ホーローの旅
レポート214 路地裏に仁丹看板を求めて~大阪・京都編
2010.1.23-24
大阪府八尾市~大阪市~京都府京都市
テーマを決めて、ホーロー探検をすることは楽しい。
大阪、京都の探検はまさにそんなチャレンジに値する。2008年春の探検では、「風の吹くまま」という何だかよく分からないテーマでぶらぶらと彷徨ったし、同じ年の冬は、「青春18切符」を握り締め、目的地もはっきり決めないまま自転車を漕いだ。
どちらもそれなりに楽しかったが、もうひとつ何かが足らない。強いて挙げれば、筋が一本通っていないのだ。
大阪、京都を訪ねる上で、興味があるキーワードをあれこれ考えながら並べてみると、 「仁丹看板」「路地裏」「京都ラーメン」「鍾馗さん」「ドヤ街」…等、さすがに魅力的なエリアだけあって、ホーロー看板ばかりでなく、好奇心をくすぐるテーマはいくつも出てくる。
何にでも首を突っ込みたくなる強欲な探検隊としては、今回については絞り込んでチャレンジしてみたい。
これまでの探検で中途半端に探してきた「仁丹看板」をテーマに、路地裏にまで深く潜入して、できるだけたくさん見つけることを至上使命とし、更にキーワードで並べたテーマにも触れていくことにした。
ディープな関西、どんな探検に仕上がるだろうか。
▼1月23日 大阪
早朝自宅を出て、近鉄の急行電車を名古屋から伊勢中川、河内国分と乗り継ぎ、八尾駅で降りた。
出で立ちは、ダウンジャケットにマフラー姿、そして着替えを入れたディパックである。
本来なら自転車を担いでいきたいところだったが、肩にずしりと食い込む重たい鉄の固まりと、汗を拭きながら顔をしかめて駅の階段を上り下りをする自分の姿を想像すると、どうしてもふんぎれない。
八尾駅前でレンタサイクルをゲットし(2時間200円)、身軽な自分の姿に納得しながら、鼻歌気分で出発。まずは情報で得た仁丹の町名看板があるポイントを目指す。
八尾市は新旧が渾然一体となっている土地だ。コンクリートの団地を抜けると、板壁の古い家屋が埋もれるように姿を現した。
土塀の上には、猫が眠たそうにうずくまっている。仁丹看板はそんな風景の中にあった。
“映画に仁丹”とは、どこかで聞いたコピーである。ずっと昔の幼少の頃、祖父さんに手を引かれ連れていって貰った映画館で、スクリーンを覆う垂れ幕にも同じコピーがあったような気がするのだ。
そういえば、亡くなった祖父さんからはいつも仁丹の匂いがしていた。ジャリジャリと小さな音を立てながら“銀の小粒”を噛み砕いていた。
笑うと歯茎に挟まった銀色のカスが見えていたものだ。 八尾には他にも“スポーツに仁丹”というのもあった。
今は「フリスク」や「ミンティア」といった清涼菓子が主流だが、当時は“銀の小粒”が想像以上に市場を席巻していたようだ。
仁丹看板を探す…という目的については、一応は大阪での成果を得られたので、午後からは看板探しを兼ねて大阪の路地裏探検に変更。
京橋、天王寺、西成界隈を歩いてみたが、1枚も見つけることができなかった。
この日の宿は、あいりん地区にある一泊2100円の激安宿。ここ数年来の大阪での定宿である。
派手なネオンが煌く通天閣が間近に見え、路地を一歩入ると、大阪では最もディープなエリアがある。
天王寺動物園の駅前から、中途半端にネオンが灯るアーケードをぶらぶらと歩き、仕事を終えた労働者で混みあっている小さなおでん屋で一杯やった。
肩をすぼめて歩く人々の群れと、妖しく灯るぼんぼりネオンの街に同化してしまうと、夜のあいりん→怖い→ヤバイ…という固定概念は、自分も過去からそこに住んでいたかのように、まったく気にならなくなった。
▼1月24日 京都
夜明けの町を歩いた後、天王寺から環状線に乗り、京都へ移動した。
当初の目的どおり、京都での探検は仁丹の町名看板をできるだけたくさん見つけ出すことである。
情報によれば、京都市内にある現存する仁丹看板は、500枚とも700枚ともいわれている。
これまでの探検で50枚ほど見つけているが、今回は路地裏にも深く潜行して見つけ出そうという目論見だから、気合も半端ではない。
まずは西七条から丹波口駅周辺を目指す。毛糸の帽子と手袋、マフラーで固めても身を切るような底冷えがする日だ。
レンタサイクル(一日1000円)で風を切ると、冷たい冬は、容赦なく頬や耳の感覚を奪う。
京都市内で仁丹看板が多く残るエリアは、東、西本願寺、御所、二条城、北野天満宮から金閣寺周辺といったところだ。
市内を歩けば、誰もが1枚や2枚は見つけることは可能だが、ポイントを絞って探せば、効率よく見つけることが出来る。
仁丹看板を探すポイントとしては、①古い町並みがある通り②辻③古い家の二階の壁面…といったところだが、特に①の古い町並みがある通りには連続して見つかることが多い。
更に、電柱に貼られているケースもあったり、改築した新しい家屋にも貼ってあるので、要は見落さずにじっくり探すしかないようだ。
西七条から本願寺周辺だけでも30枚ほど見つけることができたが、これはほんの序の口で、丸田町通りを越えて御所の西側に入ると、地図にプロットするのが面倒になるくらい残っていた。また、二条城の西側でも多く見つけた。
西陣あたりまで足を伸ばしたかったが、思った以上に時間が経ち、不完全燃焼の感はぬぐえなかった。
二条駅で折り返す際に、京都ラーメンを食べながら今日の収穫を数えてみたが、過去に見つけたダブっているものも含めて89枚だった。
京都の街は碁盤の目に仕切られているというイメージがあったが、それはあながち嘘ではない。
もっといえば、碁盤の中に更に小さな碁盤があるといった感じだ。要は、小さく狭い路地が入り組んでいる。そんな路地の中にも仁丹看板はあった。
仁丹ばかりか、小さな路地には似つかわしくない風呂屋の大きな煙突が天を突いていたり、人がすれ違えないようなジグザクに入り組んだ路地の奥に、とっくに潰れて廃墟になっている玉突き場(決して、ビリヤードという大そうなものではない)があったりした。
何が飛び出すか分からない、古いオモチャ箱のような、そんな街が京都の印象だ。
ディープな街、大阪、京都を歩いた冬の二日間だったが、古い家屋や雑然とした町並みを瞼に焼き付けるうちに、自分にとってはずっと以前から知っているような懐かしさと、温かみを感じずにはいられなかった。
思えば、亡くなった母や祖父さんの出身地が大阪だったということも、関係しているのかもしれない。
(2010.2.11記)
※画像上/朝の天王寺駅を歩く。
※画像中/京都の仁丹探しは自転車探検がいちばん。※写真中/京都市上京区魚屋町の路地。人がすれ違えないくらい狭い。そんな路地の奥に、美容院やとっくに潰れた玉突き場があった。
※画像下/全国的に見ても、京都のラーメンはうまい…と思う。とんこつしょうゆベースに背油、細麺、薄いチャーシュー、ネギ、メンマと、パターンは共通しているのが特長。「宝屋ラーメン」ラーメン600円 ☆☆☆☆★ 今回の一番!