琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート213 冬晴れの新春・西三河ホーロー探検

2010.1.17
愛知県東浦町~安城市~岡崎市~幸田町~豊田市


探検レポート213

最近の我が家のトピックスを一つ挙げるなら、熾烈さを増している“クルマの争奪戦”がある。
昨年秋に免許を取った長女が、そろそろ運転に慣れてきたこともあり、今年になってからにわかに参戦し始めたのだ。
もとよりクルマは2台しかない。配車係りというか割り振りのオペレーターはカミさんである。
週末が近づくと、私は差配を握っているカミさんに、ちょっとばかし猫なで声でお伺いをたてる。
「今度の土日、クルマいいかなぁ??」
「無理。○○(長男)と△△(長女)がバイトで使うと言ってるもん」
「土日、どっちも?」
「どっちも!」
…こんな具合である。かくやあぶれてしまった私は、天気が良いせっかくの週末も、家でじっとしていることになる。
前置きが長くなったが、そんな環境の中、カミさんに特別に計らってもらい、日帰りの探検に出ることができた。
ただし、クルマを与えられた時間は、長男や長女のバイト先への送り迎えを考慮して、10時半から18時までの条件つきだ。

探検レポート213

制限された時間ではあまり遠出もできないから、いろいろ考えた末、自宅からも近い愛知県の岡崎、豊田方面に行くことにした。時間短縮のため、もちろん有料の高速を使う。
最初に目指したのが東浦町。何度も探検で訪れている町だが、最近の情報で、地酒の看板が掛かっていた蔵元、野村酒造が廃業したとの話を聞いた。
ナビに電話番号をセットして、酒蔵の前に立ったことはいいが、まさかとは思ったが、そこにはあったはずの建物は跡形もなく、小学校の運動場のような更地が広がっていた。
これまでも随分と廃業した蔵を見てきたが、煙を吐くこともなくなった煙突が孤高の野武士のように佇んでいる蔵もあれば、ぺんぺん草が生えるにまかせ廃墟として朽ちていく姿を晒している蔵、あっという間に更地になって、マンションや倉庫が建ってしまったケースもあった。
近年、廃業や休造する蔵が後を絶たないが、今更ながらに酒造業の厳しさを見た思いだ。
跡形もなくなってしまった野村酒造とは対照的に、同じ東浦町内にある原田酒造では、新たに地酒の看板を見つけることができた。
前回訪れたときはまったく気づかなかったのに、蔵の側面に回りこんで、窓の鉄枠に貼られた看板を発見したのはラッキーだった。
ある意味、これは教訓となりそうだ。商店の場合は、店内に入って確認することも肝要だと「探検マニュアル」にも書いたが、酒蔵のような巨大な建物も、ぐるりと一周することが思わぬ発見につながるということを再認識した思いだ。

探検レポート213

そして、この日の収穫として、もう一つマニュアルに追加したい出来事にぶつかった。交通量が多い国道沿いで看板商店を見つけたのである。
これは看板=旧道・脇道という経験値からくる思い込みを見直すことの一端になった。
私のホーロー探検の行動パターンとして、まずは旧道・脇道を探すという習性がある。
今回のケースは、国道を時間短縮に使ったがために功を奏したが、通常では、迷わず国道と並行して走る旧道を選んでいるのである。
これは長年の看板探しで身につけた悲しく滑稽な性(さが)だ。何度も走って看板がないことが分かっていても、気がついたら、わざわざ狭い旧道を走っている自分に苦笑いである。
寒さが身にしみたが、その分抜けるような快晴だったこの日は、制限された時間をやりくりして、岡崎市から豊田市を回った。
最後に立ち寄った豊田市の酒蔵は、すでに酒造を止めて20年が経っていた。
蔵の壁は漆喰が剥れ、痛々しい姿を見せているというのに、どっしりとした圧倒的な存在感が、往時の栄華を彷彿とさせていた。
まさに栄華盛衰である。
(2010.1.21記)
※画像上/愛知県豊田市の梅村酒造本家。明治32年(1899年)創業の蔵であったが、平成元年(1989年)より休造。代表銘柄は「英優」。
※画像中/愛知県幸田町の轟醸造。
※画像下/東浦町の野村酒造の跡地。整地された運動場のようだ。ここに酒蔵があったとは思えない。明治28年(1895年)創業。代表銘柄は「幸娘」。



2010年探検レポートへ

Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


琺瑯看板探検隊が行く
SINCE 2005.3.17