琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート227 真夏の熊本ホーロー紀行 前編

2010.7.31
熊本県熊本市~宇土市~松橋町~宇城市~氷川町~八代市~芦北町~津奈木町~水俣市~鹿児島県大口市~熊本県人吉市~多良木町~相良村~五木村~球磨村


探検レポート227

熊本駅近くのビジネスホテルで目覚めた。少しむくんでいるのか、寝起きの顔がよくない。
飲み会が続いた昨日までの出張の疲れがまだ残っているのだろうか。7時間も寝たのに、寝不足状態が解消できていないようだ。
ようやく確保した2日の休みではあまり遠くも行けないから、今回はエリアを絞って熊本県内を中心に回ることにした。
まだ見ぬお宝は私を待っててくれるだろうか。何はともあれ、出発だ!
JR熊本駅でレンタカーを借り、まず目指したのが八代市。
2006年の探検では日奈久で折り返しているが、熊本県は広い。やみくもに走ってもお宝は出てこない。
“琺瑯看板の聖地”と呼ばれた日奈久でさえも、4年前の面影すらなく、いくつかの看板屋敷が姿を消していた。残念ではあるが、時代の流れだ。これもいたしかたない。
反面、2010年の今日でもしっかりと残っている物件もある。JR鹿児島本線の車窓から見えることを意識して貼られた松橋町の看板屋敷は素晴らしかった。
学生服やミシンなど5枚の看板が整然と並んでいた。中でも「だるまわた」の組看板は、欠落もなく悠然と貼られていた。

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また、日奈久への途中で見つけた「ゼネラルテレビ」もなかなか。
周りの風景にしっかり溶け込んでいた。しかも“二台目テレビもゼネラル”というコピーが最高である。
「も」が「は」になってないところが、メーカーの強気を現しているではないか。 確かにカラーテレビが普及し始めた昭和40年代初めは、一家に二台のテレビがふつうになりつつあった。
我が家でもカラーテレビは居間にでーんと鎮座しており、白黒テレビが子供部屋に置かれていた。
高度経済成長が佳境に入った時代は、合言葉が“テレビは一家に二台”だったのかもしれない。
午後を回り、ジリジリと照りつける陽射しを気にしながら、八代市から芦北町、津奈木町を経由して水俣市に入った。
水俣病の町としてイメージがよくないが、車窓から見える水俣湾は碧く澄んで美しい。
更に水俣川に沿って走る肥薩おれんじ鉄道の電車は、いかにもローカル線らしく緩やかな風を切ってトコトコと走っていく。
その背景には看板屋敷があり、まるで鉄道模型のジオラマを見るようだった。
初日の探検もそろそろ終盤である。水俣市からは県境を越え、鹿児島県の大口市をかすめて人吉盆地にハンドルを向けた。
人吉市はこの旅最大のポイントとして期待していたが、意に反して、ほとんどお宝の姿を見ることができなかった。

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更にいくつものトンネルを越えながら五木村まで足を伸ばしてみたが、途中の相良村で看板商店を見つけた以外は何もなかった。
想像通りといえばそれまでだが、琺瑯看板絶滅へのシナリオの秒読みは、こんな奥地にもやってきているようだ。
それを打ち破るのを期待して、五木村から再び人吉に戻り、情報を得ていた球磨村の一勝地の看板屋敷を探してみたが、すでに更地になっており新しい家が建っていた。
看板探しの私の旅は、あとどれくらい続けることができるのだろうか。
夕立の土砂降りの中見つけた、アースのツーショットとモントリオの3枚貼りの屋敷がなかなかのパフォーマンスだったが、自力発見はこれで打ち止めだった。
最後に見つけた金鳥看板もラッキョウのような雨の中。傘も差さずにずぶ濡れになりながらカメラを向けている私の横を、割烹着姿のおばあちゃんが、「珍しいもんかのう、○△×○□■◇△…(以下意味不明)」とつぶやきながら歩いていった。(つづく)
(201010.11記)
※画像上/水俣市古城付近を走る肥薩おれんじ鉄道の車両。一両だけの電車がトコトコと走っていく。
※画像中/人吉盆地の風景。真っ盛り、暑い九州の夏である。
※宿泊/「アパホテル熊本日銀西」☆☆☆★★ 素泊まり3500円。これだけ安くて、周りに食べるところがたくさんあれば満足。



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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