ホーローの旅
レポート225 梅雨空の信州→神奈川ホーロー紀行
2010.7.9-10
長野県茅野市~富士見町~山梨県北杜市~神奈川県伊勢原市~相模原市
諏訪インターを下りて茅野市に入ると、爽やかな空気とは裏腹に、じめっとした湿気が肌にまとわりついた。
見上げれば、ねずみ色の雲は幾重にも積み上げられ、今にも雨が落ちそうだ。
今年の梅雨は長引くのだろうか。まったくもって憂鬱になってくる。
初日の計画は茅野から長野県を横断して山梨県に入り、甲府までの道のり。2日目は神奈川県内を適当に回って帰途につくというあまり計画性がない旅でもある。
今回はホーロー探検ばかりが目的ではないから、じっくり探す余裕もない。もとより自力発見は期待していない。
投稿者の方々からいただいた情報をもとに、お宝があるべき場所を訪ねてカメラを向けるだけでは、これをホーロー探検と呼ぶには心苦しくもあり、ちょっとばかしプライドも許さない。
とはいえ、加速度的に日々姿を消していくお宝たちのことを考えると、うかうかしてもいられないのだ。
今、私にできることは、お宝たちの生きている姿をできるだけ多く眼に焼き付け、記録することだと再認識している。
投稿者のKANKANさんに教えていただいた「マーガリン」の看板は、山が迫った小さな集落にある辻を、緩やかにカーブしたところにあった。
小さな集落の小さな商店、更にガラス戸越しに、店の中の柱に貼られたロケーションだった。 「こんなん、珍しいもんかね」 と言いながら、折りたためるくらい小さな、店番のお婆さんが快く撮影を許可してくれた。
実は、今年の5月にこの店の前を通っている。おめでたいことに、私はまったく気づかなかった体たらくなのである。
最近、ホーロー探検にかける探索眼が鈍っていのか、それともそろそろ情熱がなくなったのか…振り返ってみれば、こんな経験は山ほどある。
むしろこの頃はますます重症になってきているから始末に悪い。 5年前、砂漠で針を探すがごとく、眼を皿のようにしてお宝を探したあのスタート時点に戻らないと、この先、長くは続かないかもしれない。
茅野市から富士見町に入り、次は初見のレアものがずらりと並んだ商店を目指した。八ヶ岳の広大な裾野に縫うように刻まれた道を等高線に沿って走る。
時折小さな集落やペンション村が出てくるが、もちろんターゲットは昔ながらの集落である。
郵便局や酒屋、床屋が揃っているそこそこの規模の集落が狙い目であるが、意に反してお宝はまったく見つからない。結局、目的地の看板商店まで収穫もないまま来てしまった。
商店は農機や建材を扱っているのだろうか、機械系の初見看板が四方の壁に整然と貼られており、なかなかの見ごたえだった。
午後を大きく回り、県境を超え山梨県に入ると雨になった。
今は北杜市となってしまったが、旧、高原の村にある小さな小屋に「づつうはればれ」の真紅の看板が付いていた。
水滴をまぶし、セミのように貼り付いている看板を見ていると、看板のコピーとは逆に天気が恨めしくなってきた。いつになったら“はればれ”するのか。
ついでに、このところの仕事に疲れた僕の心も ぜひ“はればれ”させて欲しいものだ。
翌日は神奈川県内を回った。これまでにも神奈川県でホーロー探検を実行しているのだが、一枚も見つけていないという状況。
全国制覇を目標のひとつに置いた以上、空白地帯をなくしたいとずっと思っていた。
投稿者のウシ君さんから教えていただいた看板屋敷は伊勢原市あった。イライラするほどの渋滞をようやく抜け、小田急線の線路脇に出ると、懐かしい“タイガームーン”が朝の光に反射していた。
そう、「月虎かとりせんこう」の看板である。木造の大きな蔵には、他にも「ボリショイ学生服」の特徴的な三角看板も貼られていた。
これで沖縄県を除くすべての都道府県で琺瑯看板を見つけたことになるわけだが、こんなチャレンジに5年の歳月を要してしまった。
関心がない人にはどうでもいいことだけど、自分にとっては意味があること…そんな風に思ってみても、醒めた心には、何の感慨も沸いてこなかった。
そろそろ、夏本番である。
(2010.8.15記)
※画像上/看板商店の敷地には、ドクダミの花が咲き乱れていた。長野県富士見町。
※画像中/神奈川県津久井町の酒蔵、清水酒造。「巌の泉」という銘柄を造っている。宝暦元年(1751年)創業。