ホーローの旅
レポート220 富士山ばっちり、春の伊豆半島を行く
2010.3.20
静岡県三島市~沼津市~清水町~伊豆の国市~大仁町~熱海市
すれ違う、牛乳配達のおじさんの息が白い。
原付の音が遠ざかると、早朝の町に響くのは、僕の靴音だけだった。 伊豆箱根鉄道の線路に沿って歩き、広い通りを折れると、こんもりとした森が近づき、三島神社の正面に出た。
「看板建築」というそうだが、鳥居からまっすぐ続く参道には重厚な建物が軒を並べていた。三島市内にはこうした建築物がたくさんあるらしい。
JR三島駅でレンタカーを借りるまで、たっぷりと時間がある。時間つぶしには早朝散歩が一番いい。
頭も身体もリフレッシュしたいところだが、体が鉛のように重い。仕事の疲れを引きずっているのだ。 一晩世話になったカプセルホテルで眠れなかったのがその原因だ。
隣人のイビキと、明け方近くまでドタバタと出入りする音。気が高ぶっていたのだろうか、いったん気になりだすと、耳について離れなかった。
駅レンタカーのシャッターが開くまで、駅前広場で“人間観察”をする。悪趣味だが、暇つぶしにはちょうどいい。
ベンチに座って、地理の参考書を一心不乱に読んでいる女子高生。同じく、茶髪のベンチ野郎は、徹夜マージャンで勝ったのだろうか、ニヤついた表情で、何度も何度も財布の中身を数えている。
和服姿の見事な銀髪のおばあちゃん。連れのおじいちゃんでも待ってるのか、しきりと時間を気にしてる。
パンフレットを小脇に抱えた、旅行会社の新入社員風。ハツラツとした表情が憎らしいほど爽やかだ。電車から降りてきた客に、押売でもしようとしているのか。
キリがないからここまでとするが、私が三島に来た目的は、ホーロー看板探しなのだ。
これから伊豆半島を少しばかし回ってみるわけだが、寝不足状態でどこまで踏ん張れるか、膜が張ったようなぼんやりとした頭では、出発前から今日の成果は望めそうもない。
まずは三島市内にある薬局に向かう。地元の丸ポストマニア・とび丸さんに教えていただいた物件である。
古びた薬局の入口の柱に目的の看板があった。塗料がべっとりと付着しているが、まぎれもなく赤字で書かれた「サロンパス」である。
店主に尋ねてみると、柱に塗料を塗るとき、面倒なのでついでに塗ってしまったとのこと。
貴重な看板だと説明すると、いかにも残念そうな表情で、以前はクスリの看板ばかり何枚もあったが、つい半年ほど前、「どうしても欲しい」と言って日参してくるマニアに根負けして、譲ってしまったという。
こうして貴重なお宝が日々、僕らの前から消えていくわけだ。
対して、沼津の菓子屋は素晴らしかった。これもとび丸さんから教えていただいた物件だが、店内にはホーローマニア垂涎のお宝「不二家のぺこちゃん」がショーウインドに飾られていた。
私にとっては、名古屋で見つけて以来2度目の遭遇だ。
店主のおばあちゃんは、「譲って欲しいという人があとをたたんもんでね、店の中に入れたんよ…」と語ってくれた。
この店には、森永のミルクキャラメルの看板も大事に保存されていた。
さて、寝不足ドライバーのクルマは、長泉町から函南町、伊豆長岡に向かう。目的は「サージンかみそり」の看板をゲットすることだが、長泉のポイントはすでに消失していた。
伊豆長岡の共同浴場の建物の中にあるという物件は、あいにく月1回の休みに重なってしまい、風に揺れる「定休日」の札を見上げるばかり。
昨夜泊まったホテルからタオルとヒゲソリを失敬して準備万端、温泉に入ることを楽しみにしていたのに残念だった。
伊豆の国市からは大仁町を東に向かい伊東市に入った。駅前から続く商店街には「松田椿油店」という大島椿を原料とした老舗のツバキ油の店があり、ここには「君が代」という線香の珍しい看板が貼られているという情報を得ていた。
しかし、残念なことに店は改装され、お宝は消えていた。
模糊とした頭では機転が利かぬのか、お宝の匂いも感知できない。伊東から熱海までの道は国道を逸れて生活道を走ってみたが、空振りばかりだった。
最後は迫ってくる電車の恐怖におののきながら、線路脇の不安定な斜面で「仁丹」の看板屋敷をカメラに収めた。
神奈川県の茅ヶ崎市辺りにもあったという情報が伝わっているが、今のところ、これは最も東にある仁丹看板である。
快晴だというのに、風が強く寒い一日だった。
私の進路を追っかけるように、背後には雪を抱いた富士山がずっと見えていた。頂上には雪煙が舞っているだろうか。
10年ほど前、同じ季節にチャレンジして、頂上目前で断念したことを思い出した。
アイゼンの爪がやっと刺さるほどのアイスバーンを、滑落の恐怖におののながらほうほうの体で逃げ帰ったのだ。
その富士山を、ホーロー看板を探して、ずっと見てた一日だった。
清水町で見つけた「かぜ薬グットバイ」の看板が、文字通り、軟弱が染み付いた今の自分に向かって、未練を断ち切るかのように、引導を渡してくれた。
グッドバイ!…しばらくは、戻る予定のない山の世界とおさらばだ。
(2010.4.25記)
※画像上/清水町から見た富士。大きく迫って見えた。
※画像中/早朝の三島駅前の商店街を歩く。
※画像下/伊豆箱根鉄道。大場駅あたり。地元では「伊豆っパコ」と呼ばれる人気者だ。