ホーローの旅
レポート237 嵐と秋晴れの信州ホーロー紀行
2010.10.9-10
長野県大町市~茅野市~諏訪市~松本市~安曇野市~上松町
フロントガラスを激しく叩く雨に辟易しながら大町市に着いた。
目的の酒蔵、北安醸造はすぐ目の前にあるというのに、クルマから下りることができない。
しばらく待って、風が止み雨が小降りになったところでようやく車外に。「銘酒大國正宗」の真っ赤な看板をカメラに収めることができた。
「こんな雨に、行かなくても…」と言う、カミさんの声を背中に自宅を出て3時間。信州に入っても風雨は一向に衰えるそぶりも見せず、そればかりか“嵐”の様相になっていた。
看板探しにかける情熱はもはや常軌を逸してるのか、一枚の地酒の看板を撮るために、ずっと雨の中を走ってきたのだ。
当初の計画では大町市内の探検に時間を割くつもりだったが、いくら物好きでもこの雨ではこれ以上活動できない。結局、渋々諦めて宿がある茅野市に移動することにした。
翌朝。高く青い空がどこまでも広がっていた。
昨日の嵐は何だったんだろうと思えるくらいの秋晴れである。現金なもので、根が単純な私は、天気次第でモチベーションが大幅にアップする。
ホテルを出てから素早くコンビニで朝食を済ませ、諏訪湖を目指した。
諏訪市内には酒蔵ロードともいうべき、5軒の蔵が軒を並べる通りがある。まだまだ“抜け”はあったようで、以前訪ねたときに琺瑯看板を撮影したことがある本金酒造の壁に、巨大なブリキ製の看板を見つけた。
イラストが何ともレトロ。“横切るな 走るくるまの 前うしろ”“手をあげて おうだん”という交通安全の標語も良い味を出している。
琺瑯看板とは違うが地酒の看板にはブリキ製も多く残っており、地域社会への貢献の意図もあってか、こうした交通安全の標語を掲げた看板もよく見かける。
いずれ褪色して風化する運命である。今のうちに記録を残しておきたい。
諏訪市内から塩尻を抜け松本市に入ると、気温は一気に上昇したようで、10月だというのに半袖のTシャツでも良いくらいの陽気になった。
松本城が見える公園では「全国そば祭り」のイベントが行われており、多くの人出で賑わっていた。
せっかくなので試食無料の列に並んで食べてみが、これがうまい!しかし、さすがに何度も並んで腹を膨らませるずうずうしさはなく、結局、「越前おろしそば」を食べてイベント会場を出た。
さて、琺瑯探検で松本市に立ち寄ったのは、「味の素」の看板を撮ることが目的である。
私と同じく、琺瑯看板をデジタル収集している方からいただいた情報なのだが、目的の看板は教えていただいたその場所に、あって当然のように残っていた。
「味の素」の琺瑯看板はお椀を模ったタイプが一般的だが、今回の撮影したものは短冊タイプである。
おそらく全国的にもこのタイプはほとんど残っていないと思われるが、何十年も剥がされることなく、町並みの一角に同化するように残ったことが、奇跡といってもいいだろう。
松本からは、青く霞む北アルプスを背景に安曇野の田園地帯をにのんびりと走った。
昭和36年に安曇野の三つの酒蔵が統合してできたEH酒造に立ち寄ると、「酔園酒造梓川蔵」と書かれた看板が入口に掛かっていた。
現在の社名になる前の看板であるが、アルファベットよりもやはり漢字のほうが酒蔵らしくて良い響きだ。
この蔵では「清酒亀波」と「清酒酔園」の2枚の看板を撮影できたが、歴史がある蔵の景観もなかなかで、天を突く煙突をモチーフに何度もシャッターを押した。
そろそろ色づき始めた広葉樹の森を横目に、秋晴れの一日を堪能しながら帰路は木曽路を抜けた。
上松町の市街地から旧道沿いの寝覚集落に入ると、丸ポストを道標のようにして2軒の木造旅館が並んでいた。
残念ながら今は営業をしていないが、往時は修学旅行生や御嶽講の人々で賑わったという。
カメラを片手にゆっくりと歩くと、頬にあたる風が冷たかった。
秋の日はつるべ落としである。
(2011.2.12記)
※画像上/上松町寝覚集落にある旅館「越前屋」。向かい合わせにも旅館が並んでいる。レトロ感がある巨大な木造建築だ。今は残念ながら営業していない。
※画像中/安曇野郊外。北アルプス前衛の山を背景に、稲刈りが終わった田園の風景が続く。
※画像下/秋晴れの国宝松本城。観光客で賑わっていた。
※宿泊/ちのスカイビューホテル(長野県茅野市) 素泊まり5000円 ☆☆☆☆★ 温泉つきで快適。コストパフォーマンスも良い。