに、見上げる空は高く澄み、頬に当る風も心なしか冷たく感じる。
一週間にわたった探検も今日が最後だ。 国道376号線を徳地町(現・山口市)へと向かう。
山間の小さな集落をチェックしながら町の中心部へ。ここまではまったくお宝の姿を見ることが無かった。
狭い旧道を斜めに入った場所で、最初に見つけたのが看板商店だった。まだ朝の8時前だというのに、金物屋の店先からは何やら金属を削るような「キーン」と響く音が聞こえていた。
軒下にはシャベルや雨どい、アルミ鍋の看板が揺れている。 カメラを持つ逸る手を休め、店の中で作業をしているおじさんに撮影許可の一言。
「あ~、いいよ」 関心無さそうな気のない返事が返ってきて、おじさんとの会話はこれで途切れた。
しかし、世間話につき合わされるよりもこのほうがありがたい。
徳地町から阿東町に向かうと、佐波川に沿った国道489号線沿いには、これぞ正しい田舎の風景といってもよいくらいのどかな景色が広がっていた。
時折集落が出てくると、脇道に逸れる。そんな場所には決まってホーロー看板が貼られている。
積み木のように重なり合った材木で造られた、納屋に貼られた「カクイわた」や「金鳥」の看板が更に田舎の雰囲気を演出してくれる。
田んぼにはカエルが啼き、大きな翼を広げたトンビが思いのほか低空でゆっくりと舞っている。
これまで何百回、何千回とこうした風景を見てきたのに、自分の中ではそれが蓄積されることなく、次々と消えていく。
田舎で生活する者なら、田んぼや小川の風景などごく当たり前でありふれたものだが、いつしか、日本中から田舎の風景が消えたときに、人々はあわててそれを求めるのだろうか。そのときにはすでに遅い。
ホーロー看板もそんな運命を辿っていると思う。
田舎の風景とともに焼きついたホーロー看板の残像は、すでにごく一部の人々の記憶の中にしか存在しないし、もちろん、これから生まれてくる子供たちの目の中には入ってくることはないだろう。
阿東町に入ると、風に吹かれて青く凪ぐ、稲穂の海がどこまでも広がった。
「もう、最高の気分だ!」…思わず口に出す。
ちょうど今頃、冷房が効いたオフィスでパソコンに向かって仕事をしている同僚たちの姿を一瞬思い浮かべるが、眼前に広がる青い稲穂の海は、そんなみみっちい透視を、簡単に吹き飛ばしてくれる。
どっちがいいか?と問われたら、稲穂の海に決まってる(笑)。
阿東町では火箸の看板を見つけたり、ジャガイモ畑の隅っこに建つ、古びた納屋に貼られたミシンの看板など、心がさらに和んでくるような収穫もあった。
県境を越えて津和野町に入る頃には、ここ数日続いたむせ返るような、真夏の昼下がりに戻っていた。
トライアスロンじゃないが、バナナを咥えながらハンドルを握る。昨日、スーパーで10本も買ったのでたっぷりあるし、案外、昼メシには合っている。
津和野の町はこれまで何度も訪れているが、今回は酒蔵の取材にしぼり四軒の蔵を回った。
「清酒高砂」を造る財間酒造は津和野の中心から少し離れた場所に建っているだけに、うっとうしい観光客の姿もなく、蔵がもつピーンと張り詰めた緊張感に触れることができた。
体温と同じくらい熱い野外から蔵に入った途端に感じるこの冷涼感と緊張感は、言葉では表現できない。
四国から九州、そして中国地方を横断する7日間に及ぶ長期ロードは、益田市から南下し、中国自動車道六日町インターに乗って終了した。
自宅までの走行距離は2900キロとなった。
やたらと長い距離を、独りで、ただ走って、食って、看板を探して、山をみて、海をみて、ほんのちょっとだけ人と触れあって、7日間を過ごしただけ。
…ぶつ切りで書けばこれがすべての内容だったが、振り返ってみると、多少なりとも心の奥底に、蓄積できる何かを感じとることができた旅に仕上がったようだ。(おわり)
(2009.12.20記)
※画像上/山口県山口市阿東町郊外の風景。一面の稲穂の海が風に揺れ、青く凪ぐ。私の眼前に圧倒的な景色が広がっていた。
※画像中/津和野の町並みを歩く。
※画像中/島根県益田市の旧道で。金曜日の夏の昼下がり、誰も歩く人はいない。