琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート223 発作的フォッサマグナホーローの旅 中編

2010.5.4
長野県山ノ内町~須坂市~長野市~小川村~長野市~小谷村~新潟県糸魚川市


探検レポート223

待ちかねた春を謳歌するように、薄紅色の桃と、りんごの白い花が高原を淡く染め上げる。
山ノ内町にある長野電鉄上条駅のホームに立つと、風に乗った甘い香りが鼻孔をくすぐった。
ホーローの旅に出て四日目。私は駅舎の横にある巨大な蔵に目を奪われていた。
漆喰の黒壁には「建物更生共済」「農協生命共済」「ケンシポマード」の看板が整然と並んでいる。
その傍らを、桃を連想するピンクとクリーム色のツートンカラーの電車がトコトコと走っていく。
何十年も同じ風景を繰り返し見てきたのだろうか。そんなことを思うと、“看板偏愛”に侵されている我が身には、ちょっとばかし胸に迫ってくるものがある。
“生き証人”ともいえる看板たちが辿ってきた歴史の重みを、冷んやりとした金属の感触を通して確かめたくて、思いっきり背伸びをして手を伸ばしてみたが、ついぞ触れることはできなかった。
更にもうひとつ手の届かない位置にある看板を見つけた。湯田中の温泉街から中野市に向かう途中の民家にあった「虫さされかゆみムヒ」。

探検レポート223

越中の売薬商人池田嘉市郎によって創業された池田模範堂の製品として今でこそ世界的なロングセラーになっているが、昭和30年代の販売戦略は、販路を拡大するために足で歩いた“売薬さん”による行商と、農村に貼られた琺瑯看板が主力だったという。
たった一枚の看板であるが、辿ってみると、その背景には人々の努力と歴史の重みが隠れている。
真夏を思わせる突き刺すような暑さに辟易しながら、小布施町から長野市に抜けた。 ここからは清酒の醸造元を中心に回っていく。
あくまで私見であるが、絶滅しつつある琺瑯看板の“終の棲家”ともいうべき場所は、酒蔵だと思っている。
蔵それぞれの味を守り続けることと銘柄に対する思い入れは、その銘を刻んだ琺瑯看板がシンボルとなって掲げられていることでも分かる。
看板を探すポイントとして酒蔵にこだわるのはそんな理由からだ。 この日は八つの蔵を回って、四ヶ所で琺瑯看板を見つけた。
中でも西飯田酒造(長野市)の「優等清酒信濃光」は、杉玉が下がる重厚な門扉に貼られていた。蔵の歴史と銘柄の主張を感じる、優れたデザインの逸品である。
また、千野酒造場(長野市)にあった「銘酒桂正宗」も小粒でピリリとした看板だ。
この蔵を訪れた人のどれだけが気づくだろうか。手のひらに隠れてしまいそうな大きさだった。
さて、信州のホーロー探検もそろそろ終わりだ。山の端に見え隠れする陽のまぶしさに目を細めながら、ハンドルを握る。
信州新町から小川村への道はさすがに山深い。急な斜面にへばりつくような集落が、現れては消えていく。

探検レポート223

長旅の運転疲れが響いて持病の腰痛が気になりだした頃、鬼無里へ向かう辻で出遭った廃商店が素晴らしかった。
店の前には「明治スカット」の木製ベンチが置かれ、何事もなかったかのように、静かに悠久の時を刻んでいた。
鬼無里から山を越えて、JR大糸線に出るとあとはひたすら姫川に沿って北上した。
新潟県に入り、一気に海を目指す。
この日のフィナーレは、日本海に沈む輝く夕陽が迎えてくれた。
浜松を出てから3日目にして、フォッサマグナの縦断が終わった。(つづく)
(2010.7.16記)
※画像上/須坂市は古い町並みと蔵の町だ。中心部近くの神社で見つけたクスノキの巨木には、新緑がワサワサと揺れていた。
※画像中/信州新町から小川村ほ向かう途中で見つけた集落。急な斜面に寄り添うようにあった。
※画像下/フォッサマグナのホーロー旅のフィナーレを飾った日本海の景色。沈む夕陽がまぶしかった。
※宿泊/「ビジネスホテル常盤館」☆☆★★★ 素泊まり4000円。上田駅至近の古いホテル。煙草臭いのもマイナス。冷蔵庫がなくビールが冷やせなくて困った。



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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