琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート233 2010年夏、瀬戸内の旅4 米子へ

2010.8.10
広島県東広島市~三原市~世羅町~三次市~庄原市~鳥取県日野町~西伯町~島根県伯太町~安来市


探検レポート233

台風が近づいているのか、南の空がどんよりと曇っている。
昨日までの暑さは幾分和らいだようだ。今日は広島県を縦断して鳥取県へ抜けるコースを取る。
なかでも、世羅町から甲奴町を経由して吉舎町に出るルートは初めてだ。何が飛び出すのか、それとも空振りで終わるのか…期待をこめての出発である。
JR山陽本線に沿って伸びる県道59号を離れ、高屋町白市に入ると古い町並みが現れた。
白市は江戸時代から交通と商業の中継地として栄え、旅籠もあったという。
緩やかにカーブする坂を登りきったところで「加美乃素」と「エスサン肥料」の看板を見つけた。 「加美乃素」は狭いスペースに無理やり貼ろうとしたのか、「乃」の文字がない。
組看板にはこうしたことが往々にしてある。何もそこまでしてこの場所に貼ることはなかったと思うが、いずれにしても遠い昔の話である。
こじんまりとした町並みが残る山陽本線の河内駅周辺にも“そそる”雰囲気があった。ある情報で、駅前商店に「福助足袋」の吊り看板があると聞いていたのだが、すでに消失してしまったのか、残念ながら見つけることができなかった。
国道432号線を北上し世羅町に入ると、空模様が益々怪しくなってきた。予報では今日あたりから山陰地方でも台風の影響が出てくるようだが、風はともかく雨だけは勘弁してもらいたい。
といっても、自分で決められることでもないし、いざとなったら逃げるしかない。
世羅町は時間をかけて広範囲に回ってみたが、地元の造り酒屋の「喜久牡丹」の看板を見つけたぐらいで収穫はなかった。
しかし、うれしいことに甲奴町では、初見の「金鶴わた」の縦型タイプが貼られた看板屋敷を見つけた。

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更に、地元の酒蔵である瑞冠酒造という蔵の壁面に、銘柄の「清酒瑞冠」の盃の形をした看板が6枚も貼られていた。
この地方の酒蔵は、2005年の喜久牡丹酒造の廃業を皮切りに休蔵・廃業が多くなっているが、瑞冠酒造は頑張っている蔵のひとつである。
午後を回り、吉舎町に入ると天気は持ち直したようで、薄日も差してきた。
馬洗川に架る巴橋を渡ると、福六酒造の白壁の酒蔵が迎えてくれた。橋からの眺めは吉舎を代表する景観である。
ガラス戸越に蔵の玄関口を覗いてみるが、ホコリが溜まっており、人の気配はまったくなかった。
すでに廃業してしまったのだろうか。蔵主の話を聞いてお酒も購入したかっただけに残念である。
蔵を左に折れると、吉舎の商店街となった。道幅は広く伝統的な様式を備えた商家の建物も残っている。
ただし、人の姿を見かけないし、活気がないどころかそれに輪をかけて寒々とした雰囲気が漂っている。
しかし、現金なものでお宝を見つければ心は浮き浮きとなってしまう。酒屋の店内に貼られた「清酒フクロク」の看板は本日最高のパフォーマンスだった。
タキシードを着て帽子をかぶった黒人がぐぃっと酒を飲むイラストは、ホーロー看板マニアなら知らぬ人はいないぐらいインパクトのある看板だ。
昭和30年代の“だっこちゃんブーム”を背景に、黒人が描かれているという理由で差別問題まで発展したという曰くつきの看板であるが、今となっては過去の話である。
広島県東部には多く貼られたそうだが、現在では発見が困難な看板のひとつではないかと思う。
看板コレクターとして有名なサミゾチカラさんがプロデュースする、愛知県の豊川稲荷の参道「なつかし商店街」に飾られているのを見たことがあるが、実物を目の前にするとやはり感動の度合いがまったく違ってくる。

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人の良さそうな年配の店主(奥様)は、今はお酒を造っていない福六酒造の思い出の品として大切にしていきたいと語っていた。(注1)
“古い町には、琺瑯看板がよく似合う”というのが、看板を求めて全国を放浪(琺瑯?)した私の印象だが、まさに吉舎の町はそれに当てはまる町だった。
津和野や関宿を例にとると、町並み保存地区となることで観光客が溢れ、電柱は埋められ、通りは塵ひとつ落ちていないぐらいにキレイにされ、更に琺瑯看板が店のお宝のようにショーウインドに鎮座する…こうした不自然さは滑稽以外のナニモノでもない。
自然のままに時を刻んでいく町にこそ、琺瑯看板の存在も自然であり、よく似合っているのだ。
吉舎の町では、古い酒屋の壁面に貼られた味醂や焼酎の看板が、町の雰囲気を壊すことなく風景の一部となってなじんでいた。
さて、独り探険隊の旅はまだまだ続く。
瀬戸内から山陰に抜ける真夏のホーロー探検もいよいよ終盤に入り、迷走する台風の進路を気にしながら米子に向かった。
鳥取県の山中にある小さな集落で見つけた酒屋の土蔵には、醤油や電球、貸衣装の看板が土壁の一部のようになって残っていた。
何十年もそのままの状態で時間が経過したのだろうか。
しかし、看板に描かれた花嫁さんの姿は、初々しさに溢れたままだった。(つづく)
(2011.1.10記)
(注1)広島県酒造組合で確認すると、2007年9月に廃業したことが分かった。
※画像上/島根県安来市に入ると、田んぼの緑が眼に鮮やかだった。台風はどこに行ってしまったのか?
※画像中/吉舎の町並み。誰も歩いていない。時間がゆっくりと過ぎていくだけだった。
※画像下/JR芸備線備後八幡駅。無人となったホームには誰もいない。静寂な時が流れる中、しばしまどろんでみた。
※宿泊/『ホテルビジネスイン米子』(鳥取県米子市米子駅近く)素泊まり2630円 ☆☆☆☆★ 二度目の宿泊。宿のオヤジさんも覚えていてくれた。コストパフォーマンスは最高。



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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