ホーローの旅
レポート209 コスモス揺れる、天竜・水窪探検
2009.9.20
愛知県豊田市~設楽町~静岡県浜松市天竜区
紅葉の名所として有名な香嵐渓を過ぎ、足助の町並みに入ると、そこはもう、レトロな空間だった。
地酒の大きな木製看板を掲げた酒屋や、肥料屋、呉服屋が立ち並ぶ商店街を歩くと、朝がまだ早いのか、人の姿はない。
古い町並みしか別段見るものもないこの小さな町に、週末ともなれば観光客がわんさと群がってくるのだ。
ホーロー看板を探してこれまで何度も訪ねているが、今日の目的は、「赤だしみそ」や「清酒玉乃輿」等の看板の生存をチェックするという、いわゆる“定点観測”だ。
レトロな足助の町といえども、ここ数年でクスリや履物の看板が消失し始めている。その理由として、建て替えや店主が手放したりというケースもあっただろうが、深刻なのは全国的に広がっているホーロー狩りの被害である。
過去のレポートでも何度かその被害を書いたが、泥棒諸君よ、いい加減にして欲しいものだ。
さて、そんな中でも長い年月にわたって異彩を放っているお宝がある。
酒屋の2階軒下部分に貼られた「清酒玉乃輿」という地酒の看板だ。これは、初めて出遭った日からずっと気になっているお宝だ。
看板に書かれた後藤酒造は、昭和18年に廃業した愛知県常滑市にあった蔵である。少なく見積もっても、この看板はすでに60年以上の年月が経過したお宝なのである。
こんな貴重な看板が、消失の憂き目に遭わないことを切に願う。
足助からは山越えルートで設楽町を目指す。愛知県でも奥三河と呼ばれる山間部の町である。
地酒の蔵元を2軒回り、小さな集落に続く脇道で看板屋敷を見つけた。
「おっっっっと!」思わず声が出た。 なんと、「オロナインH軟膏」が貼られていた。
浪花千栄子のおばさんが微笑む「オロナイン軟膏」はこれまでに50枚近く見つけているが、これはH軟膏という昭和47年に発売された後続商品の看板である。
愛知、岐阜県のみで4枚しか見つけていない。そうした意味では貴重な看板に違いないが、当の屋敷の住人は、そんなこと知る由もないだろう。
設楽町から県境を越え静岡県に入ると、いっそう山が深くなった。天竜川に沿ってJR飯田線が走る街道には、風に揺れるコスモスと小さな町が思い出したように現れてくる。
北海道の看板マニアのさとうさんから教えていただいた情報をもとに、その中の町のひとつに潜入し、クスリや中将湯の看板を撮った。
路地の奥にあったクスリ屋は、外部の人間には簡単には見つけることができない立地だった。町でただ一軒のクスリ屋なのか、地元の人々に贔屓にされてきたのだろう。
この日は天竜川を更に北上し、佐久間から水窪まで足を伸ばした。
水窪の町は以前にも訪ねているが、充分な探検ができず、これといった収穫も無かっただけに印象は薄い。しかし、今回はさとうさんの情報も得ていたので、期待を胸にやってきたのだ。
市街地の入口に差し掛かかると、なんと、予期せぬお祭りの真っ最中。信州街道が走るメインストリートは通行止めになっていた。
警察官に誘導され、大きく迂回した町はずれの空地にクルマを止め、徒歩で市街地に入ると、商店や古い町並みが並ぶ旧街道はものすごい人波で埋まっていた。
お揃いの祭りの半被を着た人々や観光客でごった返す中を、人波を分けながら、カメラ片手にお宝を探す。
半ば諦めていたころ、通りの外れで、さとうさん情報の商店を無事に見つけることができた。
初めて見る白地のカゴメソースの看板が、静岡県の最奥の町で、年に一回の熱気と喧騒の中で輝いていた。明日からは、いつものように静寂の時間が看板を包むことだろう。
奥三河から天竜への小さな旅だったが、秋晴れの中、ホーロー看板の輝きを求めて遊ぶことができた。
夏以来、血圧コントロールができず体調もいまひとつだったが、何よりも、青い空と、透き通ったピンクや白に染まったコスモスが、可憐な秋を演出してくれた一日だった。
(2009.12.31記)
※画像上/水窪町近くで見つけたコスモス。可憐なピンクの花が風に揺れていた。
※画像中/JR飯田線中部天竜駅に停車中の117系S11編成の「佐久間レールパーク号」。この日はイベントが行われており、多くの“鉄ヲタ”たちで賑わっていた。
※画像下/足助町の古い商店に揺れる赤だしみその看板。