ホーローの旅
レポート210 棚田も実る、秋の奈良探検
2009.10.10
三重県伊賀市~奈良県河合町~田原本町~香芝市~大阪府柏原市~奈良県葛城市~高取町~明日香村~宇陀市
秋が深まっても持病の高血圧が安定せず、体調も一進一退の日々が続いている。
血圧の治療を開始して一年、薬の副作用が出たことにより降圧剤を変えたことはいいが、コントロールができなければさすがにきつい。
私の場合はいわゆる「早朝高血圧」というヤツで、計測すると朝が高く、夜が低い。
症状としては、気持ちが悪くなるくらいの肩こりと身体のだるさ、足が地に着かないような浮遊感といったところだが、朝が高い人は、気温の変化に身体がついていけず、いきなり倒れてしまうケースがあるので、けっこう危ないらしい。
ホーロー探検に行きたいのはヤマヤマなのだが、仕事をこなすのがやっとの状態で、週末の遊びのことまで考える余裕もなかった。
さすがにこの体調には勝てず、1泊で予定する岡山探検も毎週のように計画を立ててみるが、一週間の疲れが出てくる金曜日になると決まって体調が悪くなり、何度も見送っている始末だった。
しかし、そんな体調も、日によっては絶好調なときがある。めでたくツボにはまった10月の週末、待ってましたとばかりに、奈良県へ日帰り探検に出ることにした。
東名阪道から国道23号線を経由して、自宅から2時間。最初に訪ねたのが三重県伊賀市の小さな集落だ。
狭い道が稲妻状に入り込んだ農家の納屋に目的の看板があった。投稿者のKiteさんから教えていただいた物件だが、「清酒佐保姫」という地酒の看板がターゲットである。
看板に書かれた蔵元の「てつや酒造店」を帰宅してからネットで調べてみたが、すでに廃業したのか、まったくヒットしなかった。
また、酒名の「佐保姫」は奈良県にある佐保山を指しており、佐保姫はその山の祭神で、春の女神とも伝えられているということが分かった。
地酒もそうだが、どんなホーロー看板でも製造元が倒れてしまうと追跡はかなり難しくなる。有名なメーカーならいざ知らず、ローカル色が濃い地酒の蔵元となると、薄れた記録を調査することさえ困難となってくる。
例えれば、その看板の“戸籍を調べる”とでも表現しようか。一枚の看板の謎を追っかけるのは、ホーロー探検の副産物としての楽しみだと思っている。
さて、この日の探検は、投稿者の皆さんからの情報を組み合わせて、酒蔵めぐりと、新たなお宝の発見を期待してのコースを組んだ。
体調が良いのを理由に、奈良県内を縦横斜めに走り回り、県境を越えて大阪府まで走ってみたが、中でも、多くのホーロー看板サイトで取り上げられている明日香村の看板酒屋は素晴らしかった。
ずらりと並んだ地酒の看板を指先で触れると、冷んやりとした硬い感触に、秋の西日が反射した。
板壁の角には隠れるようにオロナミンCの看板も貼られていた。これは黄金バットのイラスト入りというオマケ付きだが、よくぞ残っていたというシロモノだった。
更に、この商店を撮影した後に出遭った棚田の風景も絶品だった。
黄金色に輝く棚田は、遅い稲刈りの真っ最中で、手作業で刈り取りを行っていた。夫婦(?)が二人三脚で、刈り取った稲をテンポよくハセに掛ける作業を見ていたら、自分も手伝いたくなって、身体がうずいてしょうがなかった。
というのも、つい先週にカミさんの実家に稲刈りを手伝いにいったばかりだからだ。
機械を使わぬ稲刈りは重労働だが、実った稲を自らの手で心を込めて刈り取っていく喜びは、何事にも代えがたい。
もう一つこの日の探検で書いておきたいことは、久しぶりに花王石鹸の看板を見つけたことだろうか。
字体から見ると、昭和21年頃に作られたものだが、花王石鹸の場合、登録商標の“月のマーク”のデザインでおおよその作成年代が分かるというメリットがある。
同じように、「仁丹」も看板に描かれた大礼服を着た軍人のデザインで見分けがつけられる。
花王石鹸の屋敷は、以前は床屋でもやっていたのか、サインポールと呼ばれる、赤と青と白の線がクルクル回る電飾看板がホコリを被って玄関ドアの上に設置されていた。
看板はずらりと5枚が二階の壁に貼られており、歩いていて偶然気づいたのだ。と言うのも、このところ“鍾馗さん”と呼ばれる屋根の上にいる魔よけの土人形も探しているからで、上を向かなかったら、看板の存在にはおそらく気づかなかっただろう。
日帰り探検といえども、奈良県は岐阜の自宅からはそれなりに遠く、往復600キロの旅となった。
思ったとおり、帰りの東名阪は20キロを超える渋滞に捉まり、深夜帰宅となってしまったが、自分にとって突然与えられた“一服の清涼剤”ともいえる体調絶好調の日を、目いっぱい楽しんだ一日になった。
今思い返しても、明日香村で見た眼前に広がる棚田は、目がくらむような黄金色だった。
(2010.1.4記)
※画像上/明日香村の棚田風景。機械を入れることができない狭い田んぼには、手作業で刈り取りが行われていた。
※画像中/「清酒透泉」を造る中川酒造㈱。奈良県葛城市(旧・當麻町)。創業は江戸末期。
※画像下/香芝市の「清酒金鼓」を造る大倉本家がある通り。